第3話 連合の誓い
1919年6月。ウィーン郊外、クロスターノイブルク修道院。
数世紀にわたりドナウの流れを見下ろしてきた古びた石造りの壁は、昨夜から降り続いた雨に濡れ、黒々と光っている。雨上がりの冷たい空気が肺を突き、石畳からは湿った土の匂いが立ち上っていた。
かつて帝都ウィーンを彩った華美な軍楽隊の調べはない。そこに並んでいるのは、急造された深い緑色の旗――「緑旗」だった。
参列者は百人に満たない。泥に汚れたブーツを履いた農民代表、油の染みついた作業服を脱いだばかりの労働組合員、眼鏡の奥に理性を宿した学者、そして帝国軍の階級章を自ら引き剥がした退役将校たち。そこには、金銀のモールで飾られた帝国時代の貴族の姿は一人としてなかった。
カール・フォン・エーデルシュタインは、軋む木製の演壇に立った。
彼の前にあるのは、数千枚の羊皮紙ではなく、数百万人の「生存」がかかった一枚の憲章である。
「我々は、死んだ帝国を継ぐのではない。そして、その屍を喰らう支配の構造も継がない」
カールの声は、高くはないが、修道院の回廊に鋭く反響した。
「西からは、資本という名の目に見えぬ鎖が我々の土地を買い叩こうと迫っている。東からは、革命という名の赤い独裁が、個人の魂を塗り潰そうと鎌を研いでいる。我々はそのどちらも拒む。富の集中による隷属も、権力の集中による隷属も、我々には必要ない」
カールの視線が、最前列に座る一人の農夫とぶつかった。
「ここに、ダニューブ連邦の樹立を宣言する。これは国家ではない。我々の生活を守るための、巨大な『協同体』である」
拍手は、爆発的なものではなかった。しかし、硬い拳が膝の上で握りしめられるような、重く、確かな共鳴がそこに満ちていた。
1. 三つの柱――制度としての「緑」
続いて、経済学者エミール・レーマンが壇上に上がった。彼は感情を排した声で、しかし断固とした口調で経済章を読み上げる。
「第一に、経済の分散化。主要産業の三割を三年以内に地域協同組合へ移行させる。富は株主ではなく、働く者に分配される。第二に、農地改革。不在地主を廃し、耕す者がその地を持つ小規模所有を原則とする」
聴衆の間にさざなみが走る。それは理想論への不安ではなく、ようやく手にする「自分たちの居場所」への驚きだった。エミールは続けた。
「第三に、独立通貨『Dクローネ』の発行。これは金および域内の実物資産によって裏付けられ、国際金融資本の投機から我々のパンを守る盾となる」
次に立ったのは、ハンガリー軍将校イシュトヴァーン・バラージュだ。彼の言葉は短く、鉄の味がした。
「中立は、平和を願う祈りではない。侵略者を地獄へ送る準備だ。全市民による国防訓練、ドナウ河川敷およびアルプス山脈の要塞化。我々は誰をも侵さないが、我々の土地を一歩踏み越える者には、全連邦の銃口が向けられる」
そして女性運動家アンナ・ノヴァクが、社会章を告げる。
「各民族は対等な自治議会を持つ。ドイツ人も、マジャール人も、スラブ人も、支配者ではない。また、性別や階級を問わず、全ての市民に即時の参政権を付与する。我々は『属性』ではなく『役割』で結ばれるのだ」
最後に、スイスから密かに合流した銀行家フリードリヒ・マイヤーが、冷徹な現実を付け加えた。
「外資は、我々の発展のために『利用』する。だが、議決権は渡さない。西とも東とも取引するが、我々の首輪を握ることは誰にも許さない。それが、非同盟の代償である」
羊皮紙が広げられた。
カールが最初にペンを取った。羽ペンが羊皮紙を走るカリカリという音が、静まり返った修道院にやけに大きく響く。
続いてエミール、イシュトヴァーン、アンナ、フリードリヒ……。そして、名もなき農民代表や工員たちも、震える手で自らの名を記していく。
緑色の蝋が垂らされ、連邦の印章が押し込まれる。
じゅっ、という微かな音とともに封蝋が固まった瞬間、地図上の空白地帯にすぎなかった中欧は、一つの意志を持った生命体として産声を上げた。
式典が終わった後、カールは修道院の古い時計塔に登っていた。
雨上がりの夜空には星が見え始め、眼下にはウィーンの街灯が頼りなく連なっている。かつての帝国の栄華は消え、今は飢えと混乱に震える街だ。
「……持つと思うか?」
後ろから近づいてきたエミールに、カールは問いかけた。
「持たせるのだ」
エミールはカールの隣に立ち、夜の風に目を細めた。
「根が張るまで三年。花が咲くまで十年。それまで世界が待ってくれるかどうかだが」
「待ちはしないだろうな」
カールは東の空を見つめた。闇の向こうでは、再編された赤軍がポーランドへの進撃を窺っている。西では、ヴェルサイユの講和会議で領土を切り分けようとする列強の外交官たちが、この「生意気な小国家連合」をどう潰すべきか密談を始めているはずだ。
そこへ、ポーランドから駆けつけた連絡員が階段を駆け上がってきた。
「エーデルシュタイン閣下。ワルシャワからの急報です。ソ連軍が動きました。彼らはポーランドを突破し、ドナウまで一気に赤く染めるつもりです」
カールの目が鋭く細まった。
「……誓いは、守るためにある」
翌日のロンドン・タイムズは、この出来事を「ウィーンの狂信者たちによる理想主義的実験」
と冷笑的に報じた。
モスクワのプラウダは、
「プロレタリア革命を阻害するブルジョワの最後のあがき」と断じた。
世界はまだ、この「緑の芽」を信じていなかった。
しかし、チェコの農村では小作人が初めて自分の土地に鍬を入れ、ハンガリーの工場では工員たちが自分たちの代表を選び始めていた。
1919年 夏。
巨大な二つの波の間に、静かな、しかし決して折れない杭が打ち込まれた。
嵐はまだ遠い。だが、連邦の地下では、緑の根が確実に地中へと伸び始めていた。




