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「はっはっは。歯にものを着せぬ言い草やな。気に入った!」
老人は手を叩いて大笑いする。
「まあ、お前さんが理解できなくても事実に変わりはないんやがな」
そう言いつつも、それ以上は言おうとしないようだった。
イドもまた、それ以上は追求しなかった。気になりつつも、あくまでも老人とは会ったばかりの間柄。変に踏み込むことも躊躇われた。
低い可能性の一つに過ぎないが、老人が身体の器を狙ってきたとも考えられる。老人が犯人の一人だとして、身内が来たために木の上から狙っていた人影が退いたのかもしれない。あくまでも可能性の一つ。現状で最も可能性が高いのは老人が無関係の一般人で、一般人に目撃されるから退いた可能性だ。
ゆっくり瞬きをして、再度、警戒を高める。
「それで、おじいちゃんは――」
「燈樹様、少々お待ちくださいませ」
山の麓の木々が少なくなり、見渡しが良好になるその場所で、突如、老人とイドの前をイドが身に纏っている服に似た数名が塞いだ。
「……なんや?」
空気がピリッとひりついているところに、老人は平然と首を傾げた。
『燈樹様』と呼ばれたということは、老人とこの女性らは知り合いということだろう。ただ、その両者には超えられない立場の差があると見た。
かの燈樹と比べ、彼女らの表情には強張りがある。明らかに、緊張しているのは彼女らの方だった。
「楽しくイドとお喋りしとっただけなんやけど」
「それは失礼致しました。ですが、その者はこちらに引き渡して頂きたい」
「……何やと?」
「僕?」
思わぬ事態になった。
イドは両目を閉じて思い出してみる。
彼女らにイドとの関係はない。以前に会ったこともないし、ましてや連れて行かれるようなことも見に覚えがない。
そこまで考え、イドは自分の身体が自分の身体ではなくなっていることを思い出す。
変な返答をしなくてよかった、と焦りの余韻を残し、安堵した。その間、燈樹と彼女らのやり取りは続いていた。
「何でや」
「それは申し上げられません。引き渡してください」
「こやつは大怪我しとるんやぞ?何が目的か知らんが、そっちで処置してくれるんか?」
「……必要であれば」
「必要に決まっとる」
「燈樹様。花街と敵対するおつもりですか?」
「……」
何か不穏な空気が漂い始め、イドは自分の存在感をできるだけ薄くした。
彼女は一歩前に出て、燈樹を見据える。
「燈樹様と言えど花街とことを構えるのはあまりよろしくないのでは?これは花街からの命令です。その者をこちらに引き渡してください」
「…………何を言うかと思えば」
やれやれ、燈樹は肩を竦めた。
「お前さん、ワシをなんだと思っとる?花街と敵対?わしとしては別に構わんけど」
「……何ですって?」
今度は燈樹も目を細め、威圧する。
一触即発な雰囲気にイドは内心、あわあわしていた。
このままでは互いに喧嘩になってしまう、と両者の間に身体を割り込ませる。
「ま、待って――」
気づいた時にはもう既に遅かった。
自分でも驚くほど、身体が勝手に動いていた。
――まずい。
その場の視線が一斉にイドに向く。
張り詰めた空気が今度はイドへと突き刺さった。
「何かあるんか、お前さん」
「貴方は引っ込んでおきなさい」
低く、鋭い声。
どちらも敵に回すことはあまり宜しくない。
それでもイドは一歩も引かなかった。
――ここで黙れば本当に何も分からなくなる気がする。
「……連れていくなら理由くらい教えてほしいんだけど」
目は逸らさない。
一瞬の沈黙。そして――
「はっはっは」
「はぁ……」
その時、両者のピンッと張られた糸が一気に緩んだ。
「まったく。これだからじいさんは」
「はっはっは、伊達に年取ってないわ」
「へ?ん?」
「わしも同行させてもらうけど、いいんやな?」
「ダメって言っても来るんですよね、どうせ」
「当たり前や」
「はぁ……」
イドを置いてけぼりにして、話が両者の間で進んでいく。
何だんだ、二人の関係性は悪くないらしい。だからこそ、イドの器を狙っている可能性が高まるものだが、ぽんぽんと決まっていく処遇にイドは手一杯だった。
ふと、燈樹がイドの方を見て口を開いた。
「お前さん、どうやら随分と大変なことに巻き込まれとるんやなぁ」
「大変なこと?」
「まっ、あいつのことや。お前さんなら大丈夫やと思うけどな、頑張りーや」
「はい?」
終始、訳が分からなかった。
取り敢えず、イドと燈樹が一緒に花街へ行くことが決まったことは確かだ。
花街に連行されている間、イドは景色を見ながらこれまでのことを考え、ほとんど口を開かなかった。
景色はやはり見慣れないもの。イドが死んで何年経ったのか、大して文明は変わっていない様子だが、果たしてイドの前世に花街なるものが存在していたかは不明だ。いや、おそらく存在していなかった。
また、イドは燈樹と会ってから、どこか記憶を探られている気がする。燈樹が探っているのではない。イドの深層心理が呼び起こしているとも言える。燈樹に会ったことがあるのか。ただの記憶違いなのか。会ったとしても、どこで会っているのかは分からない。
思い出せないはずの何かが、イドの中で浮かびかけては沈んでいく。
――会ったことが、ある……?
