番外編 4
コツコツと靴を鳴らして道を急ぐ。
柔らかな日射しが体を温め、ほんのりと汗がにじむ。
まさかコンビニであんなことになるなんて思ってもみなかった。
ーーやっぱりこの仕事、嫌いじゃないんだよね……。
おばさんは涙を流しながら、私を見つめて感謝の言葉をかけてくれる。
「ありがとうございます。あなたが居合わせて本当によかった」
もちろん、それは救急隊がそう話したからだけれども、やっぱり嬉しかった。
病棟でもそうだ。
「ありがとう」
この言葉は私をこの仕事から引き留める。
体力的にも精神的にも辛くても、まだ頑張れると思えてくる。
穏やかな午後の光を受けている、彼の待つ、コンビニに入る。
「いらっしゃいませー」
店長さんの声が聞こえる。私はにこりと頬を弛めて、店内を見渡すけれど、探し求める姿は見当たらなかった。
「……店長さん」声をかけようとした店長さんの姿も見当たらず、ぼんやりとコンビニのレジの前にたたずむ。
お客さんは誰もおらず、私は一人きりでどうしていいかわからなかった。
奥からふらりと明るい茶髪の店員さんがやってきて、ニカっと歯を見せる。
「おー!お姉さんっ、お疲れ!あのおっさんどうだった?大丈夫か?」
「あぁ、うん。救急車の中で呼吸も脈拍も戻って、病院で詳しく原因を調べてるところ」
「そっか」
店員さんの後ろから彼は現れて、思わず頬が緩む。
「綾音さん、お疲れ様」ニッコリと微笑む彼に歩み寄るけれど、その黒目がちな瞳が揺れている。
どうしたの?そう言葉にしようとしたときに、店員さんの声がかかる。
「お姉さんっ!」ピシリと姿勢を正して、真っ直ぐに見つめられ、思わず足をとめて店員さんに向き合う。
「はい?」
「さっきの……、マジでむっちゃ、かっこよかった。マジでホレました。オレと付き合ってくださいっ!」店員さんはスッと右手を差し出す。
「は?何?」
訳がわからない。店員さんの差し出された右手をじっと見つめる。
「ちょっと待ったーー!」レジの奥から、ポヨンとお腹を揺らせて走ってくる。
「えぇ?店長さん?」
「初めて見たときから、好きでした。結婚してくださいっ!」紅潮した頬、少し潤んだ瞳が向けられるけれど、私はどうしていいかわからない。
「なんだよっ!店長!はいってくんなよ!……しかも何で結婚なんだよ?」
「いいんだよ!」
「焦りすぎだろ?おっさんがっ!」
「黙ってろ」
店員さんの横に並び、店長さんまでピシリと姿勢を正して、右手を差し出す。
「はあ?何?どういうこと?」
助けを求めるように奥にいる彼を見つめると、真っ青な顔をして目を見開いて、呆然と立ちつくしている。
「おいっ!いいんだなっ!お前はいいんだな?」
店員さんの鋭い声に彼は、ハッとしたように肩を揺らして、キュッと目を閉じる。
「綾音さんっ!」彼も二人に並ぶ。
「ここはちょっと待っただろっ!」店長さんの言葉の意味は掴めない。
「綾音さん、僕はずっと一緒にいたいんです。あなたのそばにいたいんです。何の助けにもならないかもしれません。でも頑張ってるあなたのそばにいたいんです。……結婚してくださいっ!」
彼は深く腰を折る。
「バカっ!右手を差し出すんだよっ!」
「店長!黙ってろ!こだわってんじゃねぇよ!」
いったい何の趣向なのだろうか……。何かの寸劇なのだろうか……。
レジの前にピシリと並んだ三人の差し出された右手、このどれかを選ぶということなのか……。
「えっ?もしかして、三択なの?」
「……」
彼は一瞬、顔を上げて、ちらりと見てまた、うつむいている。
けれども、耳が伏せられ、尻尾はだらりと垂れ下がっているだろう雰囲気が漂っている。
私はそっと彼の頭を撫でる。
そして、その手を握った。
「喜んで」
彼は顔を上げて、パッと周りが明るくなるような笑顔を見せて、強く私を抱き締める。
「綾音さんっ!好きです、大好きです。ずっと大事にします」
ドサッ!
