36.ただ一つの願いを叶えるために
□王都
ロザリー達が悪魔獣と戦闘を開始したのと同時刻、王都内の各地で怪物に変化する者が現れ始める。
その姿形は個体によって大きく異なるが、どれもが悪魔獣という名称とレベル50という共通点を持っていた。
レベル50は戦いを仕事とする人間の平均レベルだが、上回る者もいれば下回る者もいるのは当然のこと。
兵士の仕事に従事している者の多くは40にすら満たない者ばかり。一般市民が相手ならそれでも十分足りているのだが、対魔物の戦闘では少し頼りないレベルだ。
それでも彼らは戦う。
悪魔獣から逃げ惑う人々を守るために、絶望し恐怖しながらも勇敢に立ち向かう。
自身の死が人々の平穏に繋がるのならと、懸命に武器を振るい魔物と相対する。剣が折れれば拳で戦い、腕や足が粉砕されれば仲間のために壁になる。
そんな光景が王都の至る所で見受けられる。
次々と消えていく命、そして利用され磨り潰された魂、それらが蓄えていたリソースが集まる場所で少年は嗤う。
「――いい感じに絶望が集まっているね。これなら予定を少し前倒しできるかな」
少年――ザガンは誰の目も届かない空に立ち、死者の経験値が吸収されていく水晶玉を手に持っている。
本来なら死者がアンデッドとならないよう怨念を吸収し浄化する、『清めの水晶』と呼ばれるアイテムだ。
ザガンはこれに手を加え、死者から流れ出る全てを集め蓄えるアイテムへと改造している。
経験値も、魂も、怨念も、分別することなく一纏めに集めている水晶玉は黒く濁り、表面には悪魔の左手の紋章が浮かんでいる。
「……けど、少し邪魔している人間がいるね。あれは確か、異人だったか」
スッと目を細め、地上の一点を見つめる。
そこには一体の悪魔獣を相手に戦うロザリーとディルックの姿があった。
(妨害だけじゃなくて殺しておくべきだったか……まさか、この状況と相性が良い特典装備を持っていたなんてね。ただ自由に伸び縮みするだけの帯じゃなかったってことか)
この惨状を引き起こすために送り込んだ、妨害だけを目的とした仮想体に追加で命令を出すべきだったと考える。
失われた伝承の中で様々な力を振るったザガンだが、代償として人類種が発現できるスキルの一切を獲得できないという特性があった。
これには【鑑定】や【看破】も含まれており、ザガンの瞳では見たままの状態しか分からない。
たとえマーキングを施した人間を悪魔獣に変えるスキルでも、この特性は絶対に変えられない。悪魔獣は人間の体を素材に作成する下級の悪魔であり、作成主であるザガンの特性を引き継いでしまうからだ。
故に、ザガンは邪魔になる存在を排除するよう配下に命令を下した。
『ピエロ、今から伝える場所にいる異人の特典装備を封じてきてくれるかな? 戦力は……三体貸し出せば足りるかい?』
『――ワタクシ一人でも十分なのでは?』
『念のためというやつさ。異人はこの世界にとっての異物――どんな手札を持っているか分からないからね(それに、七〇〇年ぐらい前に戦った異人がいないとも限らない。一部は天使として時々訪れているようだし、用心はしておこう)』
テレパシーリングを通じてピエロに指示を出したザガンは、プレイヤーからはGMと呼ばれる存在が現れたときにすぐ撤退できるよう用心して、追加で作成した悪魔獣をピエロの元に向かわせた。
悪魔獣は【隷属刻印】と【悪魔変生(真)】の二つのスキルで作成する魔物のため、作成時に幾つかの命令を刷り込むことが可能なのだ。
ある男の願いを触媒にして無差別に作成した悪魔獣には『周囲に存在する人類種を絶望させ殺害しろ』と『マーキングが施された人物は対象外にしろ』が、ピエロの手駒として作成した悪魔獣には『ザガンがピエロと呼ぶ人物の指示に従え』の命令が刷り込まれている。
「これで必要な準備はほぼ完了した。あとはアレを呼び出すだけか……」
