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ミシハセ  作者: 金子よしふみ
第二章
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 作屋守は鬼太鼓を見た。それは当地の民俗、そうだな、舞踊に当てはまるのだろうか。バチを持ち、舞い、和太鼓を叩く。あれが鬼だと言う。角が生え、耳にまでと見えるくらいに裂けた口からは鋭利な牙がある面。乱れた髪、腰巻。虎柄のパンツではない。古びた民俗的な衣装。胸当てには巴紋が色あせてはいるが見える。あれが鬼だと言う。太鼓の反対側ではやはり衣装をまとい、袖口を紐で結び、鉢巻をし、威勢のいい掛け声とともに両手のバチでリズムのある乱れうちをする若人が。鬼は舞いながら、あるテンポごとに撥で太鼓を叩く。あれが鬼だと言う。その周りを何人かの男が提灯を持って、これまた何事か発破をかけているのか短い発声を時折入れる。観客は拍手する。恐れていない。鬼を斬る侍も忍者も剣豪も現れない。ずっと鬼は舞い、太鼓を叩き続ける。太鼓が止む。終了。万感の拍手だ。鬼は斬られなかった。後から理由を知った。鬼太鼓の鬼は悪ではない。厄払いをしているのだそうだ。鬼だからこそできる厄払い。厄を払ってくれるなら鬼でもかまわない。おひねりをもらう鬼。あれが鬼だと言う。作屋守はあっけにとられた。同時に、あっけにとられてしまった自分がいかに偏見を持っていたのかを痛感した。いや、無知だった。鬼のことを知らないのだ。桃太郎に逆襲された鬼。酒呑童子とかも聞いたことがある、結局斬られたんだと。漫画とかアニメとかでも超常的な力を発揮するのは征伐された鬼の遺物の行使とか。得た力は人のものではない。討伐すべき対象だった異常のものだ。それは結局はなんだかわからない姿なわけだ。

 ふと思い出したことがある。今更だ、本当に。けれど、どうでもいいようなとっくに忘れてしまったはずのものは、こういう時に思い出すのだ。

 鬼を英語で何と表すか。evilとかdemonとかmonsterとか。それこそ漫画やアニメやゲームで知った英単語で表すのだろう、そんな風に思っていたら、教えられた、itだと。

「いや、itって『それ』じゃん」

 素直ではなかった。了解できなかった。逐語的な単語の暗記の弊害だった。itが意味する内容を理解しようともしてなかった。「it=それ」と習ったから、簡単に覚えられたから辞書で調べなおそうとさえも思わなかった。itが不定代名詞と称されるのを知ったのも中学生の頃ではない。高校生の頃にはフテーダイメイシと呼ぶ単語は聞いていただろう。しかし、不定代名詞を理解できたのはずっと後だった。何かと断定的ない具体的なものではないのだ。それが鬼。

 大学で中国語を習った。鬼の語源を知った。これも今更思い出したことだ。なにせ中国語の成績は及第点をちょっと上回ったくらいだ。しかも鬼なんて語なんて発声練習にはなったかもしれないが、テストに出たかさえ記憶にない。余談の一つだったのだろう。鬼の話なんてのは。鬼は死者を表した、それが古代日本に輸入されて、陰陽道とかなんやかんやの変化で角、牙、赤青、虎パンツの姿になったとか。だとするならば、とはまさに今更になってというか今になったからだからこそ考えることなのだが、鬼が死者というのなら、具体的ではないか。なんもどこにも未知だの不詳だの非特定だのはない。死者という属性がある。魂の抜けた肉体、それが死者だろうか。動かなくなった身体。声も匂いも癖も何もがなくなった体。名前を消去した個性だから、一人一人を無視し、十把一絡げにして心臓が動かなくなった、呼吸をしなくなった者だからもう特定ではない、と言えなくもない。だからit。が、どこか腑に落ちないのはなぜだろうか。聖徳太子なんぞの名の男はいなかった、と言う話があるそうだが、執政に取り組んだ人はいる。名前がどうであろうと、法隆寺は建立された。しかも、作屋守にとって聖徳太子と呼ばれていた誰彼は先祖でもなければ、歴史研究の対象でもない。けれど、彼は鬼ではない。少なくとも作屋守はそうとは呼ばない。ましてや、数年前に亡くなった母方の祖父は鬼ではない。幼いころ、帰省した際にタイミングがハロウィンに近かったせいか、祖父が被り物をしていたことがある。馬の被り物だ。驚くと言うか、引いてしまったが、馬の顔をした鬼ではない。厳しいところがあったから、鬼とは思ったこともある。けれども、それは象徴である。まさに代名詞としての使い方である。しかも、その時当然ながら祖父は生きていた。何者かわからないどころか、死者でもない。

 ましてや、死者と言うならば、死霊や幽霊の類はいかん。あえて言うならば悪霊なのだろうが、鬼が悪霊と言うならば、あるいは悪霊が鬼と言うならば、いや言うならばではなく、鬼と呼称する必要はなくなるのではなかろうか。

 けれども、鬼は存在する。実在するかどうかは見たことはない。聞いたことはある。こうして伝承も文献も残っている。時折、新種の生物が発見されたとのニュースが出る。ならば、鬼がトップニュースになる日もあるのかもしれない、などとゴシップにもならないくらいのネタはこしらえる前に単なるフレーズ止まりだ。ツチノコの方が早く発見されるだろう。

 頭に皿のある、きゅうりをよく食べる、相撲が得意の水棲の者を鬼とは呼ばない。そこの家を富豊かにする座敷に住まう童を鬼とは呼ばない。上半身が人間で下半身が魚の海にすむ生命を鬼とは呼ばない。鬼は恐ろしいのだ。けれど、恐竜は鬼ではない。満月になると狼になる男は鬼ではない。冬の煌めく夜空が恐ろしいと思うことがある。けれど星空は鬼ではない。透き通るほどの肌の淑やかな作法の人を恐ろしいと思うことがある。けれど鬼ではない。いや、鬼なのかもしれない。人ではないと思わせるからだ。わからない。けれど、その時鬼と呼んでしまう対象は確かにいる。実体であろうがなかろうが。人の及ばぬ厄を払うことのできる力を持つのはやはり鬼なのかもしれない。


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