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天辺に咲く一輪

自分で読んでみたら「王侯貴族基準の敷地の比較的窮屈さ」が滑舌トレーニング並みに発音が難しかった。

一行(いっこう)は宿に戻った。


考慮の末、ブラヴァーセは単身で王宮に潜入することを決めた。

あそこに何が起きているのか、状況を知らないままでは妻たちを軽率に連れていけない。


……もっとも、連れていったらそれはそれで収拾のつかないことになるがな。

「まあ、何かあったら合図でも送ったり宮殿に火でもつけたりして知らせろ。混乱の隙をついて助けに行くからよろ~」

寝台に横たわってナツメヤシを(つま)みながらケツを掻いてるハヌシスはまったく心配する素振りもない。イシティーシアもただ荷物から束にまとめた(アシ)(かん)を取り出し、灯りを頼りに黙々と削っている。


昼に倒した盗賊たちの戦利品の中には胡椒があった。

ブラヴァーセはそれらを細かくすり潰して、麦酒と一緒に革の(ふくろ)に入れた。

できるだけ軽量化するために武器と身の回りの物はすべて部屋に残し、靴も脱いだ。上半身には薄い一枚と、牛の(なめ)しで作られた巾着を紐で肩越しに斜めにかけ、その上に大きめの外套を羽織った。


「塔の上にマルドゥク神よ慈悲を」…………

あの宮殿に何かが起きているに違いない。

恐らくあの手巾は、明りのついてる塔の窓から投げ飛ばされたものだ。

まずは塔の頂上を目指さねば。


「夜明けまでには戻る」

「もし戻らなかったら…?」

イシテは目を手元から逸らさずに聴いてくる。

「……何らかの形で知らせるわ、ハヌセが言ったように。」

「ふっ…ハヌセ聞いた?財産はうちら半々でいいって」

「残りこんな少ないんじゃ≪財産≫とは呼ばんよ」

「まっ、そん時は助っ人頼んだわよぉ、我が美しい~妻たち」

わざと粘っこい台詞(せりふ)を残してやれやれと言いながら、革(ぶくろ)を手に提げて部屋を出た。


夜風が肌寒い。

胡椒入りの麦酒(ばくしゅ)はまさに防寒のため。

しばしば酒の入った(ふくろ)を口に運びながら軽快な足取りで街道を歩き、北へ向かうブラヴァーセ。今の恰好はどう見ても遊興(ゆうきょう)(ふけ)りたい遊び人で、誰かに怪しまれる心配もない。


あの人工水路は北の方でフラト川に繋がっていることは、先程の下見で確認できた。

水は汲み上げられることも分かれ出ることもなくあのまま一本の水路を下って王宮の所在地へ流れてった。

王家の用水路を庶民のと分別したかったかもしれないが、これで逆にやり易くなった。


つまりこの水を辿って行けば王宮だ。


東岸の街道から外れ、人気(ひとけ)の少ない路地を回り回って、ブラヴァーセは潜るのに最適な場所を見つけた。

残りの麦酒を一気に飲み干して、上半身も裸になるまで脱いだ。

服と(ふくろ)を入れた巾着は紐で口をぎっしり閉じて、身体にキツく巻き付けた。鞣した革でも防水性はそんなに期待できないが、ないよりはマシだ。


静かにすべての準備を終えたブラヴァーセは再度周りを確認した。誰にも見られていない。

イシテからもらった一本の(アシ)(かん)を口に銜え、音を立てずに足から入水する。


水は冷たいがまだ体の芯まで冷えてない。胡椒と酒が効いてる。

ここの水深は足を底に付けても首までしかないが、この先は浅いのか深いのか知る(よし)もない。

進むにはバレずに音を抑える必要こそあるが、体が冷え切る前に王宮まで辿り着かねばならない。


ブラヴァーセは身体を水路の側壁に寄せ、手をそこに当てながら横泳ぎで前進する。(アシ)の茎が中空になっているため、この姿勢なら銜えたそれで口呼吸できる。パシャパシャ水を掻くより、水流に乗じながら手を支点に体を前に押し出す方が断然(らく)でもある。


