97.ルナハート
□ハイエルフの里・安寧の間
ハイエルフとは、“エルダー”の血を神代の時代から受け継ぐ種族であり、大陸の中心に聳える天蓋山を守護する使命を持っている。
その詳しい理由は長老を含む一部の者しか知らないが、ハイエルフ達はそれが自分達の存在意義の一つであると認識していた。
「――何年が経過した……?」
長老とその側近しか入ることを許されない安寧の間にて、一人の女性が気怠げな様子で言葉を紡いだ。
眠りから覚醒したばかりの意識は微睡みの中にあるが、それでも物事をハッキリ認識している。
「九七年です、長老様」
起床したばかりの彼女に、恭しく頭を垂れていたフェイルが返答を返した。
長老は「そう……」とだけ呟くと瞳を閉じ、その頭で凄まじい思考を繰り返す。九七年も眠っていたというのに、その機能は僅かたりとも衰えていないのだ。
「新しい同胞を歓迎しないとね……」
「はい。すでに枝の採取は終わっていますので、儀式が終われば新たなハイエルフが誕生することになります」
「来訪者か……」
「はい。人の世界では異人と呼ぶそうです。来訪者と異人の違いは――」
「我にとって差異は無い……」
目を瞑ったまま長老は言い切った。
睡眠中だろうと里の中での出来事を全て把握しているため、結界を破ってハーフエルフとオニビトが里に入ったときから来訪者のことは知っている。
彼女はハイエルフではない。けれど、その身体はハイエルフのものであり、ハイエルフの血脈が途絶えないよう里に尽くすことに変わりはない。
彼女の名はアウラ゠リオ・ベル・ファラスト。【安寧神】として人々に知られる、睡眠と平和を心から愛する神である。
儀式が行われるのは里の中央広場だ。
エルフ、ハーフエルフをハイエルフにするには神の血を呼び起こす必要があり、それには潤沢な魔力が必須となる。
この広場の中心には一辺が一〇メートルの舞台があり、そこには複雑な魔法陣が刻まれている。魔力を集め、貯蔵し、然るべき時に使用するためのものだ。
――その舞台に、一人の麗人が立つ。
巫女服のようにも見えるが、植物を模した意匠と、分離袖や白金の装身具から分かるとおり、これはハイエルフが特別な日に着る衣装だ。
安置された枝を見据え、ロザリーは片膝を付く。こういったひらひらする衣装を好まない彼女だが、必要ならば着こなし、相応の礼節を発揮する。
もし、今のロザリーを一言で喩えるのなら、精霊が適切だろう。
神秘的な衣装を纏い、儀式に臨むのだから。
「(……彼女が、長老)」
そこに、段差をゆっくりと上がる人物がいる。
普段は安寧の間で眠る、地上に残った数少ない神。ハイエルフ、そしてエルフやハーフエルフの種族神とも言える存在。
長老、アウラ゠リオ・ベル・ファラスト。
彼女が舞台に上がると、刻まれた魔法陣が仄かに輝き始める。神の血を呼び起こす儀式の舞台に、紛れもない神が立っているからだ。
「名を」
「ロザリー」
「では、アウラ゠リオ・ベル・ファラストの名において、第二の名を授けよう。――ここに、新たなる同胞を迎えよ!」
その瞬間、光が解き放たれた。
星々のように煌めく光が舞台を包み、黒きトレントの枝が繊維状に解れ、光に溶けていく。
儀式を見守るハイエルフ達も、この時ばかりは静かに見守っている。ユキは何故か後方彼氏面して木により掛かっていたが……
《――プレイヤー名『ロザリー』の種族変生を確認しました》
《――ヘルプを追加します》
《――キャラクタークリエイトが可能です》
対してロザリーの意識は、里とは全くの別空間に飛ばされていた。
そこは宇宙のような場所。異人がこの世界に降り立つ前に訪れる、キャラクタークリエイトをするための空間だ。
彼女の前にはシステムが作成した仮のアバターがある。ある程度の調整はロザリー自身で行えると言うことだ。
とはいえ、彼女はあまりアバターに拘らない。動きを阻害することさえ無ければいいからだ。
無論、彼女が抱える障害はどんなアバターだろうと完璧に扱える。それでも、ロザリーは今のアバターを大きく変えるつもりはなかった。
ほんの数分で調整は終わり、意識が元の場所へ返される。アウラ゠リオは光が収まったことを確認すると、口の中で小さく「早いな」と呟いた。
種族変生に前向きな者ほど、自分の肉体を変化させたがる。何十分も、場合によっては何時間も掛かることだってある。
だが、目の前のハーフエルフ――来訪者は彼女の予想に反し、ほんの数分で種族変生を終わらせた。思わず閉じていた瞳を開きかけるぐらいには、アウラ゠リオも驚いていたのだ。
種族変生を終えたロザリーの姿は儀式の前とあまり変わらない。外見的変化は耳が僅かに長くなったのと、髪の一部がつる植物に似た性質を帯びただけだ。
一番の変化はステータスだろう。ハイエルフとなったことで全てのステータスが一割増強され、これまでのレベル分の誤差も追加されている。
儀式の前と彼女自身と戦えば、間違いなく圧勝できるぐらいには強くなった。
「――名を告げる」
改めて名付けが行われる。
今のロザリーの名前はハイエルフとしての名ではないからだ。もちろん、今までの名前が無くなるわけではない。
この名付けは【安寧神】の庇護下にあることを意味するため、儀式的にも重要なことなのだ。
「汝の名はロザリー……ロザリー゠ルナハート」
新たに与えられた名はルナハート。月の心臓を意味する言葉である。アウラ゠リオがなぜこの名を付けたのかは彼女にしか分からない。推測するのも難しいだろう。
粛々と名付けを受け入れたことで儀式は完了した。
そして、ハイエルフ達は数十年ぶりの大宴会を開き、飲めや歌えの大騒ぎを始めるのだった。




