酔いの中
自宅でビールの缶を開け、また飲み始める。リサに似た川村とは近いところまで帰路を共にした。彼女の香りはやはりリサに似ていた。いや、リサそのものだった。何を話したか思い出せないのは単に酒に酔っていたばかりではないし、シャワーを浴びてそれから覚めたからばかりでもない。川村はぎこちなく作屋守の話に合わせていた感じはないし、リサよりも大人しい、言葉少なだった。三百五十ミリリットルの半分も飲んでいないのに、ふらりと視界が歪んできた。
リサに似た川村に交際を申し込もうか、その告白はリサに似ているから? 会ったばかりのその人に芽生える好意の理由がそれでいいのだろうか。それは果たして本当の好意だろうか。川村のことはまだ何も知らないじゃないか。いやいや、リサだって素性とか住所とかよく知らないままに席を並べていたではないか。酔いは泡沫のような妄想を生む。告白すれば、もう一度あの夜を味わえるのだ、と思えると逸って仕方がなかった。どうしても彼女を手にしたい。軍師か、あるいは智将か、はたまた悪魔とかに匹敵する思慮をはかった。まずは、彼女に恋人がいるのか確認しなければならない。いるとしたら、奪い取るまで、合法的だろうが非合法だろうがとさえ思った。また相手を殺してでも、とさえ思った、社会的にであれ、実際的にであれ。その殺害は確実に秘匿されなければならない。明るみに出て身柄を拘束でもされてしまったら、彼女との時間が奪われてしまうからだ。妄想はもう非常にリアルな画面、いや映像になっていた、もはやゲームじみているほどに。その一つに彼女を犯すシーンすらあった。そのけだもののような行為でさえ、今はありえると、起こしかねないと動悸が告げていた。獰猛さは男らしさではない、生物としてオスであると否応なく思わされた。行為は生殖のために行うもの、それなのに彼女を犯すというのはそれとは違う気がしてならなかった。快楽のため、たぶんそうなのだろう。けれど体裁のために言わせてもらえるのであれば、快楽とも違っている気がした。彼女を辱め、他の誰にも交わらないように、自らのものにする、それとも違っている気がした。一体何なのだろう、何の目的で彼女を犯す衝動が沸き立ち続けているのだろうか。その目的を知るために彼女を犯すとでも言うのか。彼女を犯すことそれ自体が目的ではない、確実にその行為の結果としての目的があるのだ。それは分かっている、頭がそう理解している。それなのに目的が皆目分からないのだ。抱く/抱かれるという視点は主客二元論の残滓だった、またいつぞやと同じ思考にさいなまれる。いやむしろ芥のようでさえ思えた。犯せないのなら、『桜の森の満開の下』のように思った、女を殺す。それしかないのだ。いや、違う。自分の首が抱えられるのだ。リサにか、あるいは川村にか。だとしたら、一体だれが自分を殺すのだろうか、男は嫌だ、リサになら、川村になら、いや、違う。リサの首を、川村の首を俺が抱えるのだ。やはり俺が女を殺すのだ。
自分がそんな所業に及ぶなんて信じられないと自制することができたのは妄想が終わって、呆けた後、空腹で鳴ったからだった。
立ち上がってまずしたことは、変な腰づかいをしながらズボンをパンツごと一緒くたにしてあげ直すことだった。
こんな自分はやはりあの子が睨んだようにミシハセになりはてるのかと自虐した。




