2.血盟
ここは地獄だった。
幼い少女には暗い部屋でただ終わりの時を待つ事しかできなかった。
薬物に狂い幼い少女に手を挙げる母親と父親、嫌な薬の臭い、空腹、痛み、怒鳴り声、少女の様々な苦しみをあげるとキリは無い。
少女には名前が無かった、少なくとも少女の名前は親にすら呼ばれた事は無かった、書類上にあっても呼ぶ人が居なければ意味なんて無い。
「ちっ、薬が無い……おい! ガキ、薬をどこにやった?」
父親が叫んでいる。
父は薬の影響で目がまともに見えていない。
だから、手元にある物を投げつけている。
「いった!? 何すんの!」
床で倒れていた母親に当たり喚き散らしている。
ただ晶は部屋の隅で最後の時を息を殺して待っている。
別に何でも良かった、どんな死に方でも良かった、薬物の毒でも、物が当たって死んでも、餓死でも、殺されたとしても、だから、ただ死を待っていた。
ピンポーン
珍しく玄関のチャイムの音がした。
親達はそわそわと蠢き、玄関に這っていった。
親達がドアを開けると少女よりも年上の凛とした少女、曽野真里亞がスーツケースを置いて立っていた。
「あ、ああ? お、お前なのか?」
父親が呻いている。
「そうだ。ここに100万入っている」
真里亞が忌々しげにスーツケースを蹴る。
親達はスーツケースを奪う様に飛びつく。
「へ、へへへ、あんなゴミを買う為に100万も払ってくれるなんて」
父親はヨダレを垂らしながら虚な目で金を握っている。
真里亞は靴のままリビングに入り、死を待つだけの少女の前にたった。
真里亞は何故か悲しい顔をしている。
「あの人が言っていた子……」
真里亞は表情を引き締めて、無表情にする。
「私が君を買った。今日から君は、私の実験体で、私の妹で、曽野家の人間だ」
真里亞が少女の手を取る。
「君は曽野家、会社を継ぐ人間になる。私は……あの人を追い続けなければならないからな」
真里亞の言葉は少女にはよく分からなかった。
真里亞にとってもそんな事はどうでも良かった。
真里亞は少女を抱き抱えて立たせる。
「行こう。私達の家に」
2人の少女は手を繋ぎ、外へ歩きだす。
親達は気になどしなかった、薬を買う金さえ手に入ればどうだって良かったのだ。
ボロボロの衣服とすり傷だらけの体の少女に真里亞は自身が着ていたブランド物のコートを被せる。
サラリーマンや学生、主婦がヒソヒソと2人を見て何かを言っていたが、2人は無言で歩いた。
「私……名前……無い」
少女は足止める。
夕暮れの中、太陽が隠れ、2人は自動販売機の光に照らされる。
「だったら、好きに名乗れば良い」
「分からない」
真里亞は財布からカードを取り出して、自販機でソーダを2つ買い、少女に手渡した。
「別に今すぐ決めなくても良い」
少女達は近くの公園のベンチに座ってソーダを飲む。
「まだ時間はある」
真里亞は夕暮れの空を見つめる。
「あの人を……必ず」
真里亞の頭に浮かんでいたのは、あの人、祖母の曽野英玲奈だった。
稀代の発明家にして、完全記憶能力を持つギフテッド、触れられざる天才。
真里亞はソーダを頑張って飲んでいる少女の頭を撫でる。
少女は抵抗せずにソーダを一生懸命飲んでいた。
「必ず償わせる」
真里亞の覚悟はとうに決まっていた。
真里亞に金を持たせて、少女を買わせたのは英玲奈の指示だった。
英玲奈の真意を暴き出す事、真里亞はそれを宿命だと思った。
空母ハーロットのブリッジで、博士はある契約書を眺めていた。
それは、空母ハーロットの所有権の譲渡に関する契約書だった。
『Elena・Sono』
博士はそのサインを見て、自嘲してファイルに戻した。
「博士、どうかしたんですか?」
茶髪のポニーテールの柔らかな顔立ちの女性、当麻天音が心配そうに博士を伺う。
「別に……」
博士は言葉を詰まらせ、ばつが悪そうに視線を逸らした。
天音はファイルをちらっと見て、息を飲む。
そして、少し躊躇った後、タブレットを置いた。
ある論文が映し出されている。
「もしかしたら……合ってて欲しく無いです……けど」
博士は論文を見て、ページをめくろうとする手をとめた。
「……そんな事が……あり得るのか?」
博士はふらふらと窓の前まで歩き、窓の外を見る。
遠くに真紅のロボットが佇んでいる。
『生命活動再開時に発症する症例と治療法について-曽野英玲奈』
「今の彼は……」
「言うな」
天音の言葉を博士は遮った。
天音からは俯いた博士の表情は分からなかったが、声からは疲れと怒りが滲んでいた。