水面はまるで境界線のようだ。

この下での動きは地上の衛兵に察知されることは中々ないが、逆も然り。ブラヴァーセにも地上の動向を知る術がない。

この堅牢で曖昧な線をかき乱しているのはポツンと突き出た、たった一本の茎。

このまま何も起きずに無事こぎつけられることを祈るしかない。


だが盗賊にとって、意外は付き物だ。

むしろ意外が来ない方が意外ではある。


『……ッ!!!』

水に押されながら進む中、前に突き出した片手が何かに当たった感触が伝わり、次の瞬間頭から何か硬い物にぶつかった。反応が一瞬早く、ぶつかった時手は既に頭を抱えてたのが幸いだった。

手が冷えてて痛みをあまり感じない。

少し驚いて気泡を吐いたが、頑張って歯を食いしばったおかげでまだ呼吸用の茎は口にある。


水の底は暗く何も見えない。

何とか自分を落ち着かせてから、触覚の鈍い両手でぶつかったものを確かめるブラヴァーセ。

金属のような物だった。形が自然な物より整っている。恐らく人工物だろう。

幸いそれは完全に水に埋もれていて、ぶつかった音は地上まで響く心配は……


そう思うとブラヴァーセは暫くの(あいだ)そこでじーとしてた。

本当はそんなに経ってないかもしれないが、体感的になが~い時間を、ブラヴァーセは待った。

もしさっきの音を衛兵が気づいてたら、ここが生死を分つ境い目になる。


「…………………………」

何も起きない。

水面の下からは何も聞こえない。

ブラヴァーセはゆっくり、身体を低くしてその金属物を乗り越えようとする。

待ってる間は必死に思考を巡らせた。

あれの材料は青銅、恐らく人工水路の(せき)の一部。水路が開通する前で水を止めるために設置したものが、完全に撤去されずに一部がここに残ってたのだろう。


でも、それがあるということは…と、ブラヴァーセは楽観だった。

ゆっくりと音を立てずにそれを乗り越えたら、予想は的中した。もう手をいくら伸ばしても、側壁には当たらない。


ここは ーーーーあの池の中。

ブラヴァーセは人工水路を通り抜けた。


言い伝えが本当ならこの先はかなり深いようだ。暫く潜って進んでから、少し観察のため頭を出してもよいかもしれない。

あとは池中央の宮殿に到達するだけだ。

そう思うとブラヴァーセは口で空気をいっぱい吸って肺に溜める。そして両足に力を集中してあの金属物を蹴り、身体を前に押し出した。


今更考えても無謀すぎる行動だったが、まさか本当にうまく行ったとは。自分でも不思議なくらいに。

水路を抜けた先、警備は手薄だった。

多分誰もこんな方法で侵入されるとは思わなかったのだろう。水面上でゆっくり宮殿の方へ漂っていく頭に気付く人はいなかった。

やがて上がれる場所にしがみ付け、ブラヴァーセは手の力を振り絞り自分を引き上げた。


「あはァ…はぁ…」

呼吸を整えるのも短い間だけ。この場所は(ひら)けすぎている。隠れるなら月が雲に覆われている今だ。

ブラヴァーセは滴ってる水すら処理しないまま、一つからもう一つの物陰へと素早く移動する。

水をたらふく吸ったズボンはちっともその身のこなしに影響できない。

一連湿った痕跡は残るが、こんな夜中に誰も気付くはずあるまい。


スッ、スス、ポシャポシャポシャサササササ……

陰が密集している所に入ると、そこはどうやら茂みだった。

思わず蹌踉(よろ)めいちゃいそうだったが、すぐさま姿勢を低くして転ばずに済んだ。

ブラヴァーセはそこに屈みながら周りの様子を(うかが)った。


巡回の衛兵なし。移動時の音も聞かれてないそうだ。

でも同時に目標の塔も見失った。

ここは一体どこだ?違う所に上陸したのじゃないかと一瞬疑問に思った。


やがて月の淡い光が闇の面紗(めんしゃ)(めく)り、答えを掲げた。


ブラヴァーセは咲いた薔薇に囲まれてる。

そしてその薔薇の周りにも知らない花や低木ばかり。

葉が細いのも長いのも、見たことあるのもないのも。

後ろに振り向いてみると、壁ですら(つる)みたいなものに覆われ、その脈絡は上の階の植生に伝っていく。

まるで巨人が住む緑の天幕だ。


