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君なら分かってくれるよね

19.君なら分かってくれるよね


 8月13日。月曜日。

6時過ぎ、香織が起きてくると百合子の両親と百合明はすでに起きていた。

香織は、とりあえず、お茶を入れると、冷蔵庫を覗いて、あり合わせのもので朝食の用意をした。

 朝食が終わると、大人たち4人は身支度を整えた。

香織が寝室を覗くと楓はまだ眠っていた。

香織はそっと楓を起こすと、楓はボーっとしているようだったが、眼から涙がにじんでいた。

「さあ、ママのところに行きましょう。」

「ママは本当に死んじゃったの?」

香織は何と答えていいのかわからなかったが、正直に話すしかないと思った。

「そうよ。昨日ちゃんとお別れをしたでしょう?」

「死んじゃったらママはどうなるの?」

「そうね…私たちが、いい子にしていれば、ママは天国に行けるのよ。だから、ママが死んでしまったことを悲しまないで、ちゃんと送ってあげなければいけないわね。」

「カエデ、いい子にする。」

香織は、楓を抱きしめて、頭をなでた。

「いい子ね。さあ、お着替えしましょう。」


 病院では雅俊が近所の寺の住職と葬儀についての打ち合わせをしていた。

百合子の遺体はすでに霊安室に移されていた。

妙光寺住職の木村寛は雅俊の父親の親友だった。

雅俊は、お盆という特別な時期でもあり、住職も忙しいし、葬儀に来てくれる人にしても、夏休みで遠出している人も少なくないだろうということで、葬儀はお盆が明けた17日ころにしたいと、そんな相談をしていたのだ。

しかし、遺体をそれまでの間、置いておくことは難しいので、火葬だけは先にやってしまおうということになった。


 香織達が病院に到着すると、病室にはまだ、百合子の名前を書いたプレートが差し込まれたままになっていた。

しかし、百合子の姿はすでに病室にはなかった。

看護師の島田果歩が香織たちを霊安室に案内してくれた。

住職の木村は香織達が来たのを見て、一旦部屋を出ることにした。

「病室に戻っているから。」

「すいません。僕もすぐに行きますから。」

雅俊は楓を抱きかかえ、安らかに眠る百合子な顔を見せてやった。

百合子は、とても穏やかな表情をしていた。

「ねえ、パパ。ママはちゃんと天国に行けるよね。」

楓は、抱きかかえられた雅俊の腕の中からそっと百合子の顔を覗き込むと、雅俊の方を見て言った。

「もちろんさ。」

この子は母親が死んでしまったことをちゃんと理解しているのだろうか?

昨夜、家で何が起こったかは香織から聞いて知っていたが、雅俊には正直、信じられなかった。

しかし、この楓の態度を見ていると、百合子は、ちゃんと楓に話をして、きちんとお別れをしたに違いない。

雅俊は、百合子の両親に深く頭を下げた。

百合子の父親は雅俊の肩に手を置いて、首を振った。

「どうか頭をあげてください。百合子は早くに逝ってしまうことになりましたが、雅俊君のおかげで幸せだったに違いない。早くに連絡をいただいたので、こうして、最後を見送ることもできます。」

