第二十一話:とある囚人とニコニコひまわり園怪奇日誌
第二十一話:とある囚人とニコニコひまわり園怪奇日誌
俺の名はボルカ。「冥府魔道」の特攻隊長、「黒曜のボルカ」と恐れられた男だ。
…今は昔。このニコニコひまわり園では、ただの「ボルカ君」に過ぎない。
冷たいタイルの感触が尻に伝わる。
俺は今、一冊のノートを手に、トイレの個室という名の密室に立てこもっていた。
表紙には、妙に媚びたキツネがわざとらしく手を振っているイラスト。
先日、このトイレの床板の隙間――便器と壁の、まるでこの世の理不尽さを象徴するかのような狭隘な空間――に隠されているのを偶然発見したものだ。
これは日記だ。誰かの魂の叫び、あるいは、狂気の記録か。
なけなしの花丸ポイントをはたいて手に入れた「一時間のお昼寝チケット」。
それをこんな形で消費するとは、かつての俺なら想像もつかなかっただろう。
だが、この園の謎に迫るためだ。背に腹は代えられぬ。
息を殺し、ページをめくる。カサリ、という乾いた音が、やけに大きく響いた。
○月××日 快晴、だが心は土砂降り
俺は「冷徹のマサト」
この記録は、俺がまだ正気の淵に辛うじてぶら下がっているうちに書き残さねばならない。
周りの連中の瞳から、かつて宿していたはずの心の牙が消え失せている。
まるで操り人形だ。
一体、何をされた?このニコニコひまわり園という名の監獄で、何が起きているというのだ?
…それにしても、初日から花丸ポイントがマイナススタートとはどういうことだ。挨拶の声が小さいだと?ふざけるな。
○月×△日 曇り時々雨、心は常に嵐
朧げながら、この園のシステムが見えてきた。
ここでは、「模範的な園児」として振る舞うだけで、あの忌まわしき「花丸ポイント」が微増していく。模範的、とはつまり、一般社会における「善良な市民」の行動規範そのものだ。
そして、協調性、公共性といった、集団生活における美徳とされる行為は、ポイントの加算率が高い。
逆に、ルール違反には鉄槌が下る。
…いや、減点という名の、じわじわと精神を蝕む罰が。
先日、クレヨンを片付け忘れただけで、容赦なく減点された時の絶望感たるや!
おいおい、これから片付けようと思ってたんだよ!
こちとら段取りってもんがあるんだ!
◯月□⬜︎日 晴れ、しかし心は晴れぬ
花丸ポイントの真の恐ろしさ。
それは、鞭の痛みよりも、飴の甘美さが常軌を逸している点にある。
カタログの分厚さは、もはや鈍器だ。
しかも、その内容は頻繁に更新され、俺たちの心の隙間を的確に抉るように、より魅惑的なものへと変貌を遂げていく。
なんだ、「タイムセール」とは?
この期間だけ、ポイントが割引されているのか?
「期間限定商品」?
「魅惑の福袋」だと?
「今なら、うさぎちゃんポストカードの封入率2倍!」
…俺たちは一体、何を見せられているんだ?
ここは本当に更生施設なのか?
…欲しい。
あのキツネちゃんの新作キーホルダーが欲しい。
だが、ポイントが、ポイントが圧倒的に足りない!
◯月△⬜︎日 雨、心もずぶ濡れ
ポイントが…足りない。
今度こそ、お歌の時間で完璧な歌声を披露し、「コンプリートボーナス」なるものを獲得してみせる。
審査員の先生方の、あの瞳の奥にある採点基準を読み解かねば。
あの「高音域の伸びやかポイント」とやらが、いつも俺を苦しめるのだ。
…朗報だ。明日から俺にも「猫の相棒」が貸与される。
これで一日あたり10ポイントの安定収入が見込める。
多少は、この息苦しい生活も楽になるだろうか。
これで、あの忌まわしき「ポイント不足による食事の質の低下ペナルティ」から逃れられるかもしれない。
【カタログに関する追記】
カタログで手に入るご褒美は、食べ物(これがまた、悔しいくらいに美味い)以外は基本的にレンタル品だ。
返却時に著しい損傷があれば、当然のように花丸ポイントが差し引かれる。
故に、誰もが異常なまでに丁寧に品物を扱う。
下着(なぜか動物プリント限定)や各種権利チケットは買い取り制。
そして、絵本。
これも買い取りだが、その価格設定は狂気の沙汰だ。
だが、驚くほど多くのおお友達が所有している。
…羨ましい。心の底から。俺も、あの「ウサギちゃんとキツネちゃんのドキドキお泊り会編」が欲しい。
だが、ポイントが…。
◯月▽⬜︎日 豪雨、心は洪水警報
ポイントが、やはり足りない。
確かに「猫の相棒」ゴブさんのおかげで日産10ポイントは確保できた。
だが、それ以上に猫グッズの要求ポイントが高い!
