98.蠍と兎と…… その一
新たなハイエルフの誕生に里の者達が大騒ぎする一方、ロザリーとユキはフェイルに連れられて安寧の間を訪れていた。
安寧の間ではアウラ゠リオが寝台に身体を埋めており、フェイルはロザリーとユキを残して退出する。
「さて……座への挑戦だったか」
「はい。私は元々、強くなるために座を求めましたから」
「知っている。……挑戦させるのは吝かではないし、歓迎することではある。だが、アレに挑戦できるのは一人だけ」
そう言ってロザリーを見る。開かれた瞳は見る角度によって万華鏡のように色彩が変化し、宝石のようでもある。
「絆を結んでいようと、魔物を連れて入るのは不可能だ」
「そう、ですか」
「myaa……」
彼女の足下で残念そうに鳴いたベレスを抱き上げ、ロザリーはその背中を軽く撫でた。
「あとでフェイルに案内してもらうといい。細かい条件は遺跡の内部に記されているはずだ」
「分かりました。……遺跡なんですね」
「人の作った物ではない。だが遺跡ではある」
アウラ゠リオとの会話を終えたロザリーはユキと共に安寧の間から退出する。
この安寧の間は里で一番の巨木の内部にあり、入るには巨木を囲む螺旋階段を一〇〇メートルほど登らなければならない。
階段を降りた先でフェイルと合流する。
「早速ですが、座がある遺跡に案内してもらえますか?」
「本当に早速だね。いいよ、案内しよう」
フェイルは二人の前を歩く。向かう先は里の外れにある遺跡だ。
ハイエルフと神々が座と呼ぶモノはその遺跡にあり、遺跡は里の一番外側で、天蓋山に背を向けるように建っている。
切り出した岩を積み上げた、よくある遺跡だ。
「ここが座のある遺跡だよ。里の若者が成人する時に挑むことはあるけど、奥まで入れた者は誰もいない。中がどうなっているか分からないから気を付けるように」
フェイルの言葉に頷き、ロザリーは遺跡の内部にゆっくりと踏み入った。
そして、彼女の身体が完全に遺跡の中に入りきると、入り口が蠍のような複雑な紋様で覆われる。つまり、閉じ込められたのだ。
♢
「……完全に隔離されるとは思わなかったけど」
彼女が背中に熱を感じた瞬間、蠍のような模様がある不透明な壁で入り口が塞がれてしまった。座に相応しいかどうかの試練はすでに始まっているのだろう。
まずは周囲を調べてみようと見渡すと、ロザリーは下に降りる階段とやけに真新しい石碑を見つけた。
石碑には綺麗な直方体で文字が刻まれており、ここに書かれている内容が座に挑む条件なのだろうと察しがつく。
一つ、旧き血を受け継ぐ者であること。
一つ、深い絆を結んだ従魔がいること。
一つ、世界を蝕む呪いを克服していること。
一つ、世界に縛られない者であること。
一つ、加護を獲得していること。
この五つの条件を満たした者だけが魔王の座に挑戦することを許す。
これが石碑に書かれていた内容であり、奇しくもロザリーはその全てを達成していた。
四つ目の『世界に縛られない者』の意味は理解しかねるが、この世界の外である世界から来た存在と言うことなら、辻褄が合うだろう。
「魔王の座……」
そう言えば座の名称を聞いていなかったなと、ロザリーは僅かな後悔を覚えた。魔王……そう魔王だ。
これは魔物の王を意味するのか? それとも魔法の王か? もしくは悪魔に関係しているかもしれない。
この遺跡の雰囲気を踏まえると魔物の王か悪魔の王と考えるべきだろう。
……しかし、力は単なる力に過ぎない。世界征服も人類滅亡も志す気が無い彼女が手にすれば、瞬く間に無害となるだろう。
石碑の裏に回って階段を降りる。深淵にでも繋がっていそうな暗闇だが、一段一段ゆっくりと進んでいく。ハルバードは既に抜いて、いつでも振るえるように準備している。
……かなり長い階段だ。ロザリーが階段を降り始めてもう一〇分が経っているというのに、まだまだ床に到達する様子がない。
ところでこの遺跡に名前はあるのだろうか?
魔王の座があることといい、条件が設けられていることといい、確実に名があるはずだ。ハイエルフや神々は遺跡の名を口にしなかったが……
『――まずは、己の覚悟を示せ』
「っ……なるほどそう来ますか」
とつぜん階段が途切れたと思ったら、囁かれるような声が彼女に届いた。そして一〇数メートル先には、真っ暗な空間に浮かぶ白い人型のナニカがある。
ソレはロザリーの見覚えがある姿に変化して、腰から提げている武器を引き抜き始める。
「一番大事な人と戦えるかどうか……倒せるかどうか、かな」
「こんなところ来ちゃダメだよロザっち」
白い人型は白雪御前の姿を真似たのだ。彼女はロザリーにとって最も大事な人物である。ロザリーの心の支柱となっているのだ。
だからこそ、試練で斃すべき相手として設定された。
けれど、姿を真似たところで彼女になれるわけではない。彼女の実力、精神性まで模倣することは出来ないのだ。
ソレに出来るのはステータスと装備をコピーして戦うことだけ。戦術までは再現できない。
ガワだけ用意した偽物が精々だろう。
「ねえ、一緒に戻ろう? 私が養ってあげるからさ」
「ユキはそんなこと言いませんよ」
「……何言ってるの? 私はユキだよ。危ないから早く――」
「下手くそな演技ですね。そもそも」
――踏み込み、一閃。
「彼女と殺し合った経験はいくらでもありますから。猿まねぐらいでどうにかなるわけないでしょう」
ユキはもっと俊敏に動くし、ロザリーを動揺させるならもっといい方法がある。
二振りの刀を抜いただけの偽物を片付けたロザリーは、次の部屋へ足を進めた。
『――次に、汝の純潔を示せ』
再び聞こえる謎の声。
偽物を超えた先はザ・ダンジョンと言うべき様相の構造となっており、苔が生えた岩の通路を魔物が塞いでいる。
人間に近く、しかし人には程遠い姿の魔物。
「ふっ、こんなところにプリンセスがいるとは――ギャー!?」
サキュバスやインキュバス等の淫魔を冷たい眼で見下ろし、ロザリーはそれらを淡々と片付ける。
扇情的な姿で人を魅了し精気を吸い取ると言われる魔物だが、彼女からすればゴミみたいな存在だ。
「(……私の理想の相手って、ユキしか思い浮かばないんですよね)」
「世の女性達はこの姿にときめくのでは!?」
「例外って言葉知ってます?」
典型的なイケメン王子様を鎧袖一触し、ロザリーは通路を進んで行く。
通路自体が広いのもあるが、分岐や階段などで複雑な迷路と化しているため、実際に進めているかどうかはゴールに着かなければ分からない。
「……また行き止まり。ベレスがいないから時間が掛かるし、スキルも取得できないし、どうしようか」
長い道が行き止まりだったり、遠回りにしか思えない道が意外と奥まで続いていたりと、【斥候】系のスキルが切実に欲しくなる構造だが、残念ながらこの遺跡の中でスキルの取得は制限されている。
愚痴を零しながら歩き続ける。
ちなみに淫魔の他にも魔物はいるが、レベル100を超えている彼女が苦戦するほどの個体はいなかった。魔物がレベル100を超えることは滅多に無いのだ。
この時点で試練が始まってから三時間が経過している。
謎の声が聞こえる様子は無いため、まだ純潔を示せていないのだろう。




