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ミシハセ  作者: 金子よしふみ
第二章

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『桜の森の満開の下』

「そういえば」

 二日酔いの頭ながら、思い出したことがある。

 リサに一冊を薦められていた。ミシハセの話しのどういういきさつだったか思い出せないが、確かに『桜の森の満開の下』を紹介された。

「坂口安吾か」

 作屋守は本の虫ではない。が、時間つぶしの一つに本屋をふらりと立ち寄って文庫を買って読みもする。芥川龍之介や太宰治や宮沢賢治や、そんな有名どころの主に短編から中編を。ランチの後リビングで読んでいて寝落ちしてしまって続きを読むのが億劫になって、年末の大掃除になって「そういえば」とカラーボックスの本の並べ替えで続きを今更読み返そうとしてすぐに片してしまったりする。坂口安吾なんてのは「『堕落論』だっけ」てな具合で読んだことはないどころか、触れて来なかった。

「『不連続殺人事件』、聞いたことあるな。『白痴』、ああ、あるある」

 とウィキペディアで坂口安吾を検索して作品名をたどる。『桜の森の満開の下』のサイトを開こうとして指を止めた。次にショッピングサイトでタイトルの検索をした。文庫がある。カートに入れようとして指を止めた。到着予定日を見て、

「長いな」

 せっかくリサに薦められたのに待ってはいられなかった。注文して到着するまでの時間を「待て」とじらされるのは耐えられそうにない。

 作屋は初めて青空文庫を訪れた。さまざまな物語や詩、評論など著作権フリーの作品を掲載しているサイト。そこで、坂口安吾と検索する。ある。『桜の森の満開の下』。ダウンロードした。テキストファイルをコピーしてwordを開いて貼り付け。書式を縦書きに直してから印刷した。ダブルクリップで右肩を止め、読み始めた。作屋守はこんなふうには読まないスタイルで読んだ。普段作屋守はカフェテラスで足を組んで肘に角度をつけて読むとか、片手を顎に当てながらフムフムとでも効果音が出るのではないかという態勢で読む。ところが、今回は違った。『桜の森の満開の下』を読む時、作屋守はまるでとり憑かれた物書きが一心不乱に紙に向かうようにして、挑みかかっていた。手の力は紙を立体図形に変えるのではないかというくらいに、視線はレーザー光線を掃射するかというくらいに。すぐにシャープペンを持った。線を引く箇所があった。○で囲む箇所があった。線分と線分を矢印で結んだ。余白に自筆をメモした。ページ番号を挿入してあったから「P○の二行目と~」なんてことも書いた。実は作屋は小説に線は引かない、性分と言えばそうだった。新書には容赦なく線や付箋をする。小説は、ハードカバーでも文庫でも線は引かない。付箋をつけることはあった。なぜか、と誰にも聞かれたことはなかったし、自分でも省みることもなかったが、なんとなくというのが理由と言えばそうだろう。だから、なぜ線を引いているのか自分でも「ここが大事だから」とでも思えればいいのだが、そうだとすると「なぜ、そこがどういう意味で『大事』になるのか」とまた別の疑問が浮かぶ、切りがない。だから、線を引くことも、○で囲むことも、線分と線分を矢印で結ぶことも、メモ書きを入れることも、それはこの作品を解体することでも、読解することでも、ましてや批評するなんて意図はまるでなかった。あえて言うならこの作品の中から何かを探り出そうとしていた、とでもしておくしかない。

 読み終えた。男が女を鬼であったと気づくラスト付近の行を睨んだ。

「作屋守は気が付いた。リサが鬼であることを」

 呟いてみた。作屋は笑んだ。冷笑だった。安直すぎる。それに、本当に鬼ならばそんなネタバレになるようなヒントになる本を紹介するかね、と自嘲した。

 いや、ちょっと待てとコーヒーの苦い吐息が振り返らせる。自分は何を調べていたのか。ミシハセではないか。鬼ではない。いつの間にかミシハセ=鬼と勝手に決め込んでいた。よくかき混ぜていなかったのだろう。飲み干したコーヒーは底の方がやたらに苦く感じた。


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