店長さんが床に突っ伏してしくしく泣き始める。
「……何やってんだよ?店長、仕事しろよ?」
「……うん」
「出来レースだろう?」
店員さんの呆れた声が響く。
「…………うん」
「もしかして、もしかするとでも思ってたとか?」
「……」
「ハハハハハっー!!バカじゃね〜の?あいつもお姉さんもデレデレのデレデレじゃね?ハハハハハっー!!」店員さんは体を曲げて、文字通り腹を抱えて笑い、腹が痛てぇと肩を震わせている。
「……もしかしてもしかするかもしれないじゃないかーー!……ちょくちょく来てくれるし、いっぱい売り上げ貢献してくれるし、俺の顔を見たら、ニコッと笑ってくれるし……」涙のにじんた赤い目をして、店員さんの足にすがっている。
「いや……、ちょくちょく来るのはお姉さんの食生活が貧しいからで、売り上げに貢献するのも、そのせいで。……笑うのは社交辞令だろ?……あんた、その発想、マジでヤバくね?」
「綾音さん……、あんまり笑わないほうがいいんじゃ?」
「はぁ……」
彼の腕が緩み、その胸から離れると、急に恥ずかしさが込み上げてくる。慌てて少し距離を開けようとするけれど、彼の手が腰に回る。
彼に手を引かれて、ゆったりと歩く。
日射しはポカポカと暖かく、彼の手も、眼差しも、私を心の奥から包み込む。守られているような感覚に身を委ねる。
ーーこんな風に二人で歩いて行きたい。
「こんな風に歩いて行きたいね」ポロリと思いがこぼれてしまう。
彼はなんてことのないようにニッコリと笑みを浮かべ、繋いだ手を一瞬、ぎゅっと握る。
「そうだね。……僕は、雨でも雪でも雷でも、いつも綾音さんのそばにいるから。辛くても、しんどくても、笑う綾音さんのそばにいたいから」
彼はわかっているのだろうか。その言葉は私の心を温かいものでいっぱいに満たすことを。
「……そういうところが、すごく好き。私の全部、丸ごと認めてくれてるみたいで、すごく嬉しい。……本当に私でいいの?何にも出来ないよ?家事だって得意じゃないよ、料理はどっちかっていうと苦手だし、……年上だし」
「僕は綾音さんがいいから。……家事も料理も、出来るほうがしたらいいと思うし、年はたった三つだし、そんなの構わない。……僕のほうこそ、何も出来ない。転職したら、収入も少なくなるだろうし……」
「何も出来ないことなんてないよ?私が辛いとき、声かけてくれるじゃない?さっきだって、やったことなかったのに代わってくれたじゃない、心臓マッサージ。……前の鍋のときだって、女の子に好きだからってちゃんと言ってくれるじゃない?そういうの、本当に嬉しいよ」
彼は歩みを止めて、くるりと私に向かい、柔らかく繋いでいた手をぎゅっと強く握る。
彼の黒目がちの瞳は一瞬、少しだけ伏せられたけれど、強く真っ直ぐに私に向けられる。
ニコリと頬を緩めて彼は言葉を紡ぐ。
「……綾音さん、僕と結婚して下さい」
彼の明るい笑顔が私を照らす。
この笑顔をずっと見ていたいと思う、この手をずっと握っていたいと思う。……心から。
「よろしくお願いします」
これにて、番外編完結となります。
読んでいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけたでしょうか。
本編のラストを書いたとき、
ネタにした「ねるとん紅鯨団」です。
もう少し、年代を問わずにわかりやすいラストにしようかと思ったのですが、やっぱり思い付かなくて、自己満足優先してしまいました(;´д`)
後、番外編のおまけを1話追加予定です( ´∀`)