-7.〔黄昏前の密談と、不本意な再起に悩む前世の記憶〕
*
地平線へ沈んでいく太陽が、王都の街並みで影を伸ばす。少し前。
バルコニーを吹き抜ける風は冷ややかさを増し始める。
「――お待たせしましたか? マデリーン」
背後からかけられた穏やかな声に、外を向いているマデリーンは振り返らない。
「いいえ。ちょうど、約束の時間をまもらない監督役をさがしに行こうかと、苦渋の決断をしたところでした」
神儀監がその言葉を聞き、崩れることのない微笑を深める。
「それはまた、お優しい判断となりましたか?」
「残念ながら。ひと足遅かったとだけ、伝えておきましょう」
そうして彼もまた、彼女の隣へと並び、黄昏が沈みゆく前の王都へ――視線をやる。
「眉間に皺を寄せては、せっかくの“お美しい”お顔が台無しですよ。それに急いては、何も見えてはきません」
「……急いてなどいません。ただ、この生ぬるい風とあなたが、少々鼻につくだけです」
――反応は、ない。
するとマデリーンは、短く息を吐き。ようやく彼の方へ、と顔を向けた。
「それで? 神儀監がわざわざ私を呼びつけたのです。単なる夕涼みの誘いではないのでしょう?」
「呼びつけると言うのは誤認ですね。場所を選んでいるのは、いつも、そちらですよ」
ヴィクティム、彼の言論がマデリーンの神経を流れに逆らって撫でる。
しかし、彼女がそれ以上に感情を昂ぶらせることはなかった……。
意識は“聖女守”という自分の立場を守るために、切り替えられる。
「――茶番はここまでです。例の件についての、進展があったのでしょう?」
神儀監の喉元が、微かに上下する。
「……進展、と言えるのかどうか。正直に言いますと、しばらく様子を見るべきかと」
「どういうコトですか?」
「想像以上に、聖女であるリーゼ様のコトを民が慕っていた……。そういう事ですね」
「――何を」
低く沈んだその声が、手すり上で変化する感情の起伏を掴む。
「前回にも言いましたが、民にとっての真実とは、詩的でなければならないのです。今はまだ、強行に動く時ではありません」
マデリーンの手で、欄干が軋む。
「それは神儀監としての言葉ですか? それとも、我が身可愛さに臆した者の――判断でしょうか?」
「……勿論、その両方です。しかしご安心ください。わたしの目は、この街の至る所に在ります。ヘマをすればたちどころ、――知れ渡るのです」
「信じて、いいのでしょうね……?」
「おや。わたしって、そんなに信用が無かったですか?」
「……――まぁいいでしょう。いざとなれば、あなたの悪行ごとさらけ出し、進ぜましょう」
「……マデリーン、わたしが言うのもなんですが。いい性格してますね?」
「当然です。私は女神に仕える、聖女守なのですから」
「……。ところで、何故いつもこの場所を? 男子禁制の聖女居住区が在るので、わたしとしては長く滞在しづらいのですが……」
「――私に、衆人環視のなか、男に会いに行けと言うのですか?」
マデリーンが手すりをはなし、心外だと言わんばかりに目を細めてヴィクティムを見る。
「……意外と、古風なのですね……」
「最近がおおらかすぎるのでス」
ふっと、これまで見せていた神儀監の微笑が、穏やかでも意地の悪い笑みに、変わる。
*
王都の城壁も巨大な影が長く伸び、濃いオレンジ色に染まる空の下。
背の低い草が広がる野原を選び、自然環境に調和する緑のダチョウが悠々と歩く。
その背中で、リーゼはパンの入った袋を大切そうに抱え、規則的で穏やかな揺れに身を任せている。
「……やはり走ったほうが、はやいのではないか?」
「嫌よ、アンタのはやいは速度の方でしょ」
「そりゃァ当然じゃろ……」
駝鳥の首が、不満げにし折れる。
「――スピード狂」
「ロマンとは、そういうモノじゃ」
やっぱり、違和感。
「ねぇ。パウロンは、どこでその言葉を知ったの?」
一応改めるが、この世界の言葉が何もかも前世と異なる訳ではない。
神様の配慮なのか、私にはそう聞こえるのか、分かる以上の定かはない。
けれども、十七年も生きていれば、世界の在り方くらいは見えてくる。
パウロンの言葉は、そんな異世界においても、少し異質だ。
ま、どうせ今回も、まともな返答を得る事はできないだろうけど。
「……――さーの。言葉も人間も、百年も経てば総入れ替えじゃ。イツ、どこで、なんぞ。いちいち覚えておらんわ」
この化け物め。表現が独特すぎる。
というか、言葉に関しては、そこまで、変わらないと思う。――が。
