3「食いしん坊魔王の一日」
朝起きると、魔王は机の上に置かれた皿が見えた。ソファーから起き上がり、近寄るとひとつの付箋とバターの塗られたトーストがあった。
「勇者はどこだ?」
魔王は付箋の内容を読んだ。
「俺は仕事があるから、朝はトースト、昼は昨日のコンビニの残りが冷蔵庫に入ってる。ごめん」
琉太は有休をすべて使い果たし、転生した時に電気もつけっぱなしだった。食材は腐り、電気代に家賃はしっかり取られた。そのため、たとえ魔王の世話をしなくてはならなくとも、ふたりがアパートで住めるようにするのが最善だと判断した。それは当然働いて家賃を稼がなければならないのである。
魔王は椅子に座り、冷めきったトーストを口に入れた。角が焦げていて、バターの味が濃い。
「そうか、勇者は夕飯まで戻らない……」
食べ終えた魔王はそう呟くと部屋を見渡した。魔王城の広い広間にいる時と同じだ。魔王は寂しかった。
魔王城に比べればちっぽけな部屋だが、勇者がいない空間は何倍にも広く、孤独に感じた。
彼が戻るまで、何かできることを探しに探索した。
最初は照明で遊んだ。
玄関にあるスイッチをカチカチと押し、明かりが瞬時に点いたり消えたりする。
「おー」
それに飽きると今度は棚の扉で遊び始めた。磁石の埋められた扉は開ける時に抵抗力を感じ、魔王は驚かされた。
「我に敵うわけないのだ。さあ秘密を見せよ!」
思い切って開けると扉が壁にあたり、立っていた魔王の頭に直撃。魔王はそのまま棚にぶつかると、コップがひとつ落ちた。
「あっ」
地面スレスレでキャッチ。
魔王というだけあって瞬発力は高い。
「はあ……」
魔王はため息をついた。
泊めてもらったのにシャワーヘッド、コップと、ものを壊しまくってしまったら追い出されてしまうのではないか。そう考えて家の中のもので勝手に遊ぶ行動を反省した。
ピンポーン!
コップをキャッチした体勢のまま、魔王は奇妙な音に耳を立てた。
「何だ?」
コップを棚に戻し、音源をたどる。
「こちらから来た気がするが……」
すると、インターホンが再び鳴った。
ピンポーン、ピンポーン!
魔王は玄関に行くと、モニターを発見した。画面には黒いスーツの男が映っている。
「あのー、すみません。あなた、随分囚われているように見えます。私たちの治療ならば、体も心も癒されるでしょう。まずは心から直してみませんか?共に清き心を目指して神の声を……」
琉太が留守の間に訪れたのは紛れもなく宗教勧誘だった。だが、魔王が宗教勧誘だと知る余地もない。彼女は男の言ったことをまっすぐ受け取った。
「我は丈夫だが、貴様のほうがその小さな箱に囚われていて大変そうだぞ?」
と魔王はインターホンの画面の中に男が入っているのかと思ってしまった。
「私が囚われている……?」
魔王の回答に男も戸惑う。いろんな断られ方を経験したはずだが、魔王になんて断られたことはないだろう。
彼は気を取り直して勧誘をグイグイ進めた。
「ですから、あなたも自由になるため神を信じるべきなのです」
しかし魔王の回答は一歩上を行く。
「神ならここにおるぞ。我は元の世界で神として信仰されることもあったぞ」
意味不明の回答に宗教勧誘の男は逆に自分が勧誘されているように感じた。
「そこから出してやる。我を信仰しても良いぞ」
とまで魔王に言われ、彼はあきらめて帰った。
魔王はモニターから彼が消えたことを一瞬悩んだが、ソファーに戻り、座り込んだ。
「まだ二時間しか経っておらんのか……でもお腹がすいた……昼の分、ちょっとだけなら」
魔王は腰を上げて冷蔵庫に向かった。開けると冷気が出てくる。
中にあった昼ご飯用コンビニ弁当は昼前にしてあっという間に米一粒残らずなくなってしまった。
「しまった。全部食べてしまったではないか」
どうしようどうしようと迷う魔王は言い訳をし始めた。
「仕方のないことだ。この世界の物が美味すぎるのだ。空腹は戦よりも恐ろしい……」
魔王は爪をかじりながらぶつぶつとひとりごとを呟いた。
コンビニ食しか食べたことのない魔王は量に不満だった。元の世界では好きなだけたらふく食べ、食料が余りあるほどだった。それなのにコンビニの物ときたら一口程度。食べれば食べるほどもっと欲しくなるのに、手に入らない。これに魔王は食べる前よりも腹が減ってしまった。
「勇者……早く帰って来てくれ――!」
魔王は玄関の扉を開け、アパートの外を見渡す。
高層ビルが視界を埋め尽くし、辺りはまだまだ明るい。
「勇者を探しに行きたくても、こんなところじゃあ空から探してもダメだな……」
魔王は裸足のまま外に出る。
「ん?なんだこの匂いは……」
何やら奇妙な匂いに連れられ、魔王は通路を下る。何の匂いかは分からないが、食べ物の匂いとだけは確信した。