今の契約者の願いを叶えるための最後の一手。それがもう少しで完了することをザガンは改めて確認した。
阿鼻叫喚の惨状を巻き起こしたザガンだが、その目的は契約者の願いに基づくものだ。
願いがなければ自由に動けないのが悪魔であり、殺戮のために暗躍するのではなく願いを成就するために暗躍するのがザガンだ。
今の彼は『この国を滅ぼしたい』という願いのために動いている。その方法の一つは見ての通り、大量の悪魔獣で王都を混乱させることだ。
「……ピエロに指示を出さなくても良かったかもね。もう足りたや」
赤黒く染まった水晶玉を触媒に最後の一手を繰り出そうとして――その前にやるべき事があったなと手を止める。
「頑張ってくれた彼らも仲間に入れてあげよう」
それは純粋な善意。
しかし、悪魔にとっての善意と人間にとっての善意は意味合いが異なる。
「アンジェリカ、ブレイン、イライジャ……君達は中級の悪魔に変生させてあげる。大丈夫、魂までは取らないよ」
言い換えるならば、『記憶と自我を残して中級の悪魔に作り替えるけど、それ以外のリソースは貰うからあとは自分で頑張ってね』だ。
命令を刷り込まないうえに記憶と自我を残すのは、ザガンにとってこのうえない善意だった。
もし理由を訊かれても、『強い肉体が手に入ったんだから嬉しいでしょ?』と答えるぐらいには。
だが、変生させられる側にとっては純然たる悪意そのものだった。
これまでの人生で培ってきた経験値やスキルを失い、そして容姿も悪魔のソレへと変貌する。
更には、闇組織の運営に携わって得た金銭も全て無価値なものへと変わってしまう。【殺戮本能】によって人間を殺して回る怪物と取引をしようなどと考える者なんていないからだ。
暗殺で稼いだ金と人脈と元々の美貌を駆使して貴族に取り入り、愛人として贅沢な暮らしをしていたアンジェリカは、突然経験値とスキルを奪われ醜い悪魔へと変じた。
人身売買のために今も組合で新人冒険者を騙そうとしていたブレインは、偽りだらけの会話の最中で突然経験値とスキルを奪われ恐ろしい悪魔へと変じた。
密売によって得た金銭の殆どを美食に費やし、並の貴族以上に贅沢な食事をしていたイライジャは、悦に浸るためだけに開いていたパーティーで経験値とスキルを奪われ悍ましい悪魔へと変じた。
上位の悪魔に作成される悪魔には幾つかのスキルが与えられる。代表的なものは悪魔獣も持っている【殺戮本能】や【悪食回復】、【悪魔変生(偽)】だ。
中級の悪魔ならば更に追加でスキルが与えられる。
アンジェリカに与えられたスキルは【美醜反転】――美しいものと醜いものの印象を入れ替え、凶悪な魅了を行う、貴族に憧れ嫉妬した彼女に相応しいもの。
ブレインに与えられたスキルは【奴隷転嫁】――自分より格下の女性の意思を奪い、奴隷のように好き放題扱える、自己中心的な性欲に塗れた彼に相応しいもの。
イライジャに与えられたスキルは【捕食生存】――触れたもの全てを喰らい、喰らえば喰らうほどHPが増大する、際限なく膨れ上がった食欲に溺れた彼に相応しいもの。
彼らの種族名は上位悪魔――レベル70の魔物だ。
変生するその場に居合わせた者は咄嗟に武器を抜いて彼らに攻撃を仕掛ける。
彼らが元は人間だったとは考えていない。
魔物に変じたのだから元から魔物に決まっていると、自分に言い聞かせるように言って武器を振るったのだ。
欲望だらけの彼らがそれをどう思ったのか……ザガンですら知ることは無いだろう。
人語を話せない肉体では、ただ呻くか抵抗するしか選択肢が残されていないのだから。
「――これでよし。さあ、ネームドを目覚めさせるとしよう」
ザガンは地平線の彼方を見据え、水晶玉を強く握りしめた。
やがて水晶玉はひび割れ、莫大な魔力となってザガンの支配下に置かれる。そしてその全てが、彼方の地に在るネームドへと注がれた。