「……少し考える時間をくれ」
弱々しく振り絞って出された声は、無駄に広いブリッジに消えていった。
しかし、真里亞を待ってくれるモノは何も無い。
アラームが何重にも鳴り響く。
天音がレーダーを見ると、桁違いの熱源反応がカーミラに近づいている。
編隊を組んだドローン型が空を埋め尽くす様にカーミラの周りに集まり旋回している。
その中に特異な反応が1つあった。
それはカーミラの
真上に居た。
男とそーだは違和感に気付く。
上空は分厚く暗い雲が渦巻いている。
雷鳴が鳴り響き、明滅している。
しかし、雨は降っていない。
轟音の様な雷声と共に渦は霧散し、雲に大きな孔が穿たれる。
分厚い雲の長い孔の先は雲一つない青空と、孔の中心にソレは居た。
ソレはロボットだったが、地球上の存在で無い事は誰でも一眼見ただけで理解出来た。
大きさもカーミラとほぼ変わらない。
人型で龍の様な尾がある事以外はロボットの構造に違いは無い。
巨大なのに継ぎ目の無い装甲、コックピットの代わりに胸部に填められている金属の真球が地球に存在しない技術である事を物語っている。
真球の表面で光っている一点の光はまるで目の様にカーミラを冷たく見下していた。
ソレはただそこに存在するだけなのに、凄まじい威圧感を放っている。
まだ距離もある、動いても居ない、ただそこに君臨しているだけだ。
そーだはプレッシャーにやられて、怯えて震えている。
男もソレから目を離せなかった。
ソレは死そのものと言っても過言では無かった。
呼吸が浅くなり、寒気を感じ、男は無意識に震えていた。
筋肉は死後硬直の様に硬くなっている。
男は意識して深く息を吸う。
狂いそうなプレッシャーから意識を保つ。
ソレは光を大きくする、その刹那、カーミラに向かって落下し始めた。
ソレの手元から小さな筒が現れる。
筒はソレの掌で回転しながら、金属音を鳴らし、伸びる、そして、片方の端が三又に分かれ、先からビームの刃が形成された。
ソレはトライデントを掴み、下に向け、ブースターで加速しながら落下し続ける。
上空から飛来するソレ、周囲を旋回するドローン型、下は海、カーミラに逃げ場は無い。
「そーだ!」
男はそーだに強く呼びかける。
そして、操縦桿を全力で引いた。
トライデントの刃はカーミラの前を紙一重で通り過ぎて行く。
一瞬、男とソレの目が合う。
ソレはカーミラの目の前で止まった。
ソレは落下の凄まじい速度をブースターで相殺し、ありえない事に止まってしまったのだ。
「しまっ……」
男が言い終わる前に、ソレの龍の様な尾が回し蹴りの様にカーミラに叩きつけられる。
金属同士が叩きつけられる不快な音に、コックピットを揺らす重い衝撃
万全な防御態勢を取れなかったカーミラは吹っ飛ばされてしまう。
飛ばされながらも、なんとかカーミラは正面にソレを捉え続けている。
ソレはトライデントを構えながら接近し、カーミラに追撃を放つ。
トライデントの一刺しをカーミラはクリムゾンウィップを剣の状態にして重い一撃を受ける。
ビームの衝突により激しい閃光が走り、カーミラは弾き飛ばされた。
カーミラの計器が著しい出力の低下を示している。
次の一撃は防いだとしても致命症になりかねない。
「……そーだちゃん! パイロットさん! 返事をしてください!」
通信機からノイズ混じりの天音の声が聞こえる。
「不味い状況なのは分かっている。そーだ、システムを使え」
博士は早口になっていて、焦りが出ていた。
(システム……?)
そーだは返事をしない、呼吸をするだけで精一杯だった。
そんな中でも目前のソレは追撃を止めない。
先程までと変わってトライデントの狙いはクリムゾンウィップを持つ右腕になっていた。
クリムゾンウィップで防御する度にカーミラの右腕が悲鳴を上げている。
弾き飛ばされる度にカーミラの出力が弱くなっていく。
(右腕を破壊する気か)
プレッシャーだけでは無い、明確な敵意と害意を感じる。
ソレとドローン型との明確な違いであり、敵対意思を持つ生物であると。
男は歯を食い縛る。
痛ぶられている、力の差を叩きつけられている。
トライデントがクリムゾンウィップをすり抜け、右腕の装甲を掠る。
男はそーだを見る。
涙が頬を流れている、手も震えている、吐き出しそうになっているのを堪えている。
恐怖に必死に耐えている。
男の手に力が入る。
(僕は……)
トライデントの刺突をカーミラが身を捻りながら回避する。
(何の為にカーミラに乗ったんだ!)