3つ隣の部屋、ドアのところで配達員が中の人に段ボール箱を手渡した。
「あの部屋だ!」
配達員が帰った後、魔王は扉の前でじっと待つ。
心が温まる匂いに魔王は惹かれた。食べ物がどんなものだろうと、おいしいのは間違いなかった。
腹が鳴る。
魔王は我慢できず、ドアノブに手を掛ける。が、回そうとした瞬間、コンビニでのことを思い出した。この世界に来て、コンビニに入り勝手に食べ物を食い荒らしたこと。
店長にやさしくしてもらっていた魔王はこれを深く反省し、二度としないと誓ったため、ここで勝手に入るのは自分との約束を破ってしまうような気がした。
魔王である彼女にとって、人の家へ勝手に入ってはいけない、などという常識は教えられたことがなかった。基本的に誰でも言うことを聞く世界で育ってしまった彼女は何がいけないか教えてもらうことができなかった。しかし、魔王は食についてのマナー、常識を学び始めていた。
魔王は自分の欲を抑え、ドアノブから手を離した。マントの端を掴み、ただ扉の前に立っていた。
匂いは徐々に薄れていき、魔王の鼻でも分からなくなってしまった。
しばらくすると、扉の向こうから音がした。
魔王はとっさに腕を構え、扉が開くところをじっと見た。
中から再び匂いがあふれ出て、魔王はすぐに腕を降ろした。
「あら、こんにちは」
中から現れ、魔王を見下ろしていたのは背の高い茶髪のお姉さんであった。
「どちら様かしら?」
甘い声で女性が聞くと、魔王は得意げに胸を張って言った。
「我こそは唯一無二の魔王!」
元の世界の人なら誰でもが腰を曲げる台詞だった。
しかし、女性はただ微笑んで魔王を見下ろし続けた。
「匂いが気になるの?可愛い子ね。食べて行かない?」
「か、可愛い?!」
魔王はまたしても自分を一切恐れない人間と遭遇し、戸惑った。しかしそれよりも初めて可愛いと、ひ弱な人間の女に言われ、逆に魔王が鳥肌を立たせていた。
魔王は彼女に招き入れられ、机に座った。
女性が何を作っているのかと背中の横から覗こうとしつつ、美味しそうな匂いの充満する部屋を見渡した。
数々の料理本が並べられた部屋。
琉太のアパートと同じようなインテリアで、間違い探しのような台所にお姉さんが立つ。
まな板から体を逸らし、包丁を持ったまま魔王と目を合わせた。
名も知らぬ女性の顔を再び目にした途端、魔王の背筋が震えた。
魔王を「怖い」ではなくて「可愛い」と心から思っている。
力を使えばこのアパートもろとも粉々にできる力を持つ魔王だが、それでもなぜかこの女性に勝てる気がしなかった。
「もう直ぐできるわ。あとひとつ食材が足りないのよねぇ……」
女性はナイフを持って魔王を見つめたままいう。
魔王はその姿にこう思った。
「このままでは我はこの人間に食べられる!」
魔王は目を瞑り、拳を握り締め、歯を食いしばった。
その時、赤ん坊の泣き声が聞こえた。
「あらあら〜」
女性はナイフを置いてから直ぐに声のする方に向かった。しかしナイフを置くところを魔王は見ておらず、目を開けた時に別の部屋に入っていくのを確認した魔王は身体が凍りついた。
「この人間は子供を食べるのか?!」などと思い、固まった筋肉を無理やり動かし、震える足で玄関を目指した。
「そうだ、我も背が低いから子供と勘違いされたんだ!」恐怖に追われて魔王は上手く扉が開けず、音を立てるだけだった。子供の声も静かになった。
「あら、もう帰ってしまうの?」
後ろから声がする。
魔王は今までで一番怯えていた。いつも小指一本で吹き飛ばせる人間の女にこれ程の恐怖を味わうことになるとは思っていなかった。
いいや、アレは人間じゃない。人間ではないオーラを出している……
足音が近づき、たちまち扉に影が現れた。
魔王は肩に手を置かれ、振り返る。
女性の顔に赤い跡がついていた。
返り血…………
魔王の心臓が一拍、遅れて跳ねた。
「もう帰っちゃうの?食べていかないの?」
女性はもう一度聞いた。
魔王はもうダメだと思った。逃れられないと。
どうせ殺されるなら食べられるものだけ頂こう。
「た、食べます……」
これも魔王の口から出た、初めての自然な敬語。後付けではなく、自動的に出た敬語だった。
テーブルに戻されるなり魔王は下を向いた。
「あ、あったわぁ。このバジルをつけて、完成!」
いつの間にか目の前の皿に乗せられているのは丸く赤いペーストに黄色いドロドロしたもののかかった料理だった。
魔王は最後の食材が人でないことに安心したが、この赤い部分に抵抗があった。「ま、まさか……血?」そう思いながらも三角形に切られた扇形の部分を手に取り、先端から一口食べる。
熱いのが一気に口の中で広がり、ドロドロの何かが舌を包む。そして味は血のものではない。
「こ、これは……」
「ピザよ。食べたことない?」
