96.黒い枝
遅く……なりました……
――遂に天蓋山に登る日がやってきました。
この山は大陸の中心に存在するのも関わらず、実際には空間が繋がっていないという摩訶不思議な位置に在ります。登るには空間が安定する数日間を狙う必要があり、安定しているかはこの地に住むハイエルフしか判らないそうです。
私とユキは山に登れるようになるまでの期間を活用し、昨日の夜にレベル100を達成しています。けれどラストアーツは獲得できず、バグの修正のため一時的に機能を制限していると運営から謝罪メールが届きました。
レベルアップも停止されているようですが、経験値がストックされているので……まあ、許しましょう。
それよりも、儀式に必要なトレントの枝は中腹よりも高い標高に生えているので、採取に失敗すればまた数ヶ月も待たなければなりません。
なので知識のあるフェイルさんが同行してくれることになりました。
「ところで、魔物とかの危険はないんですよね?」
「深層さえ抜ければ驚くほど平和さ。住もうにも、数日経てば時空の狭間に流され消えてしまうからね」
と言うことなので、深層で戦える程度の実力があれば登ること自体は簡単だそうです。
「ただ、トレントの枝は本人が採取しなければならない。見極めは僕がするけど、どれを選ぶかは友に任せるよ」
「……種類があるんですか?」
そう訊くと彼は微笑み、着けば分かると言いました。
里の皆さんが狩りで使用するものより上等な装備に身を包んだ彼は、慣れた様子で深層の道を進みます。
道中で何体かの魔物と遭遇し戦いましたが、長い年月を生きているだけあって、彼の実力はレベル100に至った私達よりも遥かに上でした。
彼の案内で深層を抜けると、天蓋山の麓に辿り着きます。森と山の間には白く揺らめく境界線があり、魔物は決してそれを超えようとしません。
これには理由があって、天蓋山は悪意を持つモノを排除する性質を帯びているそうで、無理に超えようとすれば徐々に衰弱していくのだそうです。
私達がこの境界線を超えられるのは儀式に使うトレントの枝の採取が目的だからです。これで金儲けを企んだり、或いはよからぬことを考える連中は超えられませんし、そもそもハイエルフの皆さんが追い返します。
「この様子だと……五日間だね。余裕を持って三日で済ませようか」
境界線の様子を確かめたフェイルさんは簡素な地図を取り出し、私達に登山ルートを教えてくれます。
切り立った崖や洞窟、渓谷などのせいで、道を間違えればトレントが生えている場所まで辿り着けないような地形らしく、分岐だけでも覚えるように言われました。
「ここにあるのは使えないの?」
「使えはするけど、中腹にあるトレントの方が品質も高いからね。これだって中腹で採取してきた枝を使っているんだよ」
フェイルさんが背負っている槍はトレント製だったようです。言われてみれば、他の人が使っている武器より品質が高いように見えますね。
ひょいひょいと歩きづらい道を進んでいく彼の後ろを遅れないようついて歩き、二日もすればかなり高い場所まで到達しました。
魔物が出現するわけでもないですしね。足を踏み外さないことにだけ注意していれば、簡単に辿り着けました。
中腹は麓とは違って植物が生い茂り、トレントの数は逆に少なくなっています。
ここから更に登れば雲の上に行けるそうですが、登る気はありません。帰れなくなるのは困りますからね。
「遠くからだと見えなかったけど、こんな風になっていたんですね……」
「空間が歪んでいるからね。それに、あの巨大な石版の影響もある」
数十メートルの距離を保ちながら山の周囲を旋回する黒い石版は、青白く発光する文字を山に向けています。
古代メソポタミアで使われていたという楔形文字に似ていますが、あれを解読できる知識を持ち合わせていないので、何が書かれているかはさっぱり分かりません。
頑張れば触れそうですが、触ったところで何が起きるかも不明ですしね。放っておきましょう。
「さて、ここにあるトレントにはそれぞれ異なる性質がある。人によって得手不得手が違うように、これらにも得手不得手がある。具体的には、魔力が増えたり足が速くなったりね」
そう言って近くの枝を幾つか手折ると、それらの違いを教えてくれました。
魔力が多いものは色が鮮やかになり、身体能力が伸びるものは赤色が濃くなるそうです。もっと細かいことを知ろうとすると、かなり高い【鑑定】系のスキルが必要になってくるらしいので、私に合っているものを見繕ってくるとフェイルさんが言いました。
ですが、私がハイエルフになるための儀式なので人任せにするのも悪いので、私は私で探そうと思います。
一時間後に一旦集合と言うことにして、私達は三手に別れました。
