-10.〔悪夢と、後悔を知らぬ魔法使いは咲き乱れる悩みの種〕
生い茂る木々が周囲を遮る深い森の中で。私は、横にした魔晶石の板、――モバカの画面上下を片手の指で挟み持ち、睨みつけながら、こめかみを反対の指先で押さえていた。
手の上で再生されているのは、先ほど三脚代わりの二又の枝に端末を固定し撮影した動画だ。
映っているのは、人の言葉で喋る巨大な緑色の鳥――パウロン。
これだけでも今居る世界の常識からすればインパクトが強い、というのに。
そのパウロン――駝鳥が、動画の最後に放った一言が衝撃、もとい致命的だった。
『――真の支配者であると、理解するのだ!』
呆れるを通り越して、もはや実際の痛みすらも伴いそうだ……。
「ふむ、なかなか良い仕上がりではないか。この時代の連中とて、意外にやるのゥー」
隣で動画を見ていたパウロンが、嬉しそうに鼻を鳴らす。
もしこれが生配信だったらと思うと……。
きっと私の心臓は、今頃、完全に停止していたに違いない。
「……良い仕上がりじゃないわよ。こんなの、投稿できるわけないでしょ……」
「何でじゃ?」
「あのね……」
……――ハァ。説明する事すらも、億劫だ。――なので。
「とにかく駄目なの。この動画は消して、次を撮りましょ」
「消す、じゃと? ま、待てっ」
「なによ?」
「……一度だけでよい、もう一度だけ。見せてはくれんか……?」
千年以上生きている不老不死の賢者とは思えない、パウロンの、子供のまなこが私を見つめている。
「この前はちゃんと我慢したじゃろッ」
結果論としては。だけど――。
「――……一回だけよ」
「よう言うたッそれでこそ小娘じゃ!」
どういう意味だ、まったく理解ができない。
が。
何でも駄目と言うのは、それは、良くないあしらいだ。
「はい。落とさないでよ」
「分かっておるわィッ」
どうだか。
ま、この辺りなら。問題はない、――と思う。
※
――王聖ルミナリアの王宮、その最奥。
謁見の間。
石の床を歩く私の靴音だけが、冷たく白い壁に跳ね返って、硬く響いていた。
部屋の四隅に置かれた香炉から立ち上る、お香の匂い。
妙に甘ったるく、息苦しい煙……。
歩む先、突き当たりには、数段の石段の上に、仰々しい彫刻が施された王の椅子――玉座がある。
けれどもその日、そこに王の姿はなかった。
主が不在でぽっかりと空いた席を見上げる私を見下ろしていたのは、王の代わりに、その横で立っていた男――神儀監、ヴィクティム様だ。
「国の象徴たる聖女が、その様に顔を曇らせるのは、良くありませんね」
冷え切った部屋の空気を震わせたのは、柔らかく、でも、抑揚のない声。
「……ヴィクティム様?」
――何故。
「王は昨夜、自室にてお倒れになりました。……毒を盛られたのです」
王が、倒れ、た? ――毒を。
「そんな、まさか……。昨日は、あんなにお元気そうに……」
「ええ。アナタが、あの焼き菓子を献上されるまでは、確かに、そうでしたね」
ヴィクティム様の口元が、わずかに、歪んで見えた。
ェ? それは。どういう……?