「普通そういう記憶って、積み重なるモノじゃないの……?」
いわゆるオレ最強的な、チート的な――ヤツ。
「……そんなふうに思えた時期が、ワシにもありました……」
おいヤメれ。
「じゃがの。記憶して置く、というのは不死にはちと刺激が少なくてのゥ」
「……だったら最初から、何も覚えれてないでしょ」
「なにを言っておる? ワシが不死になったのは“最近の事”じゃぞ」
ェ。
若干言い方に難癖はあるものの。それよりも――。
「――最近? そうなの?」
「ふぇ。何がじゃ……?」
うぉい、羽毛をむしり取るぞ。
「まァ、ワシにとっては百や二百なんぞ、昨日の事みたいなもんじゃな」
だったら生後十日くらいになるだろ。と内心でため息。
……はぁ。
本当か嘘か、もしくは体内時計のボケか。
不死になったのが最近と言う、この十代の皮を被った超高齢者の感覚には、一生ついていける気がしない……。
「もういいわ、その話。それよりもパウロン、約束を覚えてる? ビッグフットのこと」
「言わずもがな、じゃが、……なんじゃ? 自ら口にするとは、キショクの悪い……」
一瞬、抱える袋ごとパンをつぶしそうになる。のを堪え、冷ややかに笑顔を作った。後。
「……あぁそう。じゃあ、そのキショクの悪い私が、アンタのロマンを手伝うって話は、契約破棄でいいワケね?」
モチロン、違約金もなしで。
「待っ、待たんかッ、それでは話が」
「――冗談よ、千年以上生きてるくせに、冗談が通じないの?」
「……ぐぬぬ」
フン、ざまあみろ。でも、意地悪はここまで。
「じゃさっそく、本題に入りましょ。パウロンの目的は、何?」
「ロマンの追求じゃ」
「……具体的に言いなさいよ」
「よいか、リーゼ。夢とは軽々しく、他者にふるまうモノではないぞ、――痛ッ、なにしたんじゃッツ?」
「手助けしてほしいんでしょ? そんなんだから、ドラゴンごときに千年もかかるのよ」
次いで羽毛をそよ風に流す。
「ドラゴンごときじゃと……っ」
「短気は損気、そうやってすぐに怒るから、判断を誤るのよ。パウロンの目的は何? 未知のロマンを追い求めるコトでしょ。だったら、正確な情報を得るために戒めなさいよ」
「うぬぬぬ、小娘の分際で……!」
「その小娘に教えてもらわなかったら、空も飛べなかったのよ? ――ねぇパウロン。これはチャンスと、思うべきなのよ」
「……チャンス? どういう、コトじゃ?」
「私たちは偶然知り合った。なら、その機会を最大限に利用するべきよ。違う?」
「ふ、ふむ。まァ、ワシは端から、そのつもり、じゃったがのゥ」
この爺め――。
「――じゃ、改めて契約成立ね。貴方はロマンのために私を利用する、私は、理想のために利用する。持ちつ持たれつの関係、でどう?」
「……、――まァ悪くない提案じゃな。よかろう、その陳腐な案に乗ってやろう」
相も変わらず、己を客観視できない奴。
「これで互いにご承知、ね。じゃあ最初の案件を聞くわ。パウロンのお望みを叶えるにはまず、何をすればいいの?」
「ビッグフットについて、あらいざらい、教えるのじゃ」
「……それは、今朝も言ったけど。大体の事は話したのよ、……足の深さ、鳴き声? って聞かれても、見たこともないのに分からないわよ……」
「ふむ。ではソヤツを象徴とするモノは、なんじゃ?」
「それは……足跡? だと思うけど……」
ビッグフットって言われてるくらいだし。
「ではソレを、世界に概念として示すのじゃ」
「ブッチャケなに言ってるか、分からないわよ……」
「なんでじゃッ」
何でって……。
「ようするに、皆がビッグフットが何であるかを、知ったらいいの……?」
「――実在を信じるほどにのゥ」
なるほど。ようやく、少しわかりかけてきた。
「噂を広めろってコトね?」
「まァ……、そうじゃの?」
そこはハッキリしろ。
「分かった。それなら、私の出番ね」
「ほェ?」
きょとんとしているであろうパウロンを余所に、記憶に残された前世の引き出しを開けていく。――画面の向こう側にいたリスナーを、熱狂させるために費やした、あの頃を思い出す。
実体でない“アバター”を用いて、隣人と信じ込ませる……。
ソレは私の、今や最も憎しみを持つ、領域だ。
しかし。と、抱える袋を強く持つ。
――背に、腹は、かえられない……。
明日のパンを手にするため、私は再び、感情が渦巻くあの戦場へ。
土の臭いが漂い。夕闇に染まる景色を見つめながら、奥歯で噛み締める。
というかさ。
いい加減、私から離れてくれよ……ツチノコ。




