後編
フェリクスは呆然と立ち尽くしていたヨハネス二世に声をかける。
「おわかりでしょうか、陛下。ヴィクトリーヌ・カルパンティエは第一王子の婚約者でありながら、陰でヘンドリックに接近して彼の即位をもくろみ、一方でレナ・ブラシェ男爵令嬢の悪評をでっちあげ、評判の悪い令嬢に私が籠絡されたように見せかけて、私の評価を落とし、私が王太子候補から外れるよう、画策していたのです」
「まさか…………ヴィクトリーヌが…………」
フェリクスがため息をついた。いや、彼だけでなく、ヘンドリック王太子も。
「老いとは残酷なものです、父上。若き頃は名君の誉れ高かった陛下も、今は小娘一人に手玉にとられている」
「なに?」
「ご退位ください、ヨハネス二世陛下。今なら、あなたの名声は守られる。自身の意志で退位を宣言するなら、手荒な真似はしないと誓います」
何度目のことか、大広間中がざわめいた。
王位継承権の剥奪を宣言された王子が、国王に退位を迫っている。
「む、謀反…………!?」
「しっ!!」
めったなことを言うなと、聞いていた貴族達が声を押し殺す。まだ、そう決まったわけではない。この場にいる誰もが、どちらについて、この場をどう切り抜けるか、その二点に思考を集中している。
国王の怒声が広間中に響いた。
「この…………この、増長した無礼者が!! たかだか小娘一人二人のことで、余を愚弄…………いや、余に勝ったつもりか!! もはや王子でもない分際で、余を退位させて王位に就こうとは――――」
「おや。ペールメールにはすでに、立派な王太子がいるではありませんか。陛下がつい先ほど認めたばかりの、へンドリックという次期国王が」
フェリクスの朗々とした言葉に、ヨハネス二世も貴族達も虚を突かれる。
「なんと…………自ら、王位を弟君に譲られると申されるのか!?」
ここまで父王の不見識をあげつらっておきながら、それでも復権さえ求めずに弟の即位を認めるフェリクス元王子に、あちこちから不思議そうな感心したような声があがる。「フェリクス王子って、実は謙虚なのでは?」という雰囲気さえ、ただよいはじめた。
「ヘンドリック…………」
ヨハネス二世はもどかしげに王座の隣に立つ息子を、認定したばかりの王太子を見あげる。王太子は一歩進み出て、王座の前から父親を見おろした。
「陛下。どうか、私に王位をお譲りください。このままではペールメールが滅びます」
ヨハネス二世の顔がたちまち怒りに紅潮する。
「兄といい、弟といい…………血迷ったか、ヘンドリック!!」
「この宝剣を譲ってくださったのは、陛下ではありませんか」
ヘンドリック王太子は、持っていた宝剣を見せた。
父王から譲られたばかりの、ペールメール国王が代々継承する王家の宝剣を。
絶句した国王に、王太子は言葉を重ねる。
「陛下。事態は急を要しております。ここ数年の天候不順で、国内の穀倉地帯は軒並み不作続き。海沿いも不漁が続き、今年は大規模な川の氾濫まで起こりました。宴などのために、いたずらに民から税を徴収している場合ではございません。ましてやドミナシオン王国との戦争など」
「黙れ、ヘンドリック! ドミナシオンが国王の代替わりでごたついている今こそ、三十年来の決着をつける好機なのだ!」
「いいえ、陛下。たびかさなる食糧不足と重税で、ペールメールの民は疲弊しきっております。ここで民の救済を後回しにして、ドミナシオンのような強国と戦えば、民の心は完全に王家から離れるでしょう。食糧不足はもはや、明日、暴動が起きてもおかしくないほどに悪化しているのです。国の頂に立たれる御方が何故、お気づきにならない」
王太子のまなざしは深く、知性と理性と憂いをたたえていた。
落ち着いた物腰に、父王のほうが圧倒される。
ヨハネス二世は助けを求めて周囲を見渡し、王太子からやや離れて立つ女性の姿を見つけた。
「シ、シビル。我が妻よ。そなたもなにか言ってくれ。そなたの息子が、父親に反逆しようとしているのだ。母として、王妃として止めてくれ」
深い青の上品なドレスをまとった王妃は、ここでようやく静かに口を開く。