雅俊は、葬儀についてのことも相談しておかなければならなかったが、勝手に話を進めてしまったので、あとで、きちんと説明しなければいけない。

「とりあえず、葬儀のことなんですが…」

百合子の父親は雅俊の話を遮るように、肩に手を置いた。

「君にすべて任せるよ。」

そう言うと、安らかに眠っている百合子の顔をじっと見つめていた。

雅俊は、楓を百合子の両親と百合明に預けると、香織に声をかけた。

「葬儀の打ち合わせをしたいから、病室まで一緒に来てくれないか?」

「いいわ。」

雅俊と香織は、百合子の両親たちに再度頭を下げて、霊安室を出た。


 病室に戻ると香織はバッグから住所録を取り出し、雅俊に渡した。

雅俊は住所録を受け取ると、住職の木村を交えて葬儀の日程について話し合った。

まず、通夜は8月17日の金曜日夕方の7時から、告別式は18日の土曜日11時からということに決めた。

火葬は住職の木村が火葬場に掛け合ってくれて、今日の夕方ならなんとかなるということだったので、そのように準備をしなければならなかった。

雅俊は、身近な人間にだけ火葬に立ち会ってもらうように連絡をとった。

会社関係や、近隣の人たちには事情を話して葬儀の日程を伝えた。

やがて、百合子の両親たちも病室に戻ってきた。

雅俊が、事情を説明して葬儀の段取りを話すと、快く了解してくれた。

火葬場へは病院から直接向かうことになったので、百合子の両親と百合明の服を手配しなければならなかった。

香織は黒のスーツ、楓は学校の制服だったので問題ない。

雅俊には、香織が喪服を持ってきていた。

雅俊は、秀彦に連絡をとった。

「ヒデか?今どこにいる?」

「ああ、幸村さん?どうしたんですか?ちなみに、俺は、家でゴロゴロしてますけど。」

「ちょうど良かった。お前、喪服持ってるか?」

「一応社会人ですから。」

「そうか、じゃあ、そいつを持って聖都大学病院まで来てくれ。」

「えっ?」

「昨夜、百合子がなくなった。」

「なんですって!」

雅俊は、簡単に事情を説明した。

「わかりました。すぐに伺います。それから、火葬にはボクもお供させて下さい。喪服はもう一人分なんとかしますから。サイズはボクと同じくらいで大丈夫ですね。」

「ああ。助かるよ。」

百合子の父親の分は宮田が、母親の分は陽子がなんとかしてくれることになった。


 昼前には、雅俊の両親がやってきた。

それから、間もなく夕子が現れた。

雅俊は夕子の顔を見て驚いたが、どうやら香織が連絡したらしい。

昼になると、看護師の島田果歩が、病院の食堂で食事をとれるように取り計らってくれた。

雅俊たちが食事をとっている間、果歩が部屋で電話の対応をしてくれるというので、一旦、みんなで食事をとることにした。

 食事が終わって部屋に戻ると間もなく、秀彦と陽子が百合子の両親たちの分の喪服を用意してやってきた。

「宮田さんは、どうしても仕事の都合で来られないから、よろしく言っておいてくれって。葬儀には必ず顔を出すそうよ。」

陽子はそう言って、喪服を渡すと、「ユリちゃんにはまだ会えるかしら?」と尋ねた。

香織が果歩の方を向くと、「ええ、大丈夫ですよ。」と果歩が答えた。

香織は、陽子を霊安室へ案内した。


 陽子は百合子の顔を見てつぶやいた。

「ユリちゃん、あなたには苦労をかけっぱなしで何もしてあげられなかったけど、幸村さんと一緒になってからは、幸せになれて、それだけが救いよ。」

すると、百合子の顔が一瞬微笑んでいるように見えた。

「まあ、あなたったら、最後までそうやって…」

陽子はそれ以上声を出すことが出来なかった。

冷たくなった百合子の手を握りしめて、陽子は涙を拭うのも忘れて泣き崩れた。

香織は、そんな陽子の肩を抱いて、慰めようとしたが、張り詰めていたものが急に途切れて、涙があふれてきた。

二人はお互いに抱きしめあって、思うままに泣いた。


 3時すぎには、霊柩車が病院に到着した。

妙光寺の住職の木村が、檀家の法事を終えて、寺のマイクロバスを運転してやってきた。

雅俊たちはマイクロバスに乗り込むと、火葬場へと移動した。


 雅俊たちが病室を出ると、果歩は部屋のプレートを外した。

今泉は、病院を出ていく霊柩車とマイクロバスを部屋の窓から見送った。

事務局に、「今から休暇に入る」と告げると、書庫のコニャックを取り出し、グラスに注いだ。

そして、一気に飲み干すと、白衣を脱いでソファに投げ捨てた。






 10月1日。月曜日。

真野公平は飯田橋の謀出版社のデスクで古い写真のデータ整理をしていた。

そんな公平を、受話器を片手に話をしながら見ているのは、公平を専属で抱えている雑誌の編集長の片平登だった。

片平は、急に、受話器を持ったまま、立ち上がると、しきりにお辞儀をしながら、「ありがとうございます。」という言葉を叫んでいる。

「おい!真野!代われ。」

片平は公平に向ってそう言い、電話の受話器を、もう片方の手で指差し、「電話だ。」というように合図した。

公平は受話器を取り、耳にあてた。

「真野公平さんですね。おめでとうござます。あなたの撮影された写真が今年度のグランプリを獲得しました。」

「えっ?」

公平は一瞬、自分の耳を疑った。

