ピースは揃った
「おかえり青年。どうだった?」
「ほとんど残ってなかったです。薔子さんの言った通り、ですね」
数分後。頼まれた“おつかい”を終えて、二階のテラスに戻ってきた僕は、その結果を薔子さんに報告する。
「日付の方も、朝の八時に印が押されてました。その時に入れ替えたのだとしたら、あの量は不自然に少な過ぎます」
「了解した。ちゃんと手は洗っただろうな?」
「まだ生きていたいですからね。“写真”はこれでいいですか?」
「ふむ。少し小さいが、個人の判別は出来るだろう。合格点だ」
差し出したスマホの画面を見て薔子さんが頷く。写真を撮った僕が言うのもなんだが、お世辞にも写りは良くない。頑張ったけどこれ以上は近付けなかった。
「じゃあ、今そっちに送りますね。バレないようにシャッター押すの、結構大変だったんですよ?」
「こういう隠密行動は私より君の方が向いているだろう。それとも今のは労いの言葉が欲しいという意味か」
「……欲しいか欲しくないかで言われたら、欲しいです」
「なら褒めておこう。ご苦労だった、青年」
背中を優しく叩かれて、僕はそれだけで満足した。我ながらチョロい人間だ。
自分のスマホに顔を近付け、届いた写真をつぶさに確認すると、薔子さんは唐突にそれを机の上に置いて、自らも椅子に腰を降ろした。僕はその向かい側に座る。
写真に写っている人物――薔子さん曰く、それは最も黒に近い人物なのだそうだ。
「この一枚が、役に立つ機会が来るといいがね」
「……本当に、犯人はこの人なんでしょうか?」
「確実な証拠こそ無いが、可能性は高いということだ」
「薔子さんを疑う気はないですけど、論理が飛躍しているようにしか思えません」
「現段階では飛躍しているよ。その空白部分を補うために、立川から話を聞くのさ」
付き添いで送り出した職員さんへ、スピーカーモードで電話をかける。
『もしもし?』
「やあ。私だよ。君の上司だ。余計な業務を命じてすまないね。手当は別途付けておくから。……で、現在位置は病院か? 立川に代わって欲しいのだが」
薔子さんが尋ねると、即座に了承の返事があった。すぐ隣にいたそうだ。
携帯の受け渡しが為されてるであろう、ガサゴソというくぐもった物音の後で、立川さんが電話に出た。
『……はい』
「私の声が聞こえているな? 茨薔子だ。お前にいくつか質問を」
『――だからぼくはやってないって言ってるでしょう!!』
突然の悲鳴。薔子さんが無言で音量を下げる。
「やかましい。人の鼓膜を破壊する気か」
『知りませんよ! さっきもその前も散々警察の人に説明したのに、まだ聞き足りないことがあるんですか!』
「さっき、ということは既に二度目の聴取が行われたのだな? 警察はお前を黒だと見ている。さぞかし圧迫面接だっただろう。これから第二回戦だ」
声だけでも伝わるであろう上から目線で、一方的に宣言する薔子さん。『いい加減にしてください!』と立川さんが叫ぶ。そのやり取りを聞いて、僕は頭を抱えた。
まったく薔子さんは……元気になったかと思えばすぐこれだ。こういう時は、正面から突撃しちゃ駄目なのに。
「落ち着いてください。僕たちはあなたを疑っている訳じゃありません」
薔子さんを遮り、立川さんにそう伝える。電話の向こうが一転して静かになった。
『……その声は、あの時の?」
「東雲伊吹といいます。佐藤さんの様子は、いかがですか?」
『おかげさまで安定しています。まだ目は覚めませんが、お医者さんも、命に別状はないから大丈夫だ、と』
「そうですか。無事で良かった」
『……本当に、お世話になりました。あそこでお二人が助けてくれなければ、今ごろどうなっていたことか。今度また、改めてお礼をさせてください』
「いえそんな。人として当然のことをしたまでですよ」
などと、ちょっとかっこつけてみたりして。緊張をほぐしてから本題に移る。これがコミュニケーションである。
「……なんて回りくどい話し方をするんだ」
約一名、分かってない方がいらっしゃるようだが。
「急がば回れって言うでしょう」
「佐藤美香の安否はとっくに確認済みだ。特段の異変が起きていない限り、それを改めて訊く理由はあるまい」
「理由は無くても意味はあるんです」