カーミラは回避の勢いのまま前転をする。
(救世主じゃなかったとしても、何の力も持ってなかったとしても)
カーミラの不意な動きに警戒したのかソレの動きが止まる。
(期待されたんだ。博士やそーだの最後の期待なんだ)
顔の前にカーミラのヒールがあった。
「勝ってみせる!」
ソレの顔面に回転のスピードを乗せたヒールを叩き込む。
「Giiiiiiii!!!」
致命傷にもならない、装甲に傷がつくかどうかレベルの一撃だったが、ソレは壊れた機械の様な叫び声をあげ、怯み、逃げる様にカーミラから距離を取る。
そーだは目を見開く、何が起きたのか理解できなかった。
「蹴り飛ばし……ました?」
人類を壊滅に追いやった天敵を蹴り飛ばした。
そんな事があり得るのだろうか、とそーだはソレと男を交互に見る。
予測してなかったであろう反撃に遭い狼狽えている様に見えるソレと苦い顔はしているものの冷静な男の顔は対照的に見えた。
「そーだ! システムを使え! やらなければならないのは分かっているだろう! 私達を守る為に何人が死んだと思ってる!」
博士の憔悴しきった怒号が聞こえてくる。
そーだはシートベルトを調節して体ごと振り向いた。
そーだと男の視線が交わる。
男が操縦を止めると、カーミラは背中から落下し始めた。
「カーミラにはブラッドフュールシステムというシステムが搭載されているんです。それは、私達の血を燃料にして、とてつもない出力を出す事が出来るんです」
枷に付いているチューブは血を吸引する用途があったようだ。
「ブラッドフュールシステムは、単純なシステムでは無いんです。戦闘中に血を排出するという行為は、ほとんどの人間には耐えられません、ほとんどの人は錯乱して気絶します、そして、多くの場合、後遺症が残ります」
モニターにトライデントの光が見える。
ソレは追撃の為に落下するカーミラに迫っていた。
そーだはタブレットの画面に映ったボタンを押し、大きく息を吸い込んだ。
「ダーリン、私と、ぐちゃぐちゃに溶け合ってくれませんか?」
そーだは男に手を向ける。
そーだの顔は火照り、甘い吐息が漏れる。
これはシステムが準備段階に入った証拠だ。
耐え難い恐怖に耐える為には興奮に書き換えるしかなかった。
そーだには言って無いことがあった。
ブラッドフュールシステムは、パイロットの血をパイロットの情報を生体ユニットである『そーだ』自身に書き込む必要があった。
パイロットの負荷を軽減し、状態をつぶさに確認出来る状態にすることが目的である。
しかし、他人のデータを書き込む事は生体ユニットであるそーだにかなり負担がかかる。
そして、書き込まれたデータは削除する事も出来ない。
そーだは博士の言葉を思い出した。
「2人目を書き込もうとした時点で脳が耐えられないだろうな。だから、自分達で運命を託す1人を選んで良い」
それはまだ研究所に居たときだった。
100人を超えるパイロット候補が居たが、誰1人として、システムのシミュレーションにすら耐えられなかった。
誰もが発狂し、そーだや博士に向ける視線が変わった。
吐き捨てられた言葉や侮蔑の視線は忘れられない。
(ありがとう、博士)
そーだは目を閉じた。
ただ彼の返答を待つだけだった。
男はそーだの手を取る。
「僕は、そーだを信じるよ。全部受け止める」
そーだは少しの間だけ指を絡ませた後、男に抱きついた。
「今からカーミラと同期します、だから、私を守ってくださいね。ダーリン」
そーだは淑やかに妖かしく囁き、目を閉じた。
「ブラッドフュールシステム、起動」
男とそーだの手の枷から針が出て、血管に刺さる。
血が抜かれていくと同時に、男の視界の端が赤黒く染まり、視界を埋め尽くさんと侵食していく。
体が強張っている、血を排出することを拒否している、この先は死しか無いと脳が叫んでいる。
カーミラの全身に血が巡り、渇きを癒している。
男は目を閉じた。
カーミラが水面に叩きつけられるまで残りは数秒しか残っていない。
カーミラの全身の装甲が開き、小さな溝を作る。
顔面のバイザーが分かれて、カーミラの本当の顔が出てくる。
涙の跡の様な小さな溝から、赤い液体が溢れ、霧散する。
男が目を開く、敵以外には何も写していない。
ソレはトライデントをカーミラの胸に突き立てようと大きく振りかぶって、突きを繰り出す。
しかし、カーミラの胸にトライデントが突き刺さることは無かった。
クリムゾンウィップが防いでいた。
海面ギリギリを背にしてカーミラが静止している。
トライデントの一撃を受けても弾き飛ばされること無く止まっていた。




