”千里眼”推参
「どっ、毒!?」
狼狽する女性。傍で聞いていた僕も同じ思いだった。毒を盛られた、ってことはつまり……毒を盛られたってことだ。誰かが佐藤美香さんを殺そうとしたって意味だ。
「毒殺を目論んだ不届き者は、今もこの中に潜んでいる。多少のリスクを負ってでも、相手を殺せたか確かめたいのが人の心理だからね。あなたも私も容疑者の一人だ」
「訳が分からないわ!」と女性が金切り声を上げる。「毒殺って言うんなら、その根拠を教えなさいよ!」
「いいだろう。とはいえ簡単な推測さ。飲食後すぐに倒れたということで、あなたは食中毒か何かを思い浮かべているかもしれないが、私に言わせれば、それは有り得ない」
「どうしてよ??」
「症状が違うんだよ」
そう答えるが、女性は理解出来なかったらしい。はぁ? と訝しげに顔をしかめる。
食中毒については、父から少しだけ聞かされていた。その内容を思い出しつつ、僕は横から補足をする。
「食中毒だとしたら、下痢や嘔吐、発熱といった症状が出るんです。目眩と頭痛はともかく、心停止なんて普通は起きないんですよ」
「彼の言う通りだ。そもそもこの店はバイキング形式。全ての客は、同じ場所から料理をとって食べている。故に、私たちにも同じ症状が出る筈なんだ」
僕も、薔子さんも、五日市さんも騒いでいる女性も、佐藤美香さん以外は皆ピンピンしている。料理に原因が無い何よりの証拠だ。
「アレルギーってこともあるんじゃないの?」
「主要な品目の有無は全て料理名の横に記載しているし、アレルギーなら本人も気を配る筈だ。ここまでの症状が出るなら、余計にな。だからこそ、逆説的にその説は棄却されうる」
「だったら……なにか、重たい病気だったんじゃないかしら! 脳卒中とか、クモ膜下出血とか!」
「有り得ないとは言えないが、にしたって前ぶれがあるだろう。立川の証言を聞く限り、直近の数日中に佐藤美香が体調の異変を訴えたことは無かった。そもそも、四十歳以下の人間が脳卒中に見舞われる事例は、ゼロでは無いものの非常に少ないんだ。年に百人とか、そんなレベルだったかな?」
「へ、へぇ、そうなのね」
滔々とした口調に女性が圧倒される中、薔子さんは更にたたみ掛けていく。
「残る仮説はウイルスだが、これも却下していいだろう。劇症化があまりにも早過ぎるからね。万に一つ、いや億に一つ、未知の病原体のせいだったとすれば、我々は隔離対象だ。なおさら帰すわけにはいかなくなるのさ。福山なんぞで新種が見つかるとは思えないがね」
そこまで語り終えた後、挑戦的な目付きで女性を見詰めた。
「以上の理由に基づき、毒物を盛られた可能性が消去法によって浮かび上がるわけだ。何か質問は?」
「……ったく、理屈っぽい女ね」
「無さそうだな」
閉口する女性に薔子さんが目を細める。事実上の勝利宣言だった。
「佐藤美香については、救急隊に任せれば大丈夫だろう。だからこのまま犯人を暴き出しても良いのだが……生憎、民間人の私に捜査権限は無い」
残念そうに首を振ると、薔子さんはポケットから携帯を取り出した。
「この先は、本職の連中を呼んでからにしようか」
※
薔子さんが警察に通報して間もなく、救急隊がレストランに到着した。
未だ意識の戻らない佐藤美香さんは、隊員たちの手で担架に乗せられ、速やかに店の外へ運ばれていった。呼吸は戻っても、予断を許さない状況には変わりない。僕たちは僕たちの出来ることをした。後は彼女の無事を祈るだけだ。
佐藤さんの付き添いとして、恋人の立川さんとフラワーパークの職員さん、計二人が病院まで同行することになった。後者は薔子さんの差し金だ。職員さん経由で情報を得たいのだろう。
救急車が出発する直前、薔子さんが隊員の一人にプラスチックの容器を手渡していた。中身は佐藤さんの吐瀉物。分析すれば、摂取した毒の成分が特定出来るのだとという。
彼女が毒を盛られたなんて、正直まだ半信半疑だけれど、救急隊や薔子さんはその説を有力視しているらしい。吐いた物に触るな、という電話越しの指示も、二次被害を防ぐのが目的だったそうだ。
薔子さん曰く、皮膚から吸収される毒も世の中にはあるのだとか。また一つ賢くなった。こんなことで賢くなりたくはなかったけど。
とはいえ吐瀉物をそのままにはしておけないので、僕と薔子さん、五日市さんや店員さんたちと協力して、ひとまず床を綺麗にした。店内に漂っていた酸っぱい匂いも、窓を全開にしたら外に出て行った。
雑談をするような空気でもなく、息の詰まりそうな沈黙の中、椅子に座って警察の到着を待ち続ける。
遠くからパトカーのサイレンが近付いてきた。それに重なって聞こえる、どこかで耳にした気のする軽快なクラクションの音。薔子さんがハッと立ち上がり、窓の外に身を乗り出した。
