62食目 夕暮れの公園
「じゃあ、今日から少し負荷を上げていこうか」
立った状態で揺れが出ないのを見て、賢崇は短く言った。
蓮はマットの中央に立ち、足幅を整える。骨盤と肋骨の位置を揃えたまま呼吸を通すと、腹部の奥に圧が残り、体の内側だけで支えが立ち上がる。
「そのまま、片脚に乗ってみようか」
蓮は重心を右へ移し、左足をわずかに浮かせる。支点が片側に寄るが骨盤は傾かず、呼吸の流れも崩れない。吐き終わりでも圧は抜けないまま残る。
数呼吸維持するが、揺れない。
賢崇が一歩近づく。
「少しだけ押してみるよ」
肩口に指が触れる。押すほどの力ではないが、外へ逃げる方向が一瞬だけ生まれる。蓮の体がわずかに揺れる。
だが、崩れない。
呼吸を止めず、圧を残したまま支点を戻す。
「……今の、外に逃げかけたね」
「はい」
「でも戻した。力で固めてない」
蓮は何も言わず、そのまま維持する。
賢崇は反対側に回り、今度は背中側に指を当てる。わずかに強く後方へずらす。体が一瞬だけ遅れるが、呼吸を合わせるとすぐに戻る。骨盤は落ちず、支点も崩れない。
「いいね。戻れるようになってる」
蓮はゆっくりと足を戻し、もう一度同じ姿勢に入る。今度は最初から揺れが小さく、外へ逃げる前に内側で収まる。
賢崇は腕を組む。
「支えるだけじゃなくて、戻せてる。ここからが使える状態だね」
蓮は短く頷く。
壁際では椿がノートに視線を落とし、ペンを走らせている。視線を上げるのは、揺れが出て戻るその瞬間だけで、記録のタイミングに無駄がない。
「反対もやってみようか」
蓮は続いて左脚に乗る。わずかに揺れが出るが、呼吸を合わせるとすぐに収まる。
賢崇は間を置き、同じように肩へ触れる。今度は内側へ崩す。膝がわずかに内へ入るが、そのまま戻る。足裏で踏ん張るのではなく、骨盤の位置だけで修正が入る。
「……左右差はまだあるね。でも問題ない範囲だ」
蓮は姿勢を戻し、呼吸を整える。
「もう一段、負荷を上げてみようか」
賢崇がマット中央を指す。
蓮は仰向けに入り、膝を立てる。骨盤と肋骨を揃え、呼吸を通すと前日と同じ位置に支点が合う。
「そこから、片脚上げて」
蓮は右脚を浮かせる。支点が片側に寄るが骨盤は傾かない。吐く。圧は残る。
賢崇が膝の外側に触れる。わずかに揺れるが、呼吸を崩さずそのまま戻る。
「いいね。そのまま」
数呼吸維持する。揺れない。
戻して、反対側。同じ動作に入る。今度は最初から安定する。
賢崇は一歩下がり、全体を見る。
「……入ってきたね」
蓮は視線だけを上げる。
「崩れないんじゃなくて、崩れても戻る。この段階に来ると、上で余計な調整がいらなくなる」
蓮は何も言わず、もう一度同じ姿勢に入る。呼吸、圧、支点、その三つが揃い、揺れが出ても内側で収まる。
壁際で椿のペンが一度止まり、短く書き足される。
賢崇はそれを見てから、蓮へ視線を戻す。
「明日からはここを基準にしよう。様子を見ながら、負荷はこのまま少しずつ上げていこうか」
蓮は頷き、姿勢を戻す。
マットから足を下ろし、立ち上がる。さきほどまで意識していた支点がそのまま残り、力を入れていないのに身体が内側で揃う。
一歩踏み出す。接地の衝撃が上へ抜けず、股関節で収まり、そのまま体幹で受け止められる。
蓮はその場で留まり、重心を同じ位置に収める。呼吸を通すと、立った状態でも内側の支えが崩れず、わずかな揺れは外に出る前に消える。
蓮はその位置で止まり、呼吸を重ねるごとに揺れを内側でほどいていった。
その日のトレーニングは、いつもより早めに終わった。
トレーニングの器具を片付けていると、賢崇が話しかけてきた。
「天根くんは、最近ボールに触ってるかい?」
「いえ、持ってきてはいますが、触れてないです」
その言葉に、賢崇は少し考え込む様子を見せた後、
「なら、これから行ってくるといい。
今日のトレーニングも負荷を上げたとはいえ、多少追加で運動しても大丈夫だよ」
「では、お言葉に甘えます。
近くにボール触れるような場所はありますか?」
「ああ、近くに広めの公園があるから、そこに行くといいよ。
椿、案内をお願いできるかい?」
壁際で今日の運動量をまとめていた椿に白羽の矢が立つ。
「いいけど、やり過ぎないように見張るから」
「ああ、わかってる」
2人は、近所の公園に向けて歩き出した。
公園は思った以上に広かった。
遊具で遊ぶ子どもたち、公園の一角でサッカーを楽しむ子どもたち、鬼ごっこをしてる子どもたちなど様々だった。
蓮は公園の隅のベンチに腰掛ける。
バッグからボールとスパイクを取り出し、履き替える。椿もその隣に腰掛け、蓮を見ていた。
「靴まで持ってきてたの?」
「ああ、やっぱり感覚違うからな」
「そう。私が帰るって言ったら帰るからね」
「わかってる」
そういうと蓮は軽くリフティングを始める。
30回、50回と回数を重ねていき、途中で高く蹴り上げた。落ちてきたボールが地面に触れる瞬間に足を被せ、完璧に収める。
「......なんか、前より収まりがいい」
再びリフティングから再開し、途中でまた大きく蹴り上げる。今度は回転をかけて。
回転をかけたことによりやや離れた位置にボールが落下するも、素早く接地点に入り、同じように収める。
「すげー!」
「お兄ちゃん、サッカー上手いな!」
「俺にもリフティング教えてよ!」
気づけば、子ども達に囲まれていた。
そうして始まった、即席のサッカー教室。
椿はベンチに腰掛けたまま、子どもたちと汗を流す蓮を眺めていた。
「ほんと、サッカーが大好きなのね。
まるで同い年の友だちじゃない」
その光景に、不思議と口元が緩む。
普段の競技とは違う一面。
今の蓮は、勝敗も評価もない場所で、ただ純粋にボールを楽しんでいた。
その姿が、何故か少しだけ心に溶け込んでくる。
夕暮れの公園に、子どもたちの笑い声と、乾いたボールの音が軽やかに響く。
椿はベンチに座ったまま、その輪の中心にいる蓮を見続けていた。
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