「私がペールメール王妃の地位にあることは、否定いたしません。しかし、夫たる国王がその義務を果たさぬのに、王妃たる私が義務を果たさねばならぬ理由があるでしょうか。私は、妻に贈るドレスを、息子の婚約者に贈るような夫を持った覚えはありません」
ヨハネス二世は愕然とした表情を見せる。
それは、普通に聞けば、妻より息子の婚約者を優先した夫への、可愛らしい嫉妬に聞こえたかもしれない。
しかし勘のいい者は、その言葉に秘められた裏の意味を察した。
「余に…………退位せよと、申すか…………ヘンドリック…………フェリクス…………」
王太子と元王子がうなずく。
「さすれば、無用な血が流れずに済みます」
フェリクスの言葉に、国王は唸るように反論する。
「だが、余が退位してどうする。余が退位したところで、たった今、困窮しているという民を、どうやって救うというのだ」
「それは、すでに対策を用意しております」
フェリクスが侍従に合図して、大扉を開けさせる。
「やあやあ、やっと私めの出番ですな!!」
場違いな明るい声が、高らかに大広間に響き渡った。
「東は伝説の絹の国から、西は英雄の眠る妖精の島まで! この私、ダングルベール・ブラシェにご依頼いただければ、月光で編んだドレスだろうと、太陽を閉じ込めた宝石だろうと、竜の鱗の鎧も、天使の羽根の飾りも、すべて用意してご覧にいれましょう! ブラシェ商会の船団は、地の果てまでも駆けて見せます!!」
全体の色調は抑え気味だが、けして地味ではない盛装に身を包んだ中年の男が、芝居のような堂々たる口上と共に、ずんずんと国王達のもとに近づいてくる。
貴族達は勢いに圧されて道を開け、レナ・ブラシェ男爵令嬢はこっそり、扇で顔を隠す。「とっとと帰りたい」と頬のかすかな紅潮が代弁している。
「お久しぶりにございます、偉大なるペールメール国王ヨハネス二世陛下。私は畏れ多くも、陛下よりブラシェ男爵位をいただいた者。そこにいるレナ・ブラシェの父親にして、ブラシェ商会長、ダングルベール・ブラシェにございます」
例の『爵位を金で買った、恥知らずな成り上がり男爵』である。
「陛下が今、もっとも必要とされている物を、ご用意させていただきました。両殿下のご依頼です」
「余の必要とする物?」
「食料にございます」
国王はむろん、貴族達の間からも驚きの声があがった。
「ドミナシオン王国は近年、豊作がつづいておりましてな。今年など、麦が採れすぎて値崩れを起こしているほどなのです。おかげで他国に送ると言ったら、大喜びされました。すでに船数隻分の麦が港に到着し、各地に送る手配も整えてございます。かの国は次期国王の人望も厚く、かような強国に喧嘩を売るなど、愚の…………おっと、失礼。麦のお代は、すでにフェリクス殿下からお支払いが済んでおりますゆえ、ご安心ください。それ、そこにいる我が娘の首に――――」
ヨハネス二世と、貴族達の視線がレナ嬢の首に集中する。
白い首に輝くのは、『森妖精の魂』と呼ばれる緑柱石のネックレス。
「…………リディアーヌの遺品を使ったのか…………!」
「母なら反対はしないでしょう」
レナ嬢の首の緑色の輝きを見つめながら、フェリクス元王子は静かに言った。
ペールメール国王、ヨハネス二世は、王冠をかぶった頭をがっくり垂れると、やがて宰相や大臣、貴族達の前で、今月中の退位を宣言した。
王妃は国王の決定に粛々と従い、貴族達はフェリクス元王子にすっかり圧倒されている。
王宮の外で遊行に耽ってばかりの、怠け者で不躾な第一王子。
その彼が、ここまで国のために奔走するとは。
まして王位継承権を主張することなく、弟に譲るというのである。
ペールメール王宮は完全に、この元王子に対する認識と評価を改めなければならなかった。
兵士達がやって来て、床にへたり込んでいたヴィクトリーヌを左右から支えて、立ちあがらせる。ヴィクトリーヌは低い声で、せめてもの恨み言を吐き出した。
「ひどい…………婚約破棄をするにしたって、水面下でやれば済むのに…………こんな大勢の前で、わざわざ貴族の姫に恥をかかせるなんて…………やっぱりアンタは、礼儀知らずの冷血漢よ」
だがフェリクスの心には、欠片も響かなかったようだ。