答えは出ない。
不明瞭なことが多すぎて、全てを警戒すべきなのだろうが、イドは何となく、燈樹と彼女らのことは信じてもいい気がしていた。
そう、気を緩ませたことが駄目だったのだろうか。
イドらがいた山から花街までは目と鼻の先だった。
花街やら遊郭やらと言われているらしかったが、花街に入ったイドは意外に思った。
妓楼が立ち並ぶのかと思っていた。それがまさかこんな、商店街のような、アウトレットかのような、ありとあらゆる店が軒を連ね、太陽が東にある今でも活気に溢れている。
お上りさんの如く、イドが周囲に見惚れている間に燈樹とは別れた。
賑やかな、笑い声が遠ざかっていく。
代わりに聞こえてくるのは鉄の軋む音。
そして、湿った空気。
「こっちよ」
案内する女は振り返らない。
イドはそこで漸く気がついた。
これは保護ではない。
明確な隔離だ。
「え?」
ガシャン。
無慈悲な音が静かに響く。
逃げ場は、もうない。
「え?は?な、なんでーーー?!」
理由も何も説明はなく、問答無用で閉じ込められ、イドを連れてきた女はそのままどこかへと言ってしまった。
放置なのか、ここに来て。
鉄格子を目一杯揺らすも、当然のようにびくともしない。
「い、いやいやいや?確か、こういう物語もあった気がする!」
誰もいない。
背後の壁には鎖で繋がれた手錠。
不気味にところどころが黒ずんでいる壁は見間違いだと思いたい。
「うん、閉じ込められて始まる物語もあるよね?!ね?ねぇーーーー!!」
最早、やけくそである。
そこへコツ、コツ、と誰かが来る足音が響いた。
イドはそれに気づかず、大声を出し続ける。
ここで何が行われていて、今後イドも同様の目にあうなんてこと、考えたくもないし、可能性の話でも目を逸らしていたい。イドのそんな心が透けて見える。
「ちょっと、耳障りな声出さないでくれるかしら、罪人」
低いのに何故か高いように聞こえる声はそんな中でも落ち着いていた。
振り向いた瞬間、空気が変わった。
薄暗い中でも分かる美貌。肩まで伸びた赤茶髪が揺れる。ただ存在しているだけなのにやけに色気がある姿は正に花魁。
優男が顔を顰めて立っていた。
「罪人……?」
「ふぅん?まぁた、記憶がないとかこんがらがってるだとかで欺こうって言うの?間に合ってるわよ、そういうの」
呆気に取られるイドを侮蔑の目で見下す様すら見惚れるほど。
「二度目は通用しないってね」
呆れた、と髪をかきあげる。
がしかし、残念なことにイドにこの身体の記憶がないことは本当だ。
それよりもイドが気になったのは彼の発言だった。
「……二度目、なの?記憶喪失が?」
身体の主がかつて記憶喪失となっていたことだ。
イドのように記憶がない状態のことを周りが記憶喪失と言っているだけなのか、本当に記憶喪失だったのかはこの際、置いておく。
身体の主が記憶喪失だったとしたら、イドの仮定も変わってくる。
イドは山で目覚めた時、身体に入っていたであろう魂を捜した。もし、死んだ身体にイドの魂が入ってしまっていたのだとしたら例外を除いて必ず本来の魂があるはずなのだ。しかしそれはなかった。そして今、かつて身体の主が記憶喪失になっていたのだとしたら、魂がなかったことにも説明がつく。イドが転生した可能性だ。
イドは転生していた。前世の記憶を持っていたか否かは分からないが。それが記憶喪失で全ての記憶をなくし、今回の騒動で前世の記憶だけを思い出してしまった。
――いや、そうなってくると何でもイケるぞ?
