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46食目 先にいる

 選手権県予選、準決勝。

 対戦相手は誠和高校。今年三度目の対戦になる。


 ウォーミングアップの最中、蓮は視線だけで相手の布陣をなぞった。最終ラインの並びも、両サイドの位置取りも、これまでと大きな違いはない。やってくるサッカーは分かっているし、対策も頭に入っている。


 だからこそ、違和感はすぐに浮かび上がった。

 ボランチが二枚。そのうちの一人に、ほんのわずかだけ意識が引っかかった。以前の試合で終盤に投入され、マンマーク気味に食いついてきた選手だ。もう一人は去年から出ている二年生で、こちらも特別な驚きはない。


 ただ、その二人の並び方が、これまでとは違って見えた。


 ホイッスルが鳴り、試合が始まる。

 序盤、蓮はいつも通り中央でボールを引き出した。半身で受け、ワンタッチで前を向く。その一連の動作は崩れない。

 その瞬間、前に立つ選手と目が合う。


「――どうもっす」


 軽い声だった。

 蓮より一回りは小さい体格。だが、重心が異様に低い。足の運びが滑らかで、間合いに一切の迷いがない。


「今日は仕事させないっす」


 笑っているが、距離は詰めてこない。正確には、詰める必要がない位置を取っている。

 蓮は一瞬だけ視線を外して背後のスペースを確認し、そのままワンタッチで右へ展開した。パスは問題なく通る。


(……問題ない)


 次のプレーでも同じだ。再び中央で受け、今度は自ら持ち出す。半歩踏み込んだ瞬間、視界の端にもう一人の影が滑り込んできた。先ほどの一年とは別の選手だ。


 低い姿勢のまま横から距離を詰めてくるが、動きに無駄がない。


 蓮はボールをわずかに浮かせて接触を避け、そのまま縦へ抜けた。剥がすこと自体は難しくない。その流れのまま前線へスルーパスを通す。


 桐生が反応するが、わずかに足元が狂う。ボールがほんの少しだけ伸びていた。


(……触ってたな)


 視線を戻すと、さっきの一年は何事もなかったかのようにポジションへ戻っている。

 五分、十分と時間が進むにつれて、試合の主導権は完全に常盤台にあった。ボール保持率も高く、崩しの形も作れている。


 だが、その中で一つの感覚だけが静かに積み上がっていく。


(触られる回数が多い)


 完全に奪われるわけではない。だが、パスの軌道に必ず足が出る。それも、蓮に入るコースに対してだけ。

 中央で受ける前に、わずかに当てられる。それでも収まるし、処理にも問題はない。だが、その一瞬でテンポがわずかにズレる。


 次のプレーでも同じだった。縦に差し込むボールに再び足が伸び、コース自体は変わらないものの、回転だけが狂う。


(狙ってやってるな)


 蓮はボールを持ちながら、ゆっくりと全体を見渡した。


 相手の守備は激しくない。囲い込むわけでもなければ、強く奪いに来るわけでもない。ただ、“先にそこにいる”。出しどころに、受ける前に入り込み、ほんの少しだけ触る。それを繰り返している。


「ナイスカットっす」


 奪っていないにもかかわらず、一年が軽く声をかける。隣の二年が無言で頷いた。そのやり取りだけで、二人が同じ意図で動いていることは明白だった。


(なるほど)


 蓮は一度、プレーのテンポを落とした。中央に固執せず、あえてサイドへ逃がす。外で受けて数的優位を作り、そこから再び中央へ戻す。

 ルートを変えれば、崩し自体は問題なく成立する。

 実際、その流れから決定機が生まれた。右サイドからのクロスに桐生が合わせるが、シュートはわずかに枠を外れる。


 形としては悪くない。だが、最短距離ではない。

 前半二十分を過ぎた頃、蓮はあえて狭い間を通すコースを選んだ。普段なら問題なく通せるラインだ。


 パスが出た瞬間、二人が同時に動く。

 一人がコースに足を出し、もう一人がその先に備える。

 ボールは蓮の足元に収まったが、トラップが半歩だけ後ろへ流れた。その半歩で、消える選択肢がある。


(……ちっ)


 舌打ちが漏れる前に、蓮は即座に体を入れ替えた。一人を剥がし、強引に前を向く。だが次の瞬間には、もう一人が同じ距離で立っている。

 完全には止められない。だが、自由にもさせない。その距離感が、確実にプレーの純度を削ってくる。

 蓮はボールを持ち直し、無理をせずサイドへ展開した。


「さすがっすね、今の。完全に取りきったと思ったっすけど」


 軽い声が背後から飛ぶ。


 蓮は振り返らない。

 崩せないわけではない。ただ、中央での“いつもの感覚”がわずかにズレている。


 前半終了間際、常盤台はようやく先制点を奪った。左サイドから崩し、折り返しに桐生が合わせる。スコアは一対〇。


 リードは奪った。それでも、歓声の中で蓮は静かに息を吐く。


(……面白いな)