「そなたが自ら計画を放棄していれば、そうする可能性もあった。だがレナ嬢は、身分相応の婚約者がいながら『王子を誘惑したふしだらな娘』『礼儀知らずの成り上がり』と悪評を広められ、嫌がらせを受け、婚約を破棄されて怪我まで負わされた。『婚約者の弟を誘惑した』『罪のない令嬢を陥れようとした』という評判が広がり、婚約を破棄された今のそなたと、どう違う? 違うのは、レナ嬢の場合は誤解だが、そなたは真実だった、というだけだ」
ヴィクトリーヌは大広間から連れ出され、長い廊下を兵士達に両脇を支えられて歩く。呆然とする頭で、なんとか事態を把握しようとした。
(いったい、どうして? 私は間違っていない、なにも間違ってなかった。なのに、どうして私が捕えられて、あの女が平然としているの? フェリクスが王宮に残って、ヘンドリックが私を捨てるのよ? どうして、どうして)
異母妹は兄の侍従に連れられて退出し、兄は厳しい表情で、連行されるヴィクトリーヌに付き添っている。彼女のあとにはコレット、サビーナ、ジョゼットの三人が同じように兵士に左右をはさまれてつづき、それぞれの父親がそれぞれの表情で付き添っていた。母親達は泣き出したり気を失ったりで、それぞれの控室に引っ込んでいる。
ヴィクトリーヌはわからなかった。
それはたしかに、漫画の『~悪役令嬢ヴィクトリーヌの王妃日記~』のすべての頁を完璧に覚えていたわけではない。だが、思い出した内容はすべて書きとめ、何度も読み返してきた。選択ミスなどなかったはずなのに、どうして。
(幸せになれると思ったのに。今度こそ、毎日が楽しい、お金に苦労しない生活と、絶対に裏切らない恋人が手に入ると思っていたのに。どうして)
若くして途切れた前世に、未練はなかった。
家は裕福だったのに、前世の両親は娘に、学生として平均的な額の小遣いしかくれなかった。
前世のヴィクトリーヌは私立のお嬢さま校に通っており、周囲の少女達は当たり前のようにブランド品を持っていて、そういう環境で周囲になめられず、カーストの上位に行くなら、お金は必須だったのに。
ヴィクトリーヌは友人の紹介で『パパ活』に手を出し、男達と散歩や食事をしてお金を稼いで、高価なバッグや、みんなが欲しがるコスメグッズを手に入れてきた。
その記憶と経験があったので、父親の年齢のヨハネス二世に色仕掛けでとりいって利用する行為にも、たいした抵抗は感じなかった。
人気のあった男子とも付き合い、順風漫歩の高校生活を送っていたが、二年の時、ヴィクトリーヌの彼氏に横恋慕した友人が、ヴィクトリーヌの『仕事』のことを彼氏にばらした。
彼氏はヴィクトリーヌを非難して捨て、学校にも仕事のことがばれて、ヴィクトリーヌと友人は退学になり、事態を知った両親は今頃になって、親面をして叱ってきた。
親は「今まで放置して、すまなかった」「もう一度、家族としてやり直したい」などとも言ってきたが、ヴィクトリーヌは騙されなかった。「家族でカウンセリング」などと言って、ヴィクトリーヌをどこかの病院にでも閉じ込めるつもりだったに決まっている。
ヴィクトリーヌは逃げ出した。
幸い、自分の小遣いと『仕事』の給料を預けた通帳は持ち出せたので、しばらくの間は漫画喫茶と『職場』に寝泊まりしていたのだが、やがて、『女子高生』は難しくなったのと、もっと多額の金額が欲しかったこともあり、キャバクラで働き出した。
そして何度か店を変えつつ、それなりに指名をもらっていた二十三歳のある日、常連客に路上で刺された。「君のためにこんなに貢いだのに」というのが、そいつの言い分だった。
ちゃんと店外デートもして、時々はホテルにも行ってやったのに、なにが不満だったのだろう。たかが二、三百万円のプレゼントで文句を言うような小さい男、キャバクラなんて行くべきじゃない。
そんなつまらない男につまらない理由で、前世のヴィクトリーヌは殺された。
これから金持ちのイケメンを見つけ、結婚しようと思っていた矢先に。
がんばって生きてきたのに、親に裏切られ、友人に裏切られ、恋人に、客達に裏切られて、殺されて終わったのだ。
(幸せになれると思ったのに。貴族の娘で、お金持ちで、美人に生まれて、親やお兄様にも愛されていたのに。王妃の未来も約束されていたのに、どうして――――)