これが多分人々が言う〈空中の庭園〉だろう。

もっとも、その一角の陰に隠れてちゃ全貌は見えない。


願わくばこういう景色は昼で見たかったな………と、思い耽った時。

湖面から風が吹き、周りの枝葉がカサカサと音を立てる。

寒さに催促されたかのように、ブラヴァーセは低木の茂みに体を寄せ、ズボンを脱いで絞り始めた。

じゃぶじゃぶ出された大量の水は土に触れた途端音をも吸われ、地面へ溶け込んでいく。

ズボンは濡れてると体温が奪われることを考え、少しでも布の面積を減らすように裾を太ももまで捲り上げ、再び履いた。

そして巾着から出した上着は幸い水浸しになってないが、湿ってはいる。同じ要領で袖も捲り上げ、前は開けたままにした。


これでようやく身動きが取れる。酒の効果もまだ引いていない。

ここからが本題だ。


ブラヴァーセは植物の陰に隠れるままこの〈庭園〉の外周を回り、この辺の建物と衛兵の配置を確認する。

反対側で塔を視認できた。割とすぐ目の前というか……配置が狭い。

改めて距離を計ろうとすると、子供の時から見てきた地上に建つ宮殿とどうしても比べてしまう。

いくら有名とは言え、ここはあくまで広くて珍しい井戸の上に建てている。そう考えるとこの王侯貴族基準の敷地の比較的窮屈さも納得できる。

具体的にどれくらい近いかというと、全力を出し尽くさなくても一気に走り抜ける距離。

入口に焚き火台が設置されてて分かりやすかったが、同時に発見されずに入ることが難点となった。


そして塔の護衛だが、そこに常駐の門番はおらず衛兵が見回りしてるだけ。

ここが池にある孤島だから放念してるせいか、賊に言わせればなんたる不用心。本当にあの塔の上に何かあるのかって疑うほどに。


今隠れている場から入口までは腰くらい高さのある垣が一定間隔で続いており、無理に走って音を立てるよりそれを利用して接近した方がいい。

ブラヴァーセはこれからの侵入と脱出を頭の中で演習する。

見回りは少しずつ遠くへ行ってる、月もまたもうすぐ雲に隠れる。暗くなったら合図となる。

塔に何か大事な物があったら頂く、なかったら花でも一輪摘んで帰ろう。

………………いや、二人に送るのだから二輪か……そもそも脱出もあの人工水路を使うから形を保ったまま持って帰れるかどうか。

花じゃなくても記念に何かを頂こう、手ぶらで帰るブラヴァーセ様でもないし。


そう考えながらもう一度身体の動きを確認する。

ズボンはまだ湿っているが少し重くなったくらいでさほど影響はない。足についてる土はできるだけ壁や煉瓦に擦り付けて落とした。

(アシ)(かん)は腰のあたりに帯で挟んである。万が一バレた時にすぐに取り出して逃げられるように。

準備はすべて整った。月も物分かりがいい。

動くなら今だ。


ブラヴァーセはしゃがみながら垣を遮蔽物に前進、見回りの向きを確認しながらその(あいだ)をスッと通り、あっという間に塔の真下まで来た。

いったん壁の影に入って周りを再度確認。

焚き火台を挟んで今の見回りは正反対にいる、バレる心配はない。

灯りは入口の中をも照らしているから、入る時は見られる可能性はある。

けど同時で中に衛兵はいないことがわかった。


ブラヴァーセはゆっくりと光と闇を分つ境界線のギリギリまで移動、そこからひゅっと塔に入った。


見られてない。追ってきた足音もない。

階段をささっと上がっていきながら感覚を研ぎ澄ましてた。

下からの追手がいなければ次の問題は頭上。

遠くからここを眺めていた時、灯りは着いてた。つまりここには人が出入りしている。

頂上が近づくに連れて歩きが慎重になっていく。やがて無意識に身体は壁に寄りかかりながら移動してた。


が、段差越しに見えてきた扉の周りに誰もいない。

その代り扉の向こうから音がする。

最初は人の歩く音かと思えば、よくよく聴くとそれは一定の拍子に則って、時に重く時に軽い。


絹の手巾、刺繍、そしてこの音。

何となく察したブラヴァーセは階段を登り切り、扉と壁の隙間から中の様子を覗く。

確信を得るために。


その眼に映ったものは香炉、絨毯、燭台。

それらを背景に光が柔らかく包むその部屋の中、白がはためく金色(こんじき)が宙を舞う。


