栄光の影
告発状を渡してから、裁定の日までは数日ある。
王宮や学院側にとって、様々な調整と準備が必要だから。
それは私達にとっても同じだった。
「これで裁定の日まで待てば良いのですね」
私は聖女様に訊ねる。
でも微笑みながらも、難しそうな表情をしていた。
「実を言うと、告発状や証言だけでは厳しい部分があるの。疑わしきは罰せず、という言葉もある通り、黒かどうか怪しければアプリルは白と決まってしまう」
どこかで聞いたことがある。
つまり、断罪の場での証言とかが弱かったらアプリルは断罪されない訳ね。
確かに証拠といっても、あの切れ端だけじゃ弱い気もする。
でもマズい……そうなったら、私のハッピーエンドが無くなっちゃう。
「どうすれば良いんですか!?」
ちょっと興奮気味に訊く。
せっかく告発状を書いたのに、無駄になるかもしれないなんて。
そんなのはイヤだ。
「大丈夫。動かぬ証拠さえあれば、黒は決まるから」
「しょ、証拠……それさえあれば良いんですね!」
単純な事だった。
証拠はどう考えたって、疑いようがないもの。
アプリルが黒の証拠があれば、断罪される。
「ええ。協力してくれるかしら?」
「勿論です!」
私には断る選択肢なんて無かった。
むしろ聖女様に協力してでも、ハッピーエンドを掴みたかった。
「ふふ、それでこそヒロインよ」
”ヒロイン”ーーその言葉は麻薬のように頭の中を幸せにさせる。
私はこのためにこの世界に転生したんだから。
「ではこれを」
渡されたのは、掌にすっぽりと収まるような小瓶だった。中には乾いた薬草が詰め込まれている。
「……これ、ただの草に見えます」
この異世界に生えている薬草はそこまで知らない。元の世界でも生えているものだったら分かるだろうけれど。
だからただの草にしか見えない。
「ただの草ではありませんわ。確かに一見すれば、ただの草です。ですが、こうしてわたしの”真実の加護”を通せば……」
瓶の中の葉が淡く紫色を帯び、わずかに枯れ斑のような模様が浮かび上がった。
不思議なことに、その紫は蝋燭を離すと薄れ、瓶口に印章の封蝋を近づけるとふたたび濃く滲んだーーまるで”検められる場”でのみ真実を主張するかのように。
「……っ!」
私は思わず息を呑む。
「ほら、毒草が混じっているでしょう? これは明らかに危険物。学院の検査にかければ必ず『毒草の混入』と判定されますわ」
聖女様の声は確信に満ちている。
私は瓶を持って、目を凝らす。
瓶を包む手のひらが、じわりと冷えた。紫の色はすぐ褪せるくせに、冷たさだけが骨の奥に残った。
(本当に……色が変わっている。こんなものを持っていたなんて)
聖女様って、こんな事が出来るんだ。
凄い能力……
「サフィー、これは神が貴女に示された証なのです。真のヒロインである貴女にこそ、この真実を掴む資格がある」
聖女様の目は澄んでいて、真実を見据えていた。
これは正しいことだ。
「はい……!」
私は熱が宿った声で頷いた。
やがて聖女様は私の手を取って、瓶を包み込むように握らせた。
「さあ、これを現在アプリルが寝泊まりしている小部屋に置いておくのです。そうすれば、アプリルの断罪は確実になっていく」
私は自信をさらに持たせて頷いて、瓶を胸に抱きしめる。
(これで私は、ヒロインとして殿下を守れる……!)
私は小部屋に向かった。
アプリルは兵士やメイドの監視下でメイドの仕事をしていて、小部屋は留守。
丁度良い。
「掃除をしに来ました」
私は部屋の前に居る衛兵に頭を下げて、使用人のふりをして中に入る。
小部屋の扉が開いた瞬間、ひやりとした空気が肌を刺した。
格子の窓、硬い寝台、冷たい机。
ここが、アプリルの軟禁部屋……
石造りで全体が冷たい。
「やらないと……」
胸の奥で脈打つ音がうるさくて仕方なかった。
良心は小さく鳴いた。
けれど、背後で聖女様の『選ばれたヒロイン』という言葉が、スイッチのようにその声を黙らせた。
(大丈夫、サフィー。これは勇気、殿下を守るための行いよ)
震える指で小瓶を取り出す。
中に入っているのは……あの毒草混じりの薬草。おそらく誰の目にも、アプリルが所持していると思う。
埃の臭い。床板の古い樹脂の甘さ、布の端が爪に引っかかる。ーー指先に付いたそのざらつきが、いつまでも離れない気がした。
それでも私は寝台の下に、小瓶を押し込んだ。
カタン、と木が鳴る音。
途端に背筋が凍りついた。
(……これで、アプリルの罪はもう一つ増えた)
後ろめたさがほんの少しだけ胸を刺す。
でも、その痛みすら甘美に感じしてしまう。針治療をしているかのように。
だって、これで殿下は私を褒めてくださる。
これで私はーー本物のヒロインになるんだから。
「グルナ様、アプリルの小部屋に小瓶を仕込みました」
「サフィーご苦労様、この証拠は完璧。アプリルは断罪される可能性が高くなる」
聖女様は私の頭を撫でてくれた。
とても嬉しくて安心する。
「ありがとうございます!」
こんなに喜んでくれるなら、仕込んだ甲斐があった。
「ねえ、サフィー。今日の夜、キリル殿下と会える機会があるのだけれども、来るかしら?」
「で、殿下と……!」
聖女様が王子と会えるチャンスを設けてくれた。
こんなにわくわくすることはない。
「行きます! 絶対に行きます!」
私は先走った感じで、乗っかった。
でもこれくらいの気持ちを見せないと、聖女様だって誘ってくれないと思う。
ああ、夜にならないかな。
楽しみでたまらない。
「では楽しんできて」
「は、はい……!」
夜になって聖女様と一緒に学院の庭園へ。
途中までは一緒だったけれども、そこからは私一人で向かうことになった。
「本当に……」
月明かりに照らされた小径。
そこにキリル王子が立っていた。
「サフィー嬢……来てくれて嬉しい」
その声は前よりも柔らかくて、彼の眼差しは深い慈愛を帯びていた。
私は思わず胸が高鳴った。
「殿下……私などが、このようなお時間を頂いてよろしいのでしょうか」
「勿論だ。君は勇気を示した。あの告発状がどれほど重い意味を持つか……私は理解している」
王子の手が、私の肩にそっと置かれる。
「君が居たからこそ、学院の秩序が守られるのだ」
(……私が、学院を救った?)
その言葉に、頬が熱くなる。
王子は続けた。
「君の心根は清らかだ。グルナ殿も言っていた、”真の導き手”だと。……私も同じ思いだよ」
その瞬間、涙が溢れた。
嬉しさなのか感動したのか。
「殿下……! 私、殿下のためなら、どんなことでも」
王子は微笑み、私の手を取る。
「では、裁定の日も胸を張るといい。真実は君の側にある。そしてその後に……未来は、君のものだ」
夜風が髪を撫で、世界が二人だけの舞台になったように思えた。
(これが……ヒロインの時間。栄光のご褒美……!)




