14 「愛してる」
目が覚めた時、そこは美咲の部屋だった。ベッドの上まで運んでくれたのはルカだろうか。いつの間にか車内のルカの腕の中で眠っていたらしい。
ゆっくり身体を起こした美咲は、両手に目をやる。手首には縛られたあとが残っていた。あれは夢じゃない。確かに起きたこと。
このまま彼のそばにいていいのか。あんなことが二度と起きないとは限らない。次は、命さえもないかもしれない。
この家を出ていきたいと言った時、彼は認めてくれるだろうか。仕事を失い、アパートも出た美咲に、行く宛てはあるだろうか。
ほとんど連絡を取っていない妹や、両親が暮らす実家は受け入れてくれるかもしれない。
でも、嫌だと思った。両手が滲んだ。生々しい傷跡に雫が落ちる。
ここにいたい。彼のそばにいたい。
社会的に認められることのない立場かもしれない。いつか自分という存在が消されるかもしれない。
それでもいいから、彼の隣に立っていたい。この気持ちは正しいのだろうか。
美咲は身体を折りたたんで、静かに肩を震わせた。
お腹が空いた。何か食べたい、と部屋を出た。
泣きすぎて頭が重い。彼に会ったらなんて言おうと考えたが、うまく頭が回らない。まだ答えは出ていないのに。
リビングのいつもの位置に彼がいた。
そして、彼の前には拳銃が置いてあった。
「美咲」
美咲を見て、彼はそれを隠そうともせず、でもいつもと同じように笑いかけてくれた。
「目が覚めたんだね」
「……ルカさん」
いっそ彼に判断を委ねてしまおう。その方が、きっと今より楽になれる。彼のせいにできる。
「ルカさんの隣にいたいと思うのは、迷惑ですか?」
こんな聞き方だとおかしい。「隣にいたい」と言ってしまっている。
「美咲はどうしたい?」
彼は美咲の手を引き、隣に座らせた。
「僕の世界を、美咲は受け入れられる?」
判断を委ねることを許してくれなかった。美咲に委ねられた最後の選択肢を、美咲はうまく働かない頭で天秤にかける。
「今までと同じ生活はできないかもしれないよ」
それでもいい。心ではそう思うのに、理性がそれを止める。まるで「一時的な勢いに任せた感情」だと言わんばかりに。
「美咲のやりたいことをさせてあげる。やりたくないことはやらなくていい」
それだけ聞けば、きっと贅沢な世界。
「それでも、危険じゃないとは言えない世界だよ」
離れる。そう意識した瞬間、手に力が入った。爪が食い込む手のひらの痛み。その小さな痛みが、今この瞬間が夢ではないと教える。
「……それでも」
震える口で、そう吐き出した。
「それでも、ルカさんのそばにいたい」
自分の感情を吐露するのは苦手。すぐ泣いてしまうから。しかもさっきまで泣いていたせいで、いつもより涙腺が緩い。
「じゃあ、結婚しようか」
それは、あっさりした言葉だった。美咲が一生懸命悩みながら吐き出した言葉とは正反対。
「え……?」
思わず気の抜けた声が出て、彼の顔を見上げる。
「どうせ結婚するんだ。恋人なんて無駄な期間は必要ないだろう?」
「……けっ、こん?」
「違う?」
いや、そうだ。本来恋愛とは、最終的には結婚に行き着くもの。
「正式に僕の妻になれば、やれることは増える。僕も表立って君を守れる」
そうか。美咲を守るための理由が必要なのか。
彼の視線がテーブルに向かう。そこには電気の光を受けて冷たく光る拳銃。守る、という言葉の重みがわかった。
「Vuoi farmi l'onore di diventare mia moglie?」
きっとまたイタリア語。意味はわからない。彼はそれをわかって言っている。美咲の返事はひとつしかないのだ。
「はい」
美咲が頷くと、彼は抱きしめてくれた。
「Ti amo」
その言葉は聞いたことがあった。
「どういう意味ですか?」
あの時、そう聞いても教えてくれなかった。だから、今回も教えてくれないだろうと思った。彼のイタリア語は、美咲に伝えることを目的としたものではなく、自分自身に言い聞かせる言葉なのだから。
「愛してる」
が、彼は教えてくれた。そんな意味があるのか。
「ティ、アーモ?」
美咲がそう言ってみる。彼のような綺麗な発音ではないし、完全なカタカナ発音。それなのに、彼は嬉しそうに目を細める。
彼がそう言ってくれたのはいつだったか。その時から、いやきっとそれより前から、彼は美咲を愛してくれていた。
今からでも返せるだろうか。彼のために、美咲は何ができるだろう。
拳銃のそばに転がった、美咲のデザイン用の鉛筆。これしかない。
素敵な服をたくさん作ったら、きっと喜んでくれる。
店が作れるくらいの服を作って、彼の隣に立つにふさわしい人間になろう。
美咲の決意を、彼は全て察したかのように優しく抱きしめてくれた。
END
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