ブルーローズの復活
薔子さんはいなくなり、三千院警部は部下の指揮で忙しい。手持ち無沙汰になってしまった僕は、これからどうすべきか途方に暮れていた。
警察の捜査に混じるのは、邪魔にしかならないので止めた方がいい。かと言って一人で動こうにも、元から大して役に立ってなかった僕が、薔子さん抜きでどうこう出来るとは思えない。
ブレーキ無しの車は事故を起こすが、ブレーキで車は動かせない。不肖東雲伊吹、自分の限界はわきまえているつもりだ。
捜査の現場から薔子さんが排除された今、レストランでは三千院警部の指示の下、全ての客を対象とした大規模な聞き取りが行われている。一度やったことの繰り返しなので、成果は芳しくなさそうだ。何故か早く帰りたがる森永さんなど、警部の前ですらイライラを隠さなくなっている。対する銀行員の一条さんは、コーヒーを片手に優雅な一服の最中だ。
時計を見れば午後の二時。この事件はいつ解決するだろうか。夕方までには解放されるといい。
親しい人と過ごしたり、自分の好きなことに熱中する時間は、光陰矢のごとしであっという間に流れていくけど、今みたく何をするでもなく、ただただ無意味に待ち続けるだけの時間は、一分が十分に、十分が一時間に感じられる。退屈だ。動きたい。でも外には出してもらえない。状況はいかんともしがたい。
薔子さんへ会いに行く手もある。というか会いに行きたいのだけど、二階への階段を上ろうとすると、控えめな人間特有の好きな相手に対する遠慮が鎌首をもたげる。
あの状態の薔子さんって刺激して大丈夫かな。そっとしとくべきなのかな。でも結構落ち込んでたし、やっぱり励ました方が……。
「そんなところで何してるんすか?」
なかなか踏ん切りがつかずに階段の前を右往左往してたら、五日市さんに見つかった。
「伊吹サン、傍から見たら完全に不審者のそれっすよ」
「あはは、ですよね……。二階に行こうかなって思ってるんですけど、行って良いのか迷ってて」
「良いんじゃないんすか? オレたちは下に残るよう指示されてますけど、伊吹サンとあの女の人は、警部サンの中で特例扱いみたいっすし」
薔子さんが一階に連れ戻されず、僕も比較的自由な行動を許されているあたり、容疑者からは完全に除外されているのだろう。二階へ続く階段の前には、見張りの巡査さんが立っているけど、僕のことを怪しむ素振りはない。こいつ何してるんだろうなとは、おそらく思われている。
「三千院警部とは前に一度だけ会ったことがあるんですよ。まあついこの間なんですけど。なんか薔子さんのことが気に入ってるみたいで、多分僕はオマケ扱いですね」
「女遊びとか上手そうな感じっすからね。伊吹サンはその辺、いいんすか」
「いいんすかとは?」
「彼氏サンの立場的に」
だから違うって。
「彼氏じゃないですよ。薔子さんとは……顔見知りです」
「にしては息ピッタリだったっすけど」
「心臓マッサージの時ですか? あれは向こうが合わせてくれたっていうか、偶然合ったっていうか」
やってることは同じでも、僕と薔子さんじゃ冷静さが桁違いだった。普段通りの彼女がいたからこそ、僕もパニックにならずに済んだのだ。
「薔子さんとは、知り合ってまだ間もないですし。そもそも向こうは僕のこと、恋愛対象としては見てないと思いますよ」
「……でも好きなんすよね?」
「っ!?」
「大丈夫っすよ。ああいうかっけーお姉さんっつーのは、男女問わず周りを魅了するもんっす」
したり顔でうんうんと頷いてから、五日市さんが僕の肩を小突いてくる。だから違うと反論しようにも、まったく違わないので何を言えばいいか分からない。
顔が熱かった。
好きで悪いかコノヤロウ。
声にもならない声でブツブツと呟いていると、五日市さんにまた肩を突かれた。
「こういう時こそ距離を縮めるチャンスっすよ」
いや、でも……あの人のことなら放っておけば回復しそうだし……。励ましに行けって改めて促されると、なんか恥ずかしいっていうか。
「ほら、伊吹サン」
ああもう……分かったよ……。
「……行ってきます」