向こう側では、片平がまるで自分のことのようにガッツポーズをしている。

「つきましては…」

その後は、表彰式の日程やら何やらの話をされたような気がしたが、公平の耳には入らなかった。

「…あとは、その旨を記した案内状が編集部あてに届きますのでよろしくお願いします。」

「どうもありがとうございます。」

公平が受話器を置くと、片平や同僚たちが駆け寄ってきた。

「やったな真野!」

片平が公平の頭を軽く叩く。

「公平、おめでとう!」

同僚たちも次々と公平の頭を叩いては祝福し、握手を求めてきた。

公平は、とんだ祝福に文句を言いながらも顔には満面の笑みがあふれていた。


 その日雅俊は、百合子の四十九日の法要のため妙光寺を訪れていた。

寺の縁側に座って、セブンスターを吸っていると、携帯電話の呼び出し音が鳴った。

「はい、幸村です。」

電話の相手は真野公平だった。

「そうですか。それはおめでとうございます。百合子も喜ぶと思います。」

幸村は、公平の写真がグランプリになったと聞いて、思い出した。

百合子が亡くなった日に公平から受け取った写真は、結局百合子に見せることはなかった。

幸村はその写真を百合子の棺に入れて一緒に燃やしてしまった。

今思えば、惜しいことをしたと後悔していた。


 公平はまず最初に、幸村に報告をしなければならないと思っていた。

手荒い祝福が一段落すると、公平は席について幸村の会社に電話した。

幸村は休みだと聞かされたので、携帯電話にかけ直した。

「幸村さんですか?その節はいろいろとお世話になりました。おかげさまで、あの写真がグランプリに選ばれたんです。」

公平は、そう報告し、感謝の気持ちを述べた。

「それで、お願いがあるんですが、表彰式には皆さんで出席せいていただけると嬉しいんですけど。」

公平がそう切り出し、具体的な話をしようとしたとたん、雅俊から信じられない言葉を聞かされた。

「真野さん、お話は大変ありがたいんですが、実は百合子はあの日、そう、私があなたを訪ね日に他界してしまいました。もはや、家族三人で祝福してさし上げるこたは叶わないんです。今日はこれから、百合子の四十九日の法要が執り行われます。真野さんこそ、お時間がとれるなら、線香の一本もあげていただければ百合子も喜ぶと思います。」

「まさか?まさかそんなことって…」

公平は、言葉を失い、天を仰いだ。

「わかりました。すぐにお伺いします。」

そう答えると、幸村から妙光寺の場所を聞いて受話器を置いて席を立った。


 雅俊は電話を切ると、セブンスターをもみ消し、庭へ出た。

池の鯉を眺めていると、百合子の両親が近寄ってきた。

「なあ、雅俊君。今日で四十九日も過ぎる。これを機に香織さんを籍に入れてあげたらどうかな?」

百合子の父親がそう言うと、母親もうなずいて雅俊の手を握りしめた。

「そうよ。雅俊さん。百合子がいちばん望んでいたことなのよ。私たちに気兼ねしているのなら、それは余計なお気づかいですよ。」

「お父さん、お母さん、ありがとうございます。ボクもそろそろ、そうさせてもらおと思っていたところです。もちろん、香織に異存がなければの話ですが。」

雅俊はそう言って笑うと、本堂の方に目をやった。

香織と楓は住職と一緒に本堂の雑巾がけを手伝っていた。

無邪気に走り回る楓。その楓を叱りつける香織。二人を見て、大声で笑っている住職。

雅俊と百合子の両親は、そんな光景を眺めながら、三人で顔を見合せてクスクスと笑った。


 翌日、10月2日。大安。

雅俊は午前中、半休とし、香織と一緒に役所へ赴いた。

婚姻届を提出るにあたり、雅俊は最後にもう一度香織に確認した。

「いいんだな?」

「ええ!」

香織は笑顔で答えた。

松田香織は幸村香織となり、雅俊の妻に、そして楓の母親になった。






 幸村家の居間には、真新しい仏壇が置かれ、百合子の写真が飾られている。

真野公平が撮った写真のうちの1枚だった。

風に飛ばされそうになった帽子を押えて、少し、はにかんだように笑っている。

 雅俊は百合子の写真に手を併せて目を閉じた。

百合子と過ごした思い出の数々が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

「最近、ちょっと心がときめく女性に会ったんだ。君なら分かってくれるよね。香織が角を出さないように言い聞かせてやってくれ…おっと!もうこんな時間だ。行かなくちゃ。」

雅俊は、写真の中の百合子にウインクして立ち上がった。

「あなた?なにブツブツ言ってるの?早くしないと遅れるわよ。」

台所から、香織が大声で叫んだ。

「ああ、もう行くよ。ちょっと百合子にお願いしただけだ。」

「なにを?」

香織はエプロンで手を拭きながら、居間へやってきた。

そして、出かけようとする雅俊の肩に手を置いて、雅俊を振り向かせた。

雅俊は一瞬ドキッとしたが、その瞬間、香織は雅俊にキスをした。

「行ってらっしゃい。がんばってね。ただし、浮気はダメよ。」

そう言って、したたかな笑みを浮かべる香織のうしろで、百合子とさつきが微笑んで二人を見守っていた。




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