この部屋にも一輪の花が咲いてある。

さっき通ってきたあの庭にない花が。


どおりでこの塔の頂上に隠すわけだ。この一輪の前では庭園にある花も光を失うのだろう。

ブラヴァーセはこの情景に見惚(みと)れて思わず体重を扉にかけ、押された扉が「コトン」と(かんぬき)にぶつかった。

「っ!!!」………

すると扉の向こうは突然静まり返った。

「……ッ………とっ、父さま……?」と、弱弱しい声が伝わってくる。


ブラヴァーセはその外側にかけている(かんぬき)を引っこ抜き、ゆっくりと扉を押し開けた。

さっきまで奔放に咲いてたあの花が、あの女の子が、緊張そうに背中を壁に寄せ、細長い燭台を手で掴んでいる。

「失礼。下で手巾らしきものを拾いました。落とし主がここにいるかと思い、探してます」

敵意がないことの証に手のひらを見せながら、ブラヴァーセは少し踏み入れた。

相手の(ひそ)めた眉がちっとも緩まないのを見て、今の格好は実に不適切だと気づき、裾を降ろして何とか身だしなみを整えようとする。

「これは申し訳ない。ここに辿り着くのがやっとのことで、拾った手巾ですら置いて来ました」

紐を結んで前を閉じ、気まずそうに湿っているズボンをはたきながら言う。

「これでは返せませんね。また後日改めて伺いましょう。あなたにマルドゥク神のご加護があらんことを」

深く礼をして下がり、扉に手をかけ閉じようとする。


「待って!」

緊張のあまりかその子の呼吸が荒い、でも表情からはさっきみたいな恐怖を感じない。

手を燭台から離し、扉に向かって少し寄ってきた。

「ここから逃げたいの」

その眼差しからは強い意志が伝わって来る。

ブラヴァーセはその眼と見つめ合いながら、さっき彼女が言ってたことを頭の中で反芻する。


なぜ来る人が父だと思ってその仕草なのか。

どうやら良い家庭環境に恵まれていないらしい。


返事がないからこっちが戸惑っているとでも思ってるのだろう。

「もし本当にマルドゥク神が遣わし……」

と彼女が説得に転じようとしたその時、下から男の叫びが聞こえてきた。

ざわざわと人の話し声もする。

しまった!と、心から焦るブラヴァーセ。

でも顔には出さない。


ここに来るまで残し得る痕跡を思い返す。

一番バレる可能性があるのは上陸した時の濡れた跡だった。

ここで一緒に逃げようにも持ってきた(アシ)は一本だけ、何という不覚!

だけど例え彼女の分まで持ってきても、無事に水路でここから連れ出すことは叶うのか?


あれは救難信号だったことは予め想定しておくべきだった。


これ以上ここでグズグズしてもこの娘に危害を及ぶかもしれない。

ブラヴァーセは即座に決断を下した。

「どうやらここは手ぶらの部外者を歓迎してないらしい。では、また改めてお邪魔します」と余裕ぶっこいてこの場を去ろうとする。


締まる扉を見て、女の子はまだ何か言いたそうだった。

その表情は切なく、見てるこっち側が心苦しい。

「もしお急ぎの場合は、<シャマシュ門>の外にある宿で商人シャレヴァ、もしくはその二人の妻ハヌシスかイシティーシアに当たってください。」

だからブラヴァーセは補足の一言と申し訳なさそうな一笑を付け加えて、扉を閉じ(かんぬき)を元に戻した。


そこからは速い。


我らが大盗賊ブラヴァーセは身軽く飛ぶようにして階段を降り、出ようとした時に外は既に槍を持った衛兵たちが迫ってきている。

もうここから抜けて水に飛び込むことすらできない。

だから向きを変えて入口に背を向け、ついさっきここに逃げ込んだばかりみたいな素振りを見せながら、抵抗もせず流れるように捕まってしもうた。


万事休す。

<次回予告>

殺す者と殺される者、どんなに生きようとしてもままならぬその地。

戦争が迫る中こそ人の心が生み出す熱狂。

貪欲も野望もすべてすり潰し、人はただ流れの中に身を粉にする。


次回、『闘技場に咲く猩紅』

ーー この地獄に、希望よ来い

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