「どうかしました?」
「……青年、私は家に帰ろうと思うよ」
「は? いきなり何なんですか。ここにいてくださいよ」
「予感がするんだ。災厄が迫っている。今すぐ避難しなくてはならない」
「また訳の分からんことを……。警察呼んだの薔子さんでしょう? 帰っちゃダメって、自分で言ったじゃないですか」
「だ、だがね青年」
「ダメですよ! ふてくされてもダメなものはダメです!」
「ぐ、ぐぬぅ……」
不満そうに唇を尖らせる。この人は一体どうしたんだ。何をそんなに怖がっているのか、僕にはまったく理解出来ない。
段々と大きくなってきたサイレンの音は、フラワーパークの前に到達し、唐突に止んだ。外の様子を窺えば、ここからでも点滅する赤色灯が見える。広島県警のご到着というわけだ。
…………待てよ? 広島県警ってことはもしかして。
とある人物の顔が脳裏に浮かんだ、次の瞬間。土を踏みしめる音が店の外から聞こえ、入り口の扉が勢いよく開け放たれた。
「Chao! お待たせしました市民の皆さん! このボクが来たからには、もう安心ですッ!」
そういうことか。表れた自称『千里眼』、県警のエリートこと三千院警部の姿を見て、僕は薔子さんの懸念を理解する。こういうタイプは嫌いなんだっけ。
「ほら見たことか! 私は帰るぞ!」
そっちに裏口でもあるのだろうか。厨房の方へ向かおうとした薔子さんの腕を、僕はすんでのところで掴んだ。
「逃げないでください」
「放せ青年! ああいう男は苦手だ」
「最悪、僕が代わりに受け答えしますから……」
良い大人なのに、どうしてこんなに好き嫌いが激しいんだ。そりゃ僕も、ザ・陽キャみたいな人間には苦手意識があるけど。
「おや? そこにいるのはもしや……レディ・薔子に伊吹クンじゃないか!」
名前を呼ばれた薔子さんがあからさまにギクッとなる。
警部は前髪を掻き上げると、そのまま僕たちに向けて突撃してきた。満面の笑み。燦々としたオーラに乗って、香水の香りがフワリと漂ってくる。
「久しぶり! 二人ともこの前は世話になったね! あの後だけど、死んだ女性の交際相手が警察に自首してきたよ。供述の内容は、おおよそレディの推理通りだった。怖くなって一度は逃げたけど、良心が痛んできたらしくってねぇ……ともあれ、さすがはレディ・薔子だ。ボクにさえ見抜けなかった真実を、ああも容易く言い当ててしまうとはねッ!」
「そうか。良かったな」
「なんか前に会った時と比べて元気なくない? どうしたの??」
「訳が知りたいか? 胸に手を当てて考えてみるといい」
「ボクのは誰かさんと違ってぺったんこだよ?」
「消し飛べ」
「それは出来ない相談だ」
おそらくセクハラに属するであろう発言に、薔子さんが鋭く切り返すも、当の本人は気にも留めていない。
傍にいた巡査の一人が、見かねた表情で咳払いをした。
「警部、業務中です」
「分かってるよ。再会を喜ぶのは後回し、ポリスメンの役目を果たすとしよう……。通報したのはどなたかなッ!?」
クルリとターンし、店内を見回す三千院警部。誰からも反応はない。当然だ。通報したのは薔子さんなのだから。
とはいえ、これ以上彼女に警部の相手をさせるのも可哀想なので、代わりに僕が手を上げることにした。
「おや、キミらだったのかい。丁度良かった。女性が毒を盛られたって聞いてるんだけど、そう判断した理由と、その時の状況、詳しく話してもらおうじゃないか」
近くの席にドカリと座り、長い足を組んで三千院警部が言う。好き嫌いの分かれる性格であっても、彼は警察で、僕たちはそれに協力すべき一般人だ。互いの話を補い合いながら、僕と薔子さんは警部に事の次第を説明した。
突如破られた店内の平穏。倒れた女性と、必死の救命活動。なんとか一命を取り留めたこと。消去法によって導き出された、毒殺未遂の可能性。
「ふむ。ふむふむふむ……なるほどねぇ」
話を聞き終えた三千院警部は、思考を整理するように何度か頷いた後、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
「分析の結果待ちだけど、たしかに毒物の線が濃厚だね。救急車で運ばれた女の人は、今どこの病院にいるんだい?」
問われた薔子さんが口にしたのは、市内で最も大きな総合病院の名前だった。
「先程、うちの職員から連絡があった。佐藤美香の容態は安定しているそうだ」
「立川っていうツレの男も一緒にいる感じ?」
「メールにはそうだと書いてある」
「ダッコルド。そんじゃ、ボクの部下を何人か向かわせようかな。証拠を隠されて面倒なことになる前に、最有力容疑者を確保しなくちゃね!」