「――けど、スキル使ってもよく分からないし、どうしようかな」
私のスキルで分かるのは名称と説明だけです。何に適しているかまでは判別できません。
【植物学者】があるので通常の【鑑定眼】より詳しい情報は得られますが、得られるのはあくまで植物としての知識だけです。
「ベレスは分かる?」
「mya?」
まあ、ベレスは戦闘に関係するスキルしか持っていないですからね。きょとんと首を傾げるだけです。
そう思っていると、影から出てきて近くのトレントに近寄り、その根っこをカリカリと爪で削り始めました。そしてそれを咀嚼し、今度は別のトレントで同じような行動を取りました。
何の意図があってやっているか分かりませんが、枝を採取する邪魔になるわけでもないですし、放っておくことにしましょう。
肝心の、私に合う枝というものが分かりませんが……
「友よ、これだ! というものは見つかったかい?」
「残念ながら、そういったものは見つかりませんでしたね」
「ところで、あの影の友は?」
「ベレスならトレントを囓って遊んでいますよ」
地面の上に露出した根っこをガジガジと囓ったり、前脚でぐっぐっと押してみたり、体をこすりつけたりと、意味を見いだせない行動をしています。
「っと、僕の方で何本か採取してきたから、合うかどうか確かめて欲しい。これだ! というものがあれば案内しよう」
手のひらサイズの枝を八本ほど手渡されました。これらはぞれぞれ異なる特徴を有していて、いずれも私の力として馴染んでくれるでしょう。
……けれど、直感のような不思議な感覚が、違うと私に囁きます。
改めて観察すれば、たしかに違うとしか言いようがありません。
言葉にするのは難しいのですが、あって当然のものが欠けているような気がしてならないのです。
「……無い、ですね」
「そうか。まあ、普通は儀式に臨む者が数年掛けて選別するからね。でも、それじゃダメなんだろう?」
「ええ、数年も待てませんから」
「まったく、せっかちな友だ。しかし、同胞が増えるのは喜ばしいことだ。全力で力になろう」
そう言うと、今度はユキの方に視線が集まります。
彼女は一本しか枝を持っていません。
「それは?」
「ふふん、凄そうな枝だよ」
「……魔力増大の枝だね」
どうやら、魔法職の人には垂涎ものの枝だったようです。私はあまり魅力を感じませんね。
「…………えぇー」
「――myaa!」
肩を落としたユキの声に被せて、ベレスが大きな鳴き声で私を呼びました。
少し離れたところまで行っていたらしく、私達はそちらに向かいます。
「mya! mya!」
「おお、これは……」
「真っ黒だ!」
「……っ」
地面に腰を下ろしてこちらを見上げるベレスの背後には、トレントなのか疑わしいほどに黒い木が生えていました。
よく見ると乳白色の皮に無数の黒い線が走っていることが分かるので、【鑑定眼】の効果もあってトレントであることは間違いありません。
フェイルさんは感嘆の息を漏らし、ユキは素直な感想を口にしました。
そして私は……これだ、という感覚を覚えました。
磁石が金属とくっつくように、植物が日光で育つように、あのトレントは私に合って当然なのだという感覚が胸の内から湧いてきたのです。
まるで、それぐらい常識だろうと言わんばかりに。
導かれるように足を動かし、手を伸ばします。
手の届く範囲で一番色が濃い枝を手折り、その感触を確かめます。
「友よ、もしや……」
「……はい。私の感覚が、これだと言っています」
神聖なトレントには似つかわしくない色に染まったこれが、私に最も合うトレントの枝なのです。
……それにしても、呪いとか黒とか、そう言ったものばかりに縁がありますね私は。
「そうか。では、下山して儀式の準備に取りかかろう。今日中に下山すれば、明日には儀式を執り行える」
「分かりました」
「おっけー」
私達の身体能力があれば、登るより降りる方が早いですからね。岩から岩へと飛び移るように下山し、一時間もせずに麓まで辿り着きます。
来たときと同じように深層を最短距離で抜け、里に戻った私達はまず枝を広場にある祭壇に置きました。
儀式に使う枝は、儀式が始まるまでこの祭壇に安置するのが習わしだそうで、それに従った形になります。
それと、儀式に臨む者――つまり私ですね――は儀礼服を誂える必要があり、生産スキルを持っていない私はそれを里の皆さんに任せなければなりません。
幸い、フェイルさんの妻が久しぶりの儀式ということで作ってくれることになりました。
儀式が始まるのは三日後の正午からです。
それまでは、バグが修復されるのを待ちながらゆっくり過ごしましょう。公式サイトに何か書いていませんかね?