煮干し一袋で5ポイントとは、足元を見すぎているだろう!
だが…ゴブさんのためだ。
俺は自分の食事の質を最低ランクまで落としてでも、ゴブさんにあのネズミのぬいぐるみを…買ってやらねば…!
ああ、ポイントが、ポイントが欲しい…!
夢にまで出てくるぞ、あの減点される時の「ブッブー!」という無慈悲な効果音が!
そういえば、ポイントには使用期限が設けられているらしい。常にカツカツの俺にとって、そんなもの、意味があるのか?
⬜︎月◯日 曇天、心に暗雲、そして悪夢
ポイントが、慢性的に足りない。
隣の房の「鏖殺の凶刃」こと、タツキ君が憔悴しきっている。
近々、面会日が設定されているらしい。
権利チケットの一つ、「お着替えチケット」。
アレがなければ、あのメルヘンチックなお遊戯服のまま、かつての部下たちと対面せねばならんのだ。
…想像するだに恐ろしい。
彼は昨夜、うなされていた。「ポイントが…ポイントがあと1ポイントあれば…!」と。
まったく、アイツもキツネちゃんポストカードのピックアップ福袋に熱を上げすぎなんだよ。
…まぁ、確かに、あん子先生の描き下ろしポストカードは、こう…グッとくるものがあるのは否定しないがな!
チッ!
…しょうがねぇな。同じキツネちゃん信者として、見過ごせねぇ。
明日のお片付け、俺も手を貸してやるか!
二人で協力すれば、あの「BIG花丸ポイント」も夢じゃないはずだ。
べ、別にアンタのためなんかじゃないんだからね!
ちょうどゴブさんのカリカリが底をつきそうだっただけなんだから!!
…そして、俺のポイントも、もう本当に底が見えているんだからな!
そこまで読み進めた瞬間、個室のドアが冷たくノックされた。
コン、コン。
「どうした?ボルカ君?いくらなんでも、うんちにしては長すぎるぞ?」
低い、それでいて妙に圧のある声。園長代理のクマさんだ。
ボルカは心臓が跳ね上がるのを感じながら、慌てて日記を元の隙間に滑り込ませた。
証拠隠滅。
平静を装い、ドアを開ける。
「す、すいません。昔から、トイレの中で考え事をするのが趣味でして」
我ながら苦しい言い訳だ。
「ふむ、気持ちはわかるが、ほどほどにしておけよ。ここは監獄…いや、失礼。ニコニコひまわり園だったな!」
ニヤリ、と園長代理のクマさんの口角が歪む。
その目は笑っていない。
ボルカは冷や汗を悟られぬよう、努めて平静に問いかけた。
「ところで…『冷徹のマサト』、、、君って知ってますか?」
「マサト君?。あぁ、あいつならとっくに卒園したぞ」 クマさんはこともなげに言う。
「最後の方は、やれ『嫌だ!ここから出たくない!』だの、『この園こそが我が終の棲家!』だの、わめいていたな!」
ガハハ、と腹の底から響くような笑い声。
だが、その声にはどこか空虚さが漂う。
ふと、何かを思い出したかのように、クマさんは独りごちた。
「そういえば…あいつ、最後にこんなことを言っていたな…」
クマさんの声が、囁くような低さに変わる。
「『見つけた…見つけたぞ…!この花丸ポイントの…攻略法を…!』とか…」
その独り言のような小さな囁き声が、まるで呪いのように、ボルカの耳の奥にいつまでも、いつまでも反響し続けるのであった。
あん子「この集中線、もっと密度を上げて鋭くニャ!あの子の“一点を見つめる強い意志”を際立たせるのニャ!」




