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奪う者、守る者

 アベルの手に落ちたフレディ。記憶を奪い、心を封じる初期化の魔の手が彼へと迫る。

 廊下に響くのは機械の歩行音とマミの足音。

 普段のマミならば、誰かの部屋を訪ねるときはノックをして相手の返答を待ってから入室するが、今の彼女にはそんな余裕もなかったのか、部屋の扉を勢いよく開けた。

「一度マミにちゃんと話してから動いた方がいいって!」

 ルナの怒声が響く。マコは眉を顰めたまま、ソファーから立ち上がろうとしていた。

「そうしてる間に、皆に被害が及んでいるかもしれないだろ⁉」

「あんた怪我してるの分かってる⁉」

 正論を真っ向から浴びせられ、マコは言葉に詰まっていた。

 ……マミは軽く咳払いをし、自分が入室してきたことを伝える。

「……姉さん⁉」と気づいたマコが振り返る。

 マコは包帯だらけの姿にもかかわらず、どこか焦燥の色を浮かべていた。

「……検査、終わってたのね」

 マミはマコの姿に安堵とも判断しかねる言葉で続けた。

「良かった……とは言い切れないけど」

「姉さん、聞いてくれ。フレディたちが、アベルに狙われてるかもしれないんだ!」

 マミはその言葉に即座に頷いた。

「私も同じことを伝えに戻ってきたの。アベルの会社に潜り込んで分かった。あいつはとんでもないニンゲンだった……フレディくんたちを()()()しようと企んでいるのもね」