「王がお口にした焼き菓子から、扱いの禁じられている毒物が検出されました。……アナタは確か、薬草の扱いに長けていましたね? そして昨日の夕刻、アレを王の寝所に直接届けたのは、他でもない、アナタです。違いますか、聖女リーゼ?」
――違う。アレは――。
「お待ちくださいっ、ヴィクティム様! あの献上品は聖女守であるマデリーン様が」
「お黙りなさいッ!」
鼓膜を突き刺すような鋭い怒声が、静まり返った謁見の間で激しく反響する。
普段からは想像もできない、激情の乗った声。
その響きに、私の思考は一瞬で白く塗りつぶされた。
「……ッ、――ヴィク、ティム、様……?」
もはや名を呼ぶので精一杯だった。
「聖女の座にありながら、その威光を暗殺という卑劣な行為に利用するとは……。目的は、王位継承争いによる国家の内乱でしょうか?」
暗殺。王位継承、争い? 内乱? 何、ソレ。
理不尽に投げつけられる言葉の一つ、一つが、私の心を打ち据える。
そして前世の記憶をも呼び起こす。
「聖女守のマデリーン様は、アナタの不審な動きを察知し、わたしに警告を発しておられましたが……。わたしの甘さが、この事態を引き起こしたとも言えますね……」
神儀監の嘆きともいえる断罪が、謁見の間に、――重くのしかかる。
次いで壁際に控えていた数人の騎士達が、一斉に、私の方へと歩を進めた。
「……違う、私じゃ、」
震える声。否定しようにも、喉が強張って上手く音にならない。
近づいてくる騎士達。敬意を払ってくれていたはずの彼らの手が、容赦なく私に伸ばされる。
また、だ。
前世の記憶、あの時の吐き気が、肺の奥、喉の底からも、こみ上がってくる。
「お待ちください」
不意に、穏やかな声で、騎士達の動きが止まる。
伸ばされた手が、私の肩に触れる寸前で――止まる。
「いかに嫌疑がかかっていようとも、彼女はこの国の聖女です。その尊き体を牢獄に繋ぐなど……女神の秩序を重んじる国の様式に、反します」
彼はゆっくりと、石段を下り、私との距離を詰める。
そうして耳元に、その無機質な言葉を落とした。
「聖女リーゼ。アナタの処遇は、神儀監であるわたしが追って沙汰を下します。それまでは自室にて、静かに、己の罪と向き合いなさい。せめてもの慈悲です……」
――慈悲。
その言葉はまるで、首を絞める縄の様に、感じられた――。
※
「――っ、は、」
跳ね起きると同時に、肺が求める空気を一気に吸い込む。
現実は甘ったるいお香のニオイなどなく、湿った土と青々とした草の、むせる森の香りだった。
直ぐに、額に張り付いた冷や汗を手の甲で拭う。
結果視界に、レジャーシートの上に投げ出された、お世辞にも上品とは言えない自分の不恰好な足と足。
私はようやく、自分が現実に戻ってきたのだと理解した。
……夢か。
途端に傍らで何かが動く。
「ほっほ、やはりワシって絶妙じゃのゥ」
緊張感の欠片もない、明らかな独り言。
声のした方へ視線を向けると、そこには、ツチノコの椅子に腰掛けてモバカの画面を凝視しているパウロンの姿があった。
……嘘でしょ。
「パウロン? まさか、私が寝ている間、ずっとそれを見てたの……?」
シートの上で、完全に上体を起こしながら半ば呆れて、問う。すると緑の魔法使いは視線すらこちらに向けず、鼻を鳴らした。
「当然じゃろッ」
なにが当たり前なのか、全く分からない。
それに短い内容とはいえ、モバカの内部魔力が続いているのも変だ。
大して時間は経っていない……?
確かめるためにも、まだ少しだけ現実と悪夢の境界線が曖昧な眼をこすりつつ、立ち上がり。パウロンの背後へと――、足を進める。
ん……と、――ハ?
「待って」
眠りにつく前、おぼろげな記憶に、再生のやり方を教えた。のを、確かに思い出す。
そして画面の中では今も、魔法使いが変身したあのふてぶてしい駝鳥が相も変わらず胸を張っている。が。
寝ぼけていた網膜が完全に覚醒して。捉える――。
――画面の右下に表示されている、生き物のように増殖し続ける異常な桁数を。
「な……なによ、この数字……」
何で。どうして。動画が、――投稿、されている?
その謎を解く、鍵となる指が、今という現実でモバカの画面をトントンと叩き始める。
指し示す先はスクロールしきれないほどの速度で流れ落ちていく、視聴者からのコメント欄。
内容は――。
『喋る鳥……』『キショク悪い』『どこの森? 山?』『……真の支配者って言ってる』
――など。
未曾有の衝撃と、屈託が。
私の、心の蓋を吹っ飛ばす。
「アンタまさかっ、公開しちゃったのーっッッツ?」
「な、なんじゃ急に……、大声を出しおってからに……、――後悔? ワシはなにも悔やんではおらんぞ」
フザケ――。
「――馬鹿、バカバカ、バカ! アホ! 能なし! ボケん者、アホウ使い、ボ賢者!」
「なッ? ええい! せめて一つに的をしぼらんか! おぼえきれんわッ!」
十代の美少年顔を歪ませて、パウロンが怒鳴り返してくる。
本気で自分が何をしでかしたのかを、分かっていない様子。が一層私の心を削り取る。
最悪だ。
いや、最悪なんて言葉では生ぬるい。
こんなのは――。
「――ッ悪夢、悪夢じゃないのよぉぉっっッ!」