互いに忌憚なく語り合う、丁々発止のやり取り。サッパリしてて効率的なんだろうけど、全ての人間がそれを好むわけじゃない。
本筋とは無縁の雑談や、オブラートな部分にも価値はあると、僕なんかは思っている。
『それで、何を話せばいいのでしょうか』
立川さんの問い掛けに、僕は薔子さんへ目配せを送った。ここからは彼女にバトンタッチだ。
「犯人の動機について探りたい。佐藤美香が命を狙われる理由、心当たりはあるか?」
『理由、と言われましても……彼女は誰かから恨みを買うような性格では』
「被害者の友人や恋人は、大抵そうやって当たり障りのないことを言うんだ。大層なものじゃなくていい。ささやかな違和感で構わない。思い出してくれ」
『そ、そう、です、ねぇ……うーん』
立川さんが腕を組んで悩む光景が目に浮かぶようだ。圧迫面接で申し訳ないけど、僕たちにとってはこの人が頼り。肝心の佐藤さんはまだ目覚めていない。
『……ああ、そういえば』
「何かあったのか!?」
ポツリと呟いた立川さんに、薔子さんが激しく身を乗り出した。
『ぼくと付き合い出してからは収まったそうなんですけど、彼女、一時期、別れた元カレからストーカーまがいのことをされてたらしくて。真夜中にしつこく電話をかけてきたり、大量にメールを送りつけてきたり、相当迷惑していたみたいです』
「その交際相手はどんなやつだ? 名前、年齢、性格、外見、知っていることがあれば教えてくれ」
『……ハシモト。名字はハシモトだったと思います。ただ、それ以外はちょっと。彼女がこの話題を出したがらないので、ぼくもあまり分からないんです』
「ふむ」
『家を訪ねてきたりとか、そういった実被害は無かったと思うのですが』
立川さんが答えると、薔子さんは椅子の背にもたれかかって腕を組んだ。
「近くに男がいれば、それだけで変質者に対する抑止力になる。お前という『盾』に出会えたことは、佐藤美香にとって幸運だったかもしれないな」
男女を問わず、自分から身を退くような人間はストーカーにならない。佐藤さんに粘着していた男だってそうだ。放っておいたら、より過激な手段に出ていた可能性が高い。
「佐藤美香と交際を始めたのはいつだ?」
『今年の二月ですね。もう少しで四ヶ月になります』
「なるほど……」
薔子さんが口元に手を当てて唸る。
佐藤さんに付きまとっていたという男『ハシモト』。今回の件とは関わりがあるのだろうか?
「……もう少し詳しく知りたいですね」
「佐藤美香本人に聞くしかないな。まあ、立川の持つ情報がこの程度なら、警察もしばらくは真相に辿り着けまい」
そう言う薔子さんはどこか嬉しそうだ。本人は絶対に認めないだろうけど、警察と張り合っているつもりなのかもしれない。彼らより先に犯人を見つけて、目に物見せてやる。そんな心意気を感じる。
『あ、あのぉ。お二人は、本当にぼくを疑っているわけじゃ、ないんですよね?』
確認してくる立川さんに、薔子さんは呆れた顔で溜息を返した。
「だからそう言っているじゃないか。仮にお前が、人目も気にせず人殺しを目論むような愚鈍か、あえて我々の裏をかかんとする稀代の策略家であるのなら話は別だがね。どちらにも見えなかった」
『……ぼくはやってませんよ』
「だったら胸を張れ。警察に疑われようが怖じ気づくことは無い――私が容疑を晴らす。お前は声を大にし、己の無実を主張し続けたまえ。それがお前自身と、お前の恋人のためだ」
気高く凜とした、けれど同時に優しさを帯びた声で、薔子さんが告げる。こういうことを苦も無く言えるのは、本当にスゴいなって聞いていて思う。
いつか自分も彼女のように、誰かを導ける存在になりたい。高望みかもしれないけど。
そのとき不意に、電話の向こうが騒がしくなった。
「……どうした? おい立川? 何があったのだ!」
呼びかけの後しばらくして、女性の声で応答が返ってきた。
『茨園長ですか? 電話を替わりました、田中です』
田中というのは、薔子さんが付き添いに出した職員さんの名前だ。
「君か。そちらで起きていることを報告したまえ。音だけでは状況が分からない」
『は、はい。たった今、わたしたちの所に看護師さんがやって来まして』
緊張したその声色に、薔子さんがゴクリと唾を飲んだのが分かった。
『倒れた女性――佐藤さんの意識が、戻ったそうなのです』