「ほう、これはピザと言うのか。赤いのは?」
「トマトソースよ。お口に合わなかったかしら?」
「い、いやとても美味いぞ!」
魔王は次々と食べた。
「もっと欲しかったら作るわ」
女性が言うと、先程の部屋の空いた扉から一歳くらいの赤ん坊が這い出てきた。
「あなたはダーメッ!」
その子を抱っこする女性を見て魔王はため息をついた。
彼女の正体が分かり、ただの母親だと知って安心した。
「それにしても、あなた見ない子ね」
女性は赤ん坊を抱いたまま聞いた。
「我は最近この世界にやってきたのだ。今は勇者の家に住んでいる」
魔王は簡潔に自分がここにいる経緯を語った。
「あらあら魔王様だったのー?」
女性は演技をしていたが、初めて自分を魔王だと信じてくれた人がいたと思い、魔王は内心舞い上がっていた。
「そうだそうだ。良かろう人間、我の部下にしてやる」
女性は魔王の言葉にただ微笑んだ。
「ところで魔王様、勇者様はどこにいるのかしら?」
「勇者は今仕事に行っているのだ!」
「じゃあ帰ってくるまでここで遊んでていいわよ。どこのお部屋?あら弧住さんの……連絡入れてくるわね」
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午後七時頃、琉太は仕事から帰ると魔王がいないことに気が付いた。郵便受けの中に入っていた紙切れを読み、魔王を迎えに行った。
「すみません、面倒見てもらってしまって……」
琉太は申し訳なさそうに謝っている。
女性は口に手を当ててクスッと笑う。
「いえいえ、もう長い付き合いじゃないですか。それに弧住さんが勇者様とおっしゃるので……」
琉太は魔王が彼女に何を伝えたのかと想像すると顔を赤らめた。女性が信じていないと分かっているのがまた恥ずかしかった。
「ああっ、ちょっとまお……従姉妹がアニメの見過ぎで」
魔王と言いかけたところを修正したが、その部分を聞き取った彼女は名前だと思ってしまった。
「まあ、従姉妹のマオちゃん!」
女性は魔王に向かって言う。
「素敵なコスプレよ」
この一文に魔王は打ち砕かれた。店長と関わり、「コスプレ」という言葉イコール魔王だと信じていないということを理解することができた。そして女性もまた彼女が魔王でないと思っていることに悲しんだ。
「ほら、マオちゃん行こうね」
琉太はまたお礼を言ってから絶望した顔の魔王を連れて帰る。
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「我は、この世界をもう少し学べた気がする。とても恐ろしい世界だ。特に人間の女は恐ろしい」
魔王は先の女性にもらったカレーを夜ごはんに琉太と食べていた。
「もう魔王だって言いふらすのやめてくれよ。お前は今日からマオとでも名乗ってくれ。白崎さんにその名前だと思われちゃってるからさ」
琉太はスプーンを口に運びながら言う。
「マオか、我に相応しい名前だ。それにしてもシラサキ……恐るべし」
魔王も一口食べる。
「俺もさ、勇者じゃなくて名前があるんだから。琉太って」
「貴様、ユウシャというのではないのか?」
「え?いや勇者って、名前だと思ってたの?」
「違うのか?ユウシャ」
魔王は当たり前かのように首を傾げた。
「じゃあ聞くけど、魔王って名前なの?」
「そうだ。我はマオウだ」
「本当の名前とかないの?」
「マオウだ」
誇らしげに言う。
「はあ……」
ズレた魔王の常識に琉太はまた悩まされていた。
「じゃあ新しい名前はこれからマオ。これでいいか?」
「良いぞ。気に入った。」
「俺は琉太ね」
「ユウシャ」
「琉太ね」
「リューチャ」
「琉太」
「リウタ?」
「リュータ。どう?」
魔王の言いやすそうな発音に直してみる。
「リュタ」
「まあいいや、改めてよろしく。マオ」
「では我からもよろしく頼むぞ、リュタ」
ふたりとも完食し、琉太はスマホの予定表を見ていた。
「なぜだ、なぜ誰も我を魔王と分かってくれないのだ!コスプレとはなんだー!」
魔王がソファーで声を上げた。
「コスプレはコスチューム、衣装を着てそのキャラクターなどになりきることだよ」
「なりきってなどいない!本物だ!」
「仕方ないさ。この世界に魔王なんていないんだし。もはやマオはこの世界ではただのめちゃくちゃ強い女の子だよ」
自分で言ったものの、ただの女の子という言葉が琉太の中で残った。
彼女はこの世界ではただの女の子。そして琉太も勇者などではない。
……
「何がダメなのだあ!」
再び魔王の叫びによって琉太は妄想から覚める。
「そもそもそんな服着てたらコスプレだと思われて当然だ」
「ううっ」
琉太は予定表をもう一度確認する。
「じゃあ明日は休みだし、服でも買いに行きますか」




