学院を出た日
「お世話になりました」
わたくしは、学籍を置いていた王立クリスタリア学院を辞めることにした。これでわたくしはただの庶民。
とはいえ、学籍なんてメイドとして残していたものだから。
メイドとしていたのは、監視のためでもあるけれど。王家の分家筋であるブラチスラバ家のわたくしを見張るために。
放棄すれば、わたくしは追放されたも同然。頼ることは出来なくなるだろう。
「でも良いのか? もし学院に残れば、復権もあり得なくない」
確かに無くはない。裁定で無罪が決まった今、わたくしには復権の可能性がある。
でも放棄すれば、それこそ復権は無くなる。
「良いのですわ。わたくしにはもう、あの立場など不要ですから」
署名の墨が乾く前に、わたくしは”戻り道”を焼いた。
戻らないのではない。戻れないようにした。
サフィーは、自分の破滅を代償にわたくしを残した。
ならばわたくしは、自分の未来を代償に彼女を拾いに行く。
これが等価の救い。等価の罪。
誰も祈らない場所で、あの子がひとり息をしている。
その音を聞かずに眠ることなど、わたくしには出来なかった。
わたくしの復権よりも、わたくしのために砂の中に閉じ込められた彼女を救いたい。彼女を砂に埋もれさせてまで貴族社会へ戻るつもりはない。
だからもう良い。
「分かりました。今までありがとうございました」
「ええ、こちらこそ。お世話になりました」
こうして、わたくしは学院のメイドという貴族社会の繋がりを捨てたのだった。
「本当に行かれるのですね」
「お疲れ様でした……」
「ありがとうございましたわ」
侍女達にも挨拶をした。そこそこ長い期間、メイドとして働いてきたから、信頼されているところもあったので、寂しそうにしていた。
彼女達を見ていると戻りたい気持ちにもなってしまう。
「いや……行かないで……」
寂しさのあまり、ロータスは涙を流しながらわたくしの腕にくっついている。
こうされると行けないのだけれども……
「……ロータスも、元気でいるのよ」
彼女と会えなくなるのは、わたくしも寂しい。
でも、彼女には彼女の生活がある。だから……これでお別れね。
「だ、駄目です……あたし、アプリル様が居ない学院なんて……」
「わたくしも辛いわ……でも決めたの。それにこれで、わたくしは自ら追放されたも同然。苦難しかないのよ」
ロータスの腕に縋られたとき、一瞬だけ揺らいでいた。
あの学院の光の中に、まだ居場所があった気がしたから。
けれど、その光の下でわたくしは何をしてきたのだろう。
祈りを言い訳に、誰かの沈黙を踏みつけた。
その同じ足で砂を踏むなら、それが救いになる。
「て、撤回して……ください……あたしは……あたしは……」
涙で袖が濡れている。
こんなに泣いている彼女を見るのは初めて。
そこまでわたくしを慕っていたなんて……
「ごめんなさい。これ以上、居たら……貴女もわたくしも別れが辛くなるから……」
わたくしは無理矢理ロータスを剥がして、学院を後にする。
これでいいの。これで……
「道は長いけれど……大丈夫よ」
一歩ずつわたくしは、隣国との国境地帯にある砂漠へ向かって歩いていった。
門を出ると、音が消えた。
学院の鐘も、人の声も、もう届かない。
ただ、風が草を撫でる音だけが世界の境界線をなぞっている。
背後にある白い尖塔が、光の中でゆらめく。
その光が、まるで誰かの手のように引き留める。
けれどわたくしは、もう振り返らなかった。
振り返れば、また誰かを言い訳にしてしまうから。
「わたくしは行くわ、サフィー」
誰にも聞こえないように呟いた。
その声が風に飲まれて消えたとき、やっと自由になれた気がした。
【アプリル視点】