ヴィクトリーヌの頭の中を、答えの出ない疑問がぐるぐる回りつづける。
『よく似た、別の世界に転生した可能性』を彼女が思いつくのは、まだ先だった。
ペールメール暦113年。国情を憂えた第一王子フェリクスが謀反を起こし、ペールメール国王、ヨハネス二世は退位を迫られる。
謀反は第二王子ヘンドリックにより、鎮圧。
ヘンドリックは新ペールメール国王として即位し、フェリクス王子は王位継承権を剥奪されたものの、新国王の温情により、臣籍に下されてフェルム伯爵となる。
深刻な食糧不足から各地で勃発しかけていた民による暴動も、大商人ブラシェ男爵により急遽、ドミナシオン王国より大量の食糧が運び込まれて、事なきを得た。
ダングルベール・ブラシェ男爵はその功績により、伯爵位を授かる。
二年後、ヘンドリック新国王はドミナシオン王国との国交樹立に成功、ドミナシオン王国から第三王女オレリアを正妃に迎える。
フェリクス王子の婚約者であったヴィクトリーヌ・カルパンティエ公爵令嬢は、王子の臣籍降下に伴い、婚約は解消。その後、王子を失った哀しみから領地に戻り、領内の修道院で一生を過ごした――――と歴史書には記されている。
軽やかな蹄の音。
「こちらにいらしたのですか、殿…………フェルム伯爵様」
ペールメールの王都の港に立ち、船乗りが次々とドミナシオンから到着した積み荷を降ろしていく様を見守っていたフェリクスに、声をかけてきたのはレナだった。ブラシェ男爵令嬢は馬上で手綱をにぎり、令嬢らしからぬ男物の乗馬服に身を包んでいる。
フェリクスは笑った。
「足は、もう問題ないようだな」
「ええ、すっかり。本当に、この足がぽっきりいった時は、本気であのお姫さまを絞め殺そうかと思いましたわ」
ヒュンヒュンと馬用の鞭を振るレナ。顔は笑っているが、目つきは物騒だ。
成り上がりの男爵令嬢、レナ・ブラシェがこよなく乗馬を愛し、毎日、馬に乗らなければ気が済まない性格であることは、王宮では知られていない事実である。
レナは下馬して手綱を持ち、フェリクスと並んだ。
「ようやく足が治ったのですから、今日から、療養中に乗れなかった分をとり戻そうと思います。…………殿下はよろしかったのですか?」
「なにが?」
「ヘンドリック陛下が、即位式を無事、終えられたそうです」
「ああ、計画通りだ」
「本当によろしかったのですか? カルパンティエ公爵令嬢の計画を暴き、亡き王妃様の遺品まで用いて国を救われたのです。貴族達の中には『おっとりしているヘンドリック陛下より、行動力のあるフェリクス様を』という声も少なくなかったと聞いています。それなのに…………」
「ヘンドリックも同じことを言ったけどな。これでいいんだ」
清々しい声音と横顔で、フェリクスは言い切った。
「俺がああしたのは、いい加減、状況が看過できなくなったからだ。ヴィクトリーヌの企みに気づいてはいたが、カルパンティエ公爵家がどこまで関わっているか、詳細がつかめずにいる間に、ヴィクトリーヌはレナの悪評を広めて大怪我までさせ、暴動の情報も入った。これ以上は待てないと、ヘンドリックと判断したんだ。それでバルドゥイーンに事情を話して、協力を要請して…………あとは博打だった。大勢の前で責められて動揺したヴィクトリーヌが、自分から尻尾を出すことに賭けた。結果は、大勝ちだったな」
フェリクスが笑う。金の髪が陽光に透け、文字どおり輝くような笑顔になった。王子というより、やんちゃ小僧の笑い方だ。
「それより、俺もレナに訊きたいことがある」
「なんでしょう?」
「フェルム領に来ないか?」
「そうですね。あそこは温暖で緑豊かで、平地も多いと聞いておりますから、乗馬にはうってつけ…………」
「いや。観光とかではなく、俺の妻として」
レナが目を丸くした。
「フェルム伯爵夫人になってほしい、レナ・ブラシェ嬢」
フェリクスの瞳は真剣だった。
レナは急に鼓動が速まってくる。
「え…………でも、それは…………私と殿下では、身分の差が…………」
「俺はもう『殿下』ではないし、レナは伯爵令嬢で、俺も伯爵だ。つり合いはとれている」