「じゃあ……!」

 マコが立ち上がろうとするのをルナが止めた。

「落ち着きなさいって!」

「とにかく、皆の安否確認を――」

 マミが言い終えるよりも早く、マコは部屋の外へと飛び出していた。

「マコ‼」

 マコの背を追うように、マミとルナも廊下へ飛び出す。

 三人が向かったのは、フォルテたちが過ごしている部屋だった。

「皆、無事か⁉」

 ドアを開け放つなりマコが呼びかける。中ではフォルテたちが驚いた様子で振り返った。

「マコさん⁉」

「その包帯どうしたんですか!」

 次々に投げかけられる質問にマコは答えず、部屋を見渡す。

「……フレディは!」

 その問いにフォルテが首を傾げながら答えた。

「フレディなら……少し前にルナさんの部屋に行くって出て行きましたけど……?」

 視線が一斉にルナの方へと向く。

 ルナは瞬きを数回繰り返し、首を横に振った。

「フレディ……? 来てないわよ? 来たのはマミだけ……」

 そうルナが答えた矢先、近くの廊下を歩いていたスタッフボットが「ルナ様」と彼女を呼んだ。

「先程ヒト型のスタッフボットを見つけました。一体いつ開発されたのですか?」

 思いがけない報告にルナの顔が青ざめる。

「私……そんなの……」

「それってこのヒトに似てた?」とマミは自身の端末に保存していた写真を見せた。

「えぇ、その方でした。やけに大きな箱を荷台に乗せて、搬出しているようでしたが……」

 ピクリとマコのこめかみに青筋が浮かんだ。それに気づいたマミが端末を仕舞って、指示を出し始める。

「ルナはここに残って烏天狗警察に連絡を。マコ! あんたは一緒においで!」

「……言われなくても」とマコは返し、すぐさま踵を返した。

 騒然とした空気に、フォルテたちはただ呆然としていた。

「なぁ……何が起きてるんだ……?」

 パレッタからの問いに、ルナは三人を見てはゆっくりと口を開いた。

「……皆。今からとっても大事な話をしてもいい?」


 ――アベルは素早く会社の鍵を開け、荷台を押しつつメンテナンスルームへと向かっていた。

 積み荷に見立てた箱の中からは、小さなノイズが断続的に漏れているが、アベルは気にも留めなかった。

「もうすぐ着くから我慢しなさい」

 カードリーダーに専用のカードを通し、扉を開ける。部屋に入ったアベルは慣れた手つきで箱の蓋を開け、中から力の抜けきったフレディの身体を抱き上げた。

「悲しいなぁ、お前はニンゲンの頃から私の言いつけを守る良い子だったのに……」

 メンテナンス用の椅子にフレディを固定をしながら語るアベルの声には、どこか懐旧の響きがあった。

「本題に移ろう。あの精神科医……マコ、と言っていたかな? 彼には何を……どこまで話したんだい?」

「……何も……」

 掠れた声でフレディはそう返す。アベルは目を細めて彼を見た。

「嘘もつくようになったのか。すっかり悪い子になってしまって……少し、()()()()をしないといけないな」

 アベルはフレディの傍から離れると、棚からいくつかの道具を取り出し始めた。作業台の上に並べられていく道具は、どれも手慣れた動作で選ばれていく。

「心配せずとも、お前が眠っている間に全て終わるさ。あの日のようにね……」

 そう言ってアベルはフレディの髪を軽く掻き分け、彼の頭部にコードを差し込む準備を始める。

「そうだ……おやすみの挨拶は必要かな? もう聞き飽きたかもしれないが」

 フレディは身を捩った。しかし彼は思うように動けなかった。椅子の拘束具たちが身体を締め上げ、思考は未だスタンガンの影響で上手く回らなかったのだ。

 それでも――心は、声を上げていた。

(嫌だ……)

 マコに出会って、自分が()()()()()ことを知った。忘れていたものを取り戻し始めていた。なのに――また全部消されてしまうなんて。

 胸の奥が軋むように痛い。フォルテ、メアリー、パレッタ。自分がいなくなったら、三人はまた()の手に。

(そんなのダメだ……誰か……誰か――)

 アベルが手を伸ばし、フレディの電源ボタンに指をかけた、その時――。

 ガンッ! と凄まじい衝撃音がメンテナンスルームの扉を揺らした。

「……?」

 アベルの手が一瞬止まると同時に、ノックとは違う打撃音が連続して響く。

「一体何だっていうんだ……」

 アベルが警戒の声を溢した次の瞬間、厚い扉が外側から破壊され、重く鈍い音を立てながら前のめりに床へと倒れる。

 白い煙のような粉塵の向こうから姿を現したのは、包帯だらけの青年――マコだった。

 普段は柔らかく微笑むその顔に、今は怒気を帯びた鋭さが宿っている。

 マコの姿を見たアベルは呆れつつも、嘲笑うように言った。

「……驚いた。てっきりまだ病院にいるものだと――」

 アベルが言葉を言い終えるよりも早く、またも鈍い音が鳴った。

「っ……?」

 フレディが瞑っていた目を恐る恐る開けると、アベルが作業台の近くに吹き飛ばされていた。

「……生身じゃないから痛くもなんともないだろ」と吐き捨てるマコ。彼の左手はうっすらと赤く染まっていたが、本人は気にもしていなかった。

 マコはアベルのもとへ一言も声を発さず、距離を詰め始める。その様子はまるで修羅のようで、アベルは冷や汗が背筋を伝っていくような、今や感じることの無い感覚を味わっていた。

「……おい」

 マコが漸く口を開いた。

「フレディを解体した後は、フォルテたちも回収して同じように解体するんだろう。……二度も他人の人生を奪うつもりか? 奪って良いのは、自分も何かを奪われる覚悟がある奴だけだぞ」

「ッ、ハハ……! 人外が倫理を語るのかい……実に滑稽だ……!」

 アベルは挑発するように言いながら、作業台の端に置いていたドライバーを手に取る。

「これは私たち()()の問題なんだ……余計な口は挟まないでもらおう!」

「そんなに焦っちゃ、仕留めたいものも仕留められねぇよ」

 マコは呆れを含んだ吐息を漏らし、一歩踏み込んだ。

「――心の傷を広げるつもりか、この外道」

 静かな怒声と共にマコの足が跳ね上がり、アベルの手からドライバーを弾き飛ばした。金属音だけが室内に響き、アベルの身体が僅かに揺れる。

 マコは流れるような動きでアベルの手首を掴み、背を取ってそのまま床へと投げ倒した。

「俺に大怪我を負わせて動きを制限したかったんだろうが……残念だったな」

 投げ倒されたアベルが呻き声を漏らすのを聞きながら、マコは静かに言葉を紡いだ。

「患者の心を治すと決めたら、何があっても治す……それが俺のスタイルだ」

「これくらいじゃ俺は止まらない。他人と関わるのを止める理由にはならねぇよ」

 そう告げるマコの瞳は、フレディをまっすぐ見据えていた。

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