「ファイトっす」
僕なんかで力になれるのかと、疑問を呈したい気分にもなるけど、それでも一人にするよりはマシだろうから、僕は五日市さんに手を振って、薔子さんのいる展望台への階段を上っていった。
※
『夏の名残のバラ』、二階。
騒々しかった下の階と違って、こちらは警察が人払いでもしたのか、不思議なくらいに静まり返っていた。
階段を上がったすぐ横に、観葉植物の鉢とソファーがある。壁際には園芸雑誌を満載にした本棚が並び、その上に取り付けられたホワイトボードには、開園の日時やイベントの情報が、赤色で事細かに記されている。
展望台兼、ちょっとした休憩スペースとして使われているのだろう。
店に入るときは角度的に気付かなかったけど、小さなテラスまであるようだ。ちょうど木陰になる位置に、木製の椅子と机が置かれ、そよ風を浴びながら園内の景色を一望出来るようになっている。
顔だけ外に出して覗き込んでみると、案の定、薔子さんはそこにいた。
不規則に揺れる木漏れ日の下。ウッドテーブルに突っ伏して、ピクリとも動かないその姿は、眠り姫かそれとも昼休みの高校生か。呼び掛けると反応があったので、取り敢えず眠ってはいないらしい。
屋内から椅子を持って来て、真向かいの位置に腰を降ろす。薔子さんの頭がゆっくりと持ち上がった。
「おはようございます」
「……」
無視。半開きの瞳で僕を見詰め、また顔を沈める。肩まで届く艶やかなポニーテールが、机の上に乱雑に広がった。
そのまま互いに、何も言わない。
これは気まずい。
こちらからやって来た以上、この場でアクションを起こすべきは僕だ。
どうしよう。話しかけてみようか。……話すって何を? 今日は良い天気ですねとか? いや、それはあまりにも不自然が過ぎる。励ますにしたって、最初は当たり障りの無いことから。先ず隗より始めよ、だ。
「……何か飲みます?」
「……ん」
返事があった。一歩前進だ!
「水でいいですか?」
「ん」
ウォーターサーバーが近くにあったので、それを使って二人分の水を汲む。植物園としてのこだわりだろうか、紙コップにはバラのイラストが描いてあった。
「はい」
「ん」
気だるげな動作で起き上がり、僕の差し出したコップを受け取ると、一気にその中身を飲み干した。濡れた唇を手で拭い、空になったコップを突き返してくる。
「ん!」
「もう一杯欲しいんですか?」
「んん」
「それしか言いませんね……」
薔子さんでもこんな風になるんだなと思いつつ、まだ手を付けてなかった僕の分を渡す。
「どうぞ」
「ん」
「拗ねてます?」
「拗ねてなどいないッ!」
「あ、やっと喋ってくれた」
頬が綻ぶ。このまま会話を拒絶され続けたらどうしようかと思っていたのだ。
「…………私を嗤いに来たのか」
「失礼ですね。そこまで性格悪くないです」
「ふん」
不機嫌そうに鼻を鳴らす。机に肘をつき、どこか遠くの方を眺める薔子さんだが、もう顔を突っ伏したりはしない分、また一歩前進だ。
「下に戻りたまえ。私といても暇なだけだろう」
「どっちにしろやる事ありませんし。だったらあなたといますよ」
薔子さんの眉がピクリと動いた。肯定は無いが否定も無い。ここにいても良さそうだ。
心地良いそよ風に吹かれながら、僕は再び彼女に話しかける。
「涼しいですね」
「涼しいな」
「この紙コップ、バラの柄なんですね。薔子さんらしいです」
「……だろうね。生まれたときから私の人生はバラまみれだ」
「……バラ好きですし、名前にも薔薇の文字が入ってますし」
「加えて誕生花もバラときた。実のところ、私の名前はそこに由来しているのだがね」
「いつですか?」
「七月二十三日だな」
「夏生まれだったんですね」
「そうだ。ちなみにこれ以外にも、バラを誕生花とする日は複数存在している。一月十六日と一月十九日と二月十日と二月二十五日と……おい、なぜ笑う。何が可笑しいんだ?」
「え? ああ、いや別に」
大した理由じゃない。分かりきったことを改めて実感しただけだ。
「薔子さん、花の話になると元気出るなって」
「そうか?」