一度目の記憶喪失があろうがなかろうが、イドが転生して今回、記憶喪失と共に前世の記憶だけを思い出してしまった可能性もある。
イドはてっきり自分は転生しないものだと思っていたため、憑依した前提で考えていたが、単純に転生したかもしれない。つまり、魂捜しをしなくてもいいということだ。
ぱあぁぁっ、と表情を明るくしたイドに優男は更に眉間のシワを深くする。
「ふん、何を今更?ここに来た時、記憶がーとか言って紛れ込んで、諜報活動に勤しんでいたらしいじゃない?それがバレたんでまた最初からだなんて考えてないわよね、四芭?」
「よつば?それって僕のこと?」
「だから、記憶喪失のフリはもういいわよ。あなたのここでの名前でしょ?ま、あなた、記憶喪失だったから?あなたの名前が四芭っていうことでもあったわね」
「よつば……そうなんだ。ちなみに僕はイドだよ!」
イドはすっかり、一つの心残りが減ってすっきりしていた。
まあ、憑依していても転生していてもイドのやることに違いはない。前世の知り合いには会わない、関わらない。前世、イドは死んだのだ。死んで、全て終わったのだ。
転生した後に知り合った人達はどうしようか。
「あら、今回は名前を覚えているようでよかったわ」
にっこり、笑みを深める。
嫌味だ。
しかし、イドには通用しない。
――うん、今世の記憶がないんだから初めましてにしよう。
「ねねね。よつばは君に仕えてたの?」
「……いいえ?」
何なの、この違和感。
優男は疑問に思いながらイドの問いに答える。
「そっかぁ。じゃあ、どうして今、君がここにいるの?」
「なんで、ね……」
優男は花魁だが、それだけが仕事ではなかった。
懐に常備している使い捨ての手袋を指先まで丁寧にはめる。
その動作がやけに慣れていた。
「あなたが罪人で、わたしが今から拷問するからかしら?」
鉄格子の鍵を開けて静かに入る。
ゆっくりと近づいてくる。
鍵の音がやけに大きく響いた。
「安心おし。死なせるようなヘマしないから」
優男は表では夕霧太夫という【竜胆楼】において随一の花魁でありながら、裏では花街に根付く悪を拷問という形で情報収集する花街一の拷問師であった。
言うなれば、この地下等は夕霧のための拷問施設。
花街において三大妓楼と呼ばれる一角の【竜胆楼】。他の三大妓楼にもそれぞれ役割があり、そのための施設と花魁や禿がいるのだが、それは花街に住む者でも限られた者しか知らない。当然、イドの身体の器である天竺も知らない。
「さ。あなたがここで何を知って、誰に伝えようとしていたのか……ちゃぁんと教えてくれたらすぐ楽になるわ」
夕霧の服に隠された数々の拷問器具が広げられる。
「さあ」
微笑む。
「どこから話す?」
ごくり。
緊張からか唾を飲み込む音が大きく聞こえた。
「……僕、何も知らないよ」
イドの頭の中ではついさっき思い出した背後の黒ずみがひっきりなしに横切っていく。
嘘ではない。
だが、信じられるはずがない。
心臓の音がうるさい。
冷や汗がイドの背中を流れた。
本当のことを言っても逃れられない。それはここまで連れて来られる間の問答ではっきりしていた。
ひやり。
頬に冷たい何かが触れた。
「ふぅん?そっちの選択肢を取るのね」
刃だった。
「やっぱり男って生き物は愚かだわぁ、存在する価値がない」
「…………」
そうは言われても、イドは何も知らない。
燈樹に会う前、命を突然狙われたことすら何が何だか分からないのに。
まさか、ここの人達が殺そうとしてきたのか。
――それはない!拷問までしてくるなら殺す理由はない。
何が正解か。
何を言えば納得してもらえるのか、否。納得してもらえるわけがない。
その時――
「ゆ・う・ぎ・り」
第三者の声が聞こえた。