「ですが…………ですが、殿下は王家の血を引く身。王位継承権を剥奪されたとはいえ、ヘンドリック陛下は、まだ御子に恵まれておられません。今後の成り行き次第では…………」
たとえば、ヘンドリックが子のないまま若くして死んでしまったら、フェリクスに声がかかる可能性はある。
するとフェリクスは重々しい顔つきになり、声を低めて話しはじめた。
「あのな、レナ。さっきの話のつづきだが」
「え? どの話ですか?」
「俺はペールメール王家の血を引いていない」
レナはきょとんとした。意味がわからなかったのだ。
フェリクスはかまわずに話をつづける。
「俺の母はリディアーヌ正妃だが、俺の父はヨハネス二世ではない。母が一度だけ過ちを犯した、行きずりの男だ」
レナの表情がゆっくりこわばっていく。本気の話だと理解したのだ。
「幸い、周囲には気づかれなかった。俺の顔も母親似で、父の子でない証拠にはならなかった。だが母は亡くなる直前に俺に真実を話し、父にも懺悔した。俺が十四歳の時だ」
以降、ヨハネス二世のフェリクスに対する態度は明らかに変化した。
同時に、フェリクス自身も学問が手につかなくなり、周囲は「第一王子の不真面目な態度に父王が腹を立てている」と解釈したようだ。それでも、しばらくは「急に母君を亡くされたのだから」と周囲も大目に見ていたのだが。
「だがまあ、俺もいろいろ思うところはあって。けっきょく、それから本格的に荒れて、気づくと王宮を抜け出して朝帰り…………なんてことが普通になっていた。だが、そのおかげで、結果として、王宮では知ることのない現実を知ることができたと思う」
民の暮らし、王家の評判、王族に群がる貴族達の裏の顔、とり巻き達から聞かされてきたのとは、まったく異なる国内の情勢…………。
レナの父、ブラシェ男爵と知り合ったのも、この頃だ。
一介の商人から男爵にまで成り上がった彼の見識や人脈や情報網の広さ、才覚は本物だった。王宮の教師より、自ら船団を率いて国内外に商売の手を広げるブラシェ男爵の話の方が、はるかに面白く、かつ、実際の現場を見てきた者特有の説得力があった。
王宮にこもって家庭教師や大臣達を相手にしていただけでは、絶対に知ることのできない現実が存在することを、フェリクスは思い知らされたのだ。
そして気づかざるを得なかった。
「出生などに悩んで、落ち込んでいる場合ではない」と。
ペールメールは凋落の道を進んでいた。
フェリクスはヘンドリックと協力し、ペールメールを立て直すことを決めた。
そのためには父王の退位も、フェリクス自身の王位継承権放棄も辞さない。
重税によって集められた予算は贅沢と戦に浪費され、国王は息子の婚約者と陰で通じている。かつての名君は明らかに衰え、害悪に変貌していた。
「父上の名君の評価と過去を守るためにも、退位は必須だった。王位はヘンドリックが継げばいい。俺にはその資格がないし、俺は母上の秘密が守られれば、王宮を追放されてもかまわなかった」
そうしてレナも巻き込まれての、あのカルパンティエ公爵令嬢の糾弾となったのである。
「ヘンドリックは周りが思うより、はるかに芯の強い男だ。あいつなら、きっと良い王になる。かわりに俺は、ヘンドリックが王宮からでは見えない部分を見て、あいつに伝える。それでいい」
優しい海風に吹かれて堂々と語るフェリクスの横顔に、『不真面目で不躾な放蕩者の王子』の面影はどこにもなかった。
フェリクスはレナを見る。
「そういうわけで、爵位の件をのぞいても、俺とレナの間に身分の差なんて、たいしてない。だから結婚してくれないか?」
「え? ええと…………」
ストロベリーブロンドの少女は、白い頬も真っ赤に染まった。
フェリクス第一王子が臣籍に下されて一年後。
フェルム伯爵はダングルベール・ブラシェ伯爵の一人娘、レナと結婚。
幸せな家庭を築いた。
長かった…………。
王子、婚約破棄宣言
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王子、失脚(ここまで、推定一時間以内)
というテンプレ展開で、何故こんなに長く…………。
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