 完全に封じられているわけではない。だが、確実に精度を削られている。それも個人ではなく、チームとして。


 ハーフタイムのホイッスルが鳴る。

 ピッチを引き上げる途中、蓮は一度だけ振り返った。


 中盤の二人と視線が合う。どちらも表情は変えない。ただ、同じ距離感でこちらを見ている。その均質さが、かえって異様だった。


 蓮は無言のままピッチを後にし、そのままロッカールームへ入った。ユニフォームに染みた汗は少なく、呼吸も整っている。それでも、頭の奥だけが妙に熱を帯びていた。


 椅子に腰を下ろし、タオルで首元を拭う。視界の奥には、あの二人の位置取りが焼き付いたままだった。


「どうだ、天根」


 隣に座った桐生がボトルを差し出す。


「中央、やっぱり嫌がられてるな」


「はい」


 蓮は受け取り、一口だけ飲む。


「受ける前にコースを消されてます。出しどころに先に入られてる」


「奪いに来てる感じじゃねえのが厄介だな」


 桐生は軽く肩を回しながら言う。


「触ってズラして終わり。あれでテンポ狂わされてる」


「ええ。ただ――」


 蓮は一度言葉を区切った。


「崩せないほどじゃないです」


 その声音はいつも通り落ち着いていた。


「外を使えば問題なく前進できますし、中央も完全に閉じられてるわけじゃない。通せる場面はある」


「だな」


 桐生はあっさり頷いた。


「ですが後半、やり方は変えてくると思います」


 蓮は視線を落とし、前半のプレーを一つずつなぞる。


「今は“触ってるだけ”です。コースとタイミングを測ってる」


「となると、次は......」


「通させない形に来るはずです」


 桐生がわずかに眉を上げる。


「入る前に消す、ってことか」


「はい。あの二人ならできるでしょうし」


 短く言い切る。


 ロッカールームの奥では、監督が全体に向けて修正点を伝えている。守備時のスライド、サイドの使い方、試合の流れを維持するための細かい共有。その声を聞きながら、蓮は自分の中で後半の組み立てを進めていた。


 中央に立てば消される。

 なら、立ち位置をずらす。角度を変える。

 それでも消されるなら、その前で判断を終わらせる。


 やることは明確だった。


「けど――」


 蓮はふと、言葉を継ぐ。


「今のやり方、90分は持たないはずです」


 桐生が視線を向ける。


「それは体力的な面で、だよな。理由は?」


「常に先回りしてます。判断も移動も前倒しで、消費が大きい」


 蓮は淡々と答えた。


「どこかで必ず落ちます」


「じゃあ、後半は待つか?」


「いえ」


 即答だった。


「落ちる前提で組み立てますけど、主導権は渡しません」


 桐生は満足そうに口角を上げた。


「いいね。そうこなくちゃな」


 笛が鳴り、後半開始の合図が近づく。選手たちが立ち上がり、再びピッチへ向かう準備を整える。


 一方、誠和のロッカールームは静かだった。

 必要以上の声はない。全員が同じ方向を見ている。


 ホワイトボードの前で監督が短く言う。


「前半は想定通りだ。中央は通させていない」


 指先で一点を叩く。


「だが、これで満足するなよ。

 後半は“入れさせるな”。あいつに触らせるな」


 一年のボランチが軽く手を挙げる。


「いけます。出し手の癖、見えたっす」


 軽い口調だった。


「次は最初から消すんで」


 隣に立つ二年が短く続ける。


「天根の一歩目はこいつが消す。迷わせた時点で終わりだ」


 それだけで十分だった。役割はすでに共有されている。

 監督が頷く。


「よし、いいか。あいつに“関与させるな”」


 静かな言葉が、はっきりと空気に沈む。


 前半は触れた。

 後半は、通させない。


 方針は決まった。


 選手たちは無言のまま立ち上がり、それぞれスパイクの紐を結び直す。余計な言葉はない。必要な情報は、すでに共有されていた。


 静かな空気のまま、誠和の選手たちはロッカールームを後にする。





 通路に出ると、スタンドのざわめきが再び近づいてきた。

 蓮は一歩前を歩く桐生の背中を見ながら、視線を上げる。光と音が、後半へ向けて収束していく。


 前半の45分は、まだ序章に過ぎない。

 このままでは終わらない――その確信だけが、静かに胸の奥で形を成していた。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


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