「自覚無かったんですか!?」
傍から見ればあんなにあからさまなのに。あからさま過ぎて微笑ましいレベルなのに。
「鏡って知ってます? 自分の姿を改めて確認出来ますよ」
「まったく不要な代物だな。私が私であることを、わざわざ確かめる意味がどこにある?」
自信満々な返答に、思わず安堵の溜息が漏れた。
いつもの薔子さんは、不遜で、ざっくばらんとして、遠慮を知らず、唯我独尊を貫く問題児だ。だけど打ちひしがれているよりは、そっちの方が良い。萎れた花は見ていて悲しいから。
「……まあ、今回の私はバラではなく、オダマキだったようだがね」
しばしの沈黙を挟んだ後、薔子さんがポツリと呟く。オダマキ。花言葉は『愚か』だ。
「誰だって、間違う時はありますよ」
「客の中に犯人がいるという前提の下で動いていた。いつ、何故、どうやって毒が盛られたかも不明なまま、理詰めだけで答えに辿り着こうとしたのは我ながら先走り過ぎたよ」
目を閉じて、薔子さんは珍しく自嘲気味の笑みを浮かべた。
「……警部を性急と断じたくせに。私の方がよっぽど焦っているじゃないか」
園長としてのプレッシャーもあるのだろう。情報の拡散が早く、噂に尾ひれの付きやすいこの時代、どこそこで人が死んだなんて悪評はあっという間に広まる。もちろん佐藤さんは死んでない。けれど園の評判が落ちる切っ掛けとしては、利用者が毒を盛られたという事実だけで十分なのだ。
犯人が不明である限り、追求の矛先は間違いなく園に向く。すなわち、薔子さんに。
「……やっぱり立川さんが犯人なんですかね? 警部の言った通り、動機がありそうなのはあの人しか」
「だがそうなると、どうして人目に付く場所を選んだかという謎が出て来る」
機会は他にいくらでもあるのに、目撃される恐れをわざわざ冒すだろうか。
「目撃証言が出てこなかったのはあくまで結果だ。計画段階で排除できるリスクは、可能な限り排除して臨むのが定石というもの。公衆の面前で殺人など、あまりにも非合理的だろう」
「……状況的には立川さんが怪しい。だからこそ逆に彼ではない。薔子さんは最初、そう思ってたんですよね」
「そして何も分からないという結果に終わった。情報源があまりにも少なすぎたんだ。立川の証言は警察を通じての物だし、佐藤美香はそもそも話を聞けていない。うちの職員が二人に付き添っているから、彼女経由で接触を図るとしよう」
「てことは、薔子さん――」
「ああ。良い子ちゃんでいるつもりは無いよ。捜査の場からは追放されたが、考えれてみれば好都合だ。私は私の好きなようにやらせてもらう」
桜色の唇を三日月に歪め、薔子さんはおもむろに深呼吸をする。
僕の見守る前で、その瞼がゆっくりと持ち上がっていった。
不可能を可能にする青薔薇の青。煌めきを湛えて表れる。その奥底で燃え上がる炎は、木漏れ日の反射か薔子さんの闘志か。
「行動開始だ。私の縄張りで殺人を目論んだこと、必ずや後悔させてくれる」
そのまま彼女は紙コップを手に取ると、中に入っていた水を一息に呷った。
「ん」
「何ですか?」
「景気づけにもう一杯だ。汲んできたまえ」
「いや、すぐそこなんだから自分で行ってくださいよ。セルフサービスです」
「……さっきは汲んできてくれたじゃないか」
そう言って唇を尖らせる。ええい、可愛い。三秒前までは滅茶苦茶カッコよかったのに。
「仕方ないですね……待っててください」
「ありがとう。どうせなら君の分も取ってくるといい。あのウォーターサーバーの水には、『巌聖水6500』という名前があってね。福山市東村町で採れる上質の天然水なんだ。うちの職員が、週に二度現地まで買いに行っているんだよ」
そうなんだ。地味に良いの使ってるんだな。……待てよ? 水、か。水……。
何かが頭の片隅に引っ掛かる。そうだ。水と言えば確か、あそこにもあった筈だ。しかもあそこで見たあれは、僕の知識が正しければ、ものすごく――。
「……薔子さん」
「どうした?」
立ち止まる。薔子さんが首を傾げた。
「花に関することで、ちょっと確認したいんですけど」




