番外編 名前がない吸血鬼
読まなくても大丈夫なやつです!
本編を書く前に急遽、書きたくなったので、とばして頂いても構いません。
人類の敵が英雄によって討伐されてから数十年。鬼達の勢いは減衰し、あれは真祖だったのでは、と囁かれ始めた。
その時代のとある所に、一匹の名前のない吸血鬼がいた。
彼は世間一般で言う、中級に属する者だった。闇から誕生した時からそうだったし、身体も今の姿のまま生まれ、成長はしていない。
心のない化け物。
時に人は闇から生まれる彼らのことをそう呼んだ。
実に彼はその通りの生活をしていた。決して満たされることのない渇き、飢えに気の向くまま、人間を貪り食う。仲間意識のない同族とも争うことももはや日常。弱い奴は死に、強い奴が奪う、弱肉強食の世界。
そこに疑問はなかった。生まれた時から当たり前で、奪い奪われてきた。
どこにでもある、森の中に彼は木に手をつく。
「あー……クソ」
もたれかかってみても、彼の体力は限界らしかった。ずるずる、と背中を木に預けながら、座り込む。
「あのゴミ共が」
毒づく。
使役者達に追われ、あまつさえ深手を負わされた。聖水に濡れた銀の剣だったため、修復されないし、時間が経った今も爛れた傷が激痛を生む。
瞼が落ちる。
数時間、使役者達と激闘を繰り広げ、所々聖水は浴びたし、銀の剣による切り傷も無数につけられた。
彼の体力はもとより、気力も限界を超えている。
人気のない森の中。
彼は気絶するように眠りに落ちた。
――――――――
――――……
ガサガサ。
ゴソゴソ。
ぬり、ぬり。
近くから聞こえてくる物音と、肌に触れる感覚にゆっくり意識が浮上した。
「――…………あ?」
目が合う。
上半身の衣服は脱がされたらしく、スースー風が通る。
「み、みどゅ」
舌っ足らずな言葉遣いで、ムチムチとした腕でひび割れたコップを差し出してくる。
鮮血色の瞳。
鋭く長い爪。
吸血鬼の特色を色濃く現している。しかし、鬼としてはあり得ない人間の四、五歳ほどの見た目をした幼子。
逡巡する。
――こいつ……チッ。同種かよ。
人間に擬態もできない、出来損ない。
にもかかわらず、幼子の等級は確かに中級。
彼にとっては旨みも何もない存在だった。
「みどゅ、どーじょ」
何の反応も示さない中級に焦れたのか、再度、水を催促してくる。
「失せろ」
中級は一瞬、目を細め、すぐに身体を反対側へ転がした。
とっくに興味は失せた。
上級の出来損ないであれば、即座に喜んで食らっていたところだが、同じ中級では意味がない。等級を上げることも、傷を治すこともできない。更に、鬼同士では吐き気がするほど味が不味いのだ。
「みじゅ」
幼子は何をしたいのか、尚も水を差し出す。
弱いくせに。
何もできないくせに。
中級は無性に腹立たしくなった。
「うっせーな!失せろっつってんだろーが!」
「で……でも……」
腕を払い除ける。咄嗟に腕を引いた様子で、幼子の手の中にはまだ水があった。
瞳をうろうろ。
何を言いたいのか、幼子はもじもじする。
バシャ。
苛つくまま、わざと幼子の手の中にあった器を払った。
水、水言っていたのだ。これで満足だろう、と鼻を鳴らす。
幼子は何もなくなった手のひらを見下ろし、徐に泣きそうな顔を浮かべた。そして、とぼとぼと俯きながら中級から離れた場所で座り込む。
もう構ってこないだろう、と目を細め、中級は寝転がって目を閉じた。
それから、どれだけ時間が経ったのか。
ガサゴソ。ガサゴソ。
耳元で動く気配に中級は目を覚ました。
「――…………あ?」
今度は覗き込んではいなかった。むしろ、目を開けただけでは幼子の姿は見えなかった。
中級は目線を下げ、幼子が中級の腹に何かを押し当てる様を捉える。
「テメェ……!」
「いたいいたい、なおりゅ!」
おろおろもじもじしていた様子はどこへ行ったのか、腕を掴む中級に幼子は目一杯主張した。
「あ?」
「こりぇ……やりゅの!」
「あ……おい!っ――――!」
草を押し当てられると同時に激痛が走る。草の液が傷にしみる。
悶える中級に眉を寄せる。
「いたいいたい?だんばって」
中級を気遣った声。
終始、幼子が何をしたいのか理解不能である。
幼子よりも力が強い中級を食らうわけでもなく、つかず離れずの距離を保ちながらも何かをしようとする。
「はぁ――――……クソ」
気が抜けた。毒気を抜かれるとはこのことなのか。
痛みが幾分か和らいできたのを感じ、中級は
再度眠った。
暫くした頃、痛みに起きる。
「っ……」
「いたいいたい?」
ずっとそうして隣に座っていたのか、すぐに空が見えなくなる。
「……失せろ」
中級ながらに覇気のない声色だった。
