帝国の威信
フォロブロンは、ファッテン伯領を経由してナインバッフ公国に入り、ソムナレルトに向かっていた。
ナインバッフ方面軍の正確な所在地は不明だった。分かっていることは、ソムナレルトを攻囲しているニークリット公国軍を目指してナインバッフ公国を北上しているということのみだ。
だが、ソムナレルト近郊にはナインバッフ方面軍どころかニークリット公国軍も居なかった。ソムナレルトもまだ陥落していなかった。
ニークリット公国軍が滞陣していた形跡はある。攻囲していたが、移動したのだ。
ソムナレルトの住人によると、ニークリット公国軍は二日前に陣を引き払って南に向かったという。戦場はもっと南なのだ。
「我々も南に向かうぞ。戦闘がまだ続いているなら、ニークリット公国軍の背後に出られるかもしれない」
このフォロブロンの主張に、ウレスペイルが疑問を呈した。
「既に戦闘は終わっている可能性もあります。ナインバッフ方面軍が敗北していたとしたら、敵中で孤立することになりましょう」
「分かっている。だが、危険があろうとも最善を尽くさねばならぬ」
「副伯のお覚悟が定まっているのなら、我らは従うまでのこと」
ヨーレントがフォロブロンに賛意を示し、方針は定まった。
翌一九日、フォロブロンらは北上してくる軍勢と遭遇した。
斥候の報告によって、ニークリット公国軍であることが分かった。
「ニークリット公国軍だと? ではナインバッフ方面軍は……」
「敗走してきたようには見えませぬ。無念ですが、大公殿下は敗北したと思われます」
「何と……」
フォロブロンは絶句した。
間に合わなかった。何もできなかった。大公殿下はどうなったのか。無事に退却できたのか。虜囚の憂き目に遭っているのか。それとも……。
「副伯! ぼんやりしている場合ではござらぬ。今すぐ退却せねば」
「少し戻ったところに、西へ延びる街道があった。あそこから西に向かう」
ソムナレルトに向かって進軍中のニークリット公国軍の中で、セルツァマイエは大公の最期を思い出していた。あの光景がどうしても頭から離れないのだ。
「どうしたサテルメーン卿。浮かない顔だな」
ソルドマイエ二世は、セルツァマイエの顔を不思議そうにのぞき込んだ。
「大公は、なぜ前進したのでしょう。いったん後退して態勢を立て直すこともできたでしょう」
「無理だな」
「無理……ですか」
「無理だな」
「しかし、結局敗北したではありませぬか」
「負け方の問題だ。あのとき後退していたら、潰走状態に陥る可能性が高かった。態勢を立て直すなど、机上の空論だ」
「軍が一時的に崩壊したとしても、生きていれば再起も図れましょう」
「大公はそうかもしれぬ。だが、戦うこともなく敗走したなどということになれば帝国の威信は地に落ちる。大公は、前進して我らと刃を交え、討ち死にすることで帝国の威信を守ったのだ」
「威信、ですか。そのような、形も定かではない胡乱なもののために」
「よいところを突いている。要は、帝国とは案外あやふやなものなのだ。威信だの権威などというもので囲われただけの、もろいものだ。それを壊してしまえば簡単に瓦解する」
「公爵の狙いはその不確かなものを破壊することなのですか」
「さて、それが良いことなのかどうか……。問題は、形のないものをどうやって壊すかだ。水の中に剣を突き入れても水を破壊することはできぬ」
そのとき、前衛からの伝令がやって来た。
「前方に敵軍出現。アレス副伯の皇帝軍と思われるとのこと」
「アレス副伯か。彼は厄介だ。エグバーレントに伝令。前方の皇帝軍を殲滅せよ」




