32話 これからも、和やかに
国王の間を出るや否や、ルカ王子の姿が視界に入った。
彼は穏やかな表情でこちらを見つめたまま、じっとしている。見つめているにもかかわらず、何か声をかけてくるかけでもないところが、謎に満ちている。
「王子?」
そのうち彼の方から何か言ってくるかと思ったが、一向に話しかけてくる気配がないため、こちらから声をかけてみた。
すると彼は、ハッと、意識を取り戻したような顔をする。
「フェリスさん! お疲れ様!」
ルカ王子はねぎらってくれるが、その言い方は、なぜかぎこちない。いつもとは違った雰囲気だ。
「王子、私に何かご用ですか?」
「ううん。ただ、迎えに来てみただけだよ」
それだけなのね……。
何とも言えない心境になりながらも、私はすぐに礼を述べる。
「お迎えに来て下さったのですね。ありがとうございます」
するとルカ王子はぱぁっと明るい顔つきになる。まるで、雨上がりに雲が晴れて陽が差してきたかのような、はっきりとした表情の変化だ。
「これから夕食だけど、今日は一緒に食べない?」
「私ですか?」
「うん。せっかくだし、一緒に楽しみたいんだけど……駄目かな」
これまでの私なら、護衛だから、と断っていたことだろう。だが今は、先ほど国王と話したことによって心境が変化したからか、「一緒に食べてもいいかもしれない」と思えるようになっていた。我ながら単純だと思うが、国王に疎まれていないという事実は、確実に、私の背中を押してくれていると感じる。
「そうですね。迷惑でないのなら」
私がそう答えると、ルカ王子は大きく頷く。
「もちろん! フェリスさんが来てくれるなら、嬉しいばっかりだよ。迷惑なわけがない」
ルカ王子は笑顔だった。これ以上ないくらいの笑みを、顔全体に浮かべている。まるで幼い子どもの機嫌が良い時みたいに、穢れはなく、明るい顔つきだ。
「では参加させていただきます」
「やったぁ」
「ただ、慣れていないので無礼があるかもしれません。それはお許しいただけますか」
「もちろんだよ! フェリスさんだもん!」
フェリスさんだもん、はおかしいだろう。フェリスさんだもん、は。
そんな風に突っ込みたくなりながらも、私たちは会話を続ける。
「あ、そうだ。あの箱の中身、もう見てくれた?」
「いえ。まだです」
恐らくあの濃紺の小さな箱のことを言っているのだろうが……正直に言うなれば、忘れていた。時間がなかったというのもあるが、中身を確認するところまで頭が回っていなかったというのが、正直なところである。
よくよく考えてみれば、受け取っておきながら中を確認しないというのも、おかしな話なのだが。
「そっかぁ……フェリスさん、忙しいもんね!」
返ってきた返事は、ルカ王子らしい、穏やかなものだった。
鋭い突っ込みが来なかったことに、私は内心、安堵の溜め息を漏らす。
「そうなんです。すみません」
「いいよいいよー。気にしないで」
「ありがとうございます。それで、あの箱の中身は何なのですか?」
私とルカ王子は、隣に並んで、通路を歩いていく。
目立つ服装のルカ王子と並んでいると、自然に、侍女たちから視線を浴びた。私一人の時でも結構見られている感じはしたが、彼と二人だと、なおさら多くの視線を感じる。
ただ、私一人の時とは違って、ひそひそ話をされている感じはない。それはとてもありがたかった。
「あの中身はねー……秘密!」
「教えて下さらないのですか?」
「だって、わくわく感が減っちゃったら悪いから」
「気になります」
「えー、そんなに知りたいのー?」
知りたいから聞いている。そのくらいのことは、いくらルカ王子であっても分かるだろう。にもかかわらずこういうことを言ってくるところは、何とも言えない微妙な心境になる。
「教えていただけませんか?」
「えー……じゃあ特別!」
ルカ王子はそっと耳打ちする。
「指輪だよ」
なるほど、そういうことだったのか。
私は妙に納得した。
「そういうことでしたか」
「えぇっ。もっと喜んでくれると思ったのに!」
「嬉しいですよ、とても」
「本当ー? 嬉しそうには見えないけどなー」
ルカ王子のように、子どもみたいな喜び方をしろと言うのだろうか。私には無理だ、そんな喜び方は。恥ずかしくてできっこない。
「いえ、嬉しいですよ……本当に」
今はまだ素直になりきれない。
でもいつかは、自分の心に素直になって、正直に振る舞えるようになるかもしれない——そんな風に思う。
こうして、私とルカ王子の穏やかな日々は、また続いていくのだった。