感情に波紋が起こることさえも煩わしい。そんな気力もない。
目を閉じるも、視線を感じて鬱陶しい。
「だんばって」
「失せろ」
「…………」
ややあった後、幼子は少し離れて座った。
「失せろっつってんだろーが!」
「やじゃ」
「殺されてぇのか、テメェは」
苛立ちに目を鋭くさせる。
屈辱だ。
誰に助けられても侮辱ものだが、よりにもよって同じ中級でありながら下級にも劣る同族に。とても許容できるものではない。ただでさえそうなのに、ここまで気遣われて、ここまで細やかに世話をされて。
まるで中級の方こそが弱い者みたいではないか。
中級の心情を知ってか知らずか、幼子は変わらず心配げに中級の汗を優しく拭う。
「いたいいたいよ。とぅらいのよ」
「……」
――何なんだ、こいつは。
中級には分からない。理解ができない。
目の前の幼子が、理解不能な存在のようで、気持ちが悪い。
「チッ」
ここまで不快になったのは実に百年振りだ。何故か、とてもイライラする。
幼子も鈍感にでも感じ取ったらしく、何も言わずに中級のもとから立ち去った。
漸く、静かになる。
きっと、意味の分からないこの苛立ちもいずれは収まる。動けるようになったら、この際、幼子を殺してもいい。殺す意味はないが、この心地悪さも殺せば落ち着くだろう。
無心に空を眺める。
こんな風にわざわざ空を見ることなど、これまで一度たりとも経験したことはなかった。天気の良し悪しも、中級にとっては獲物を狩る際のやりやすさの目安に過ぎない。そこに感情が割り込むこともないし、人間のように天気を予測するまでもない。
しかし、今では中級は獲物側でもあった。動けない弱った中級の吸血鬼など、下位の者にとっては格好の獲物だ。
中級は気を引き締めて周りを注視する。
右に、左に。目を動かして警戒する。
するとそこには、身体半分の桶を運ぶ幼子の姿が。
「みじゅ、いっぱい」
満面の笑みで桶を中級の側に置いた。
何が可笑しいのか、中級には分からなかった。何を笑っている。喉元までその言葉が出かかったが、何故だか、中級は飲み込んだ。
「こりぇ、よくなる」
幼子が取り出したのはどこにでもありそうな葉っぱと茎。
「あ?――――っおい!」
「よくなるの」
またかよ。
うんざりした。
幼子は中級の腹に貼っていた草をひっぺがすと、すぐさま持ってきた葉っぱを乗せて動かす。
「触んな!」
「ぬりゅの」
拒絶する中級を意に介さず、幼子は葉を動かし続ける。
少しずつ葉から液体が身体に染み込んでくるのが激痛と共に感じた。
声なき悲鳴に中級は歯を食いしばった。
「いたいいたい?もすこし」
幼子の気遣う声が耳を通り抜ける。
どれだけ痛みに耐えただろう。数分にも、数時間にも、半日にも、一日にも感じた。
以前の草、そして今回の葉。これらは全てここらで採れる、実に珍しいものだった。幼子が長い年月をかけて、自身の血を栄養にして育てたもので、幼子以外にそれらの効能は知らない。更に言えば、幼子自身も詳しくは知らない。ただ一つ、鬼に天敵となる銀や聖水の効果をある程度弱体化することができる、ということは分かっていた。
こんなことをわざわざするなど、おそらく身を潜め、暇を持て余し、力が弱い幼子くらいなものだろう。故に、これらは珍しいものなのだ。
傷を治せるのか、皮膚の内部に浸透してしまった銀と聖水にも効果があるのかは賭けではあるが、幼子は中級の傷を見た際にこの草や葉が必要だと直感した。それはきっと、正しいものだ。
「あんしぇい、すりゅのよ」
「黙れ。構うな」
意味のある言葉を発せられるようになってから中級が発した言葉は相変わらず、幼子を追い払うものだった。
幼子は安心したようにムフー、と鼻息を吐いてから静かに地面に腰を下ろした。
それ以上、何かをするつもりはないらしい。
すっかり大人しくなった幼子を横目で眺め、中級は息を吐いた。
「はぁー……」
あいつら、ぜってぇ殺す。
使役者共がいなければこんな面倒なことは起こっていなかった。中級は自身の中に使役者共への殺意がふつふつと膨れ上がるのを感じた。
数日、幼子は変わらず中級の世話を焼きたがり、中級は無視を貫いていた。
ある日は木の実やらを持ってきて中級に食べさせようとして、さすがに払い除けた。
「んなもん、食べるわけねぇだろ!」
と、一喝して反応してしまったのは仕方のないことだろう。
それからまた数日経って、中級は傷も塞がり、歩けるようになった。
もう、ここに居座る必要はない。
日課となった水汲みから帰ってきたらしい幼子に一瞥もせず、中級はその場から消えた。
思ったより長くなってしまった……
あと1話続きます。




