そこにいるのであれば-7
世界で一番有名な作戦は何であろうか。
多々あると思うが、世界最大の作戦として有名なノルマンディー上陸作戦だと考えている。
では、世界で一番無能な作戦とは何だろうか。これは、胸を張ってインパール作戦と言おう。
インパール作戦、補給も碌に考えない無能な作戦なのだが、詳細は調べなければ思い出せない。
しかし、その無能な作戦を立案し、さらに実行したのは日本人である。であれば、その日本人は歴史を繰り返さないために善処するか。否である。
「ここまで無様にやられてると日本人の能力が低いんじゃなくて、教育を受けてないんじゃないかと思うな。まあ、戦争の無い時代なら美徳と捉えられていたのだろう。」
馬鹿である。
そもそも、作戦とは力の無い者が力ある者を倒すために練られるものであり、純粋な力があるものは策を弄する必要がない。
しかし、あえて作戦を計画することによりその力を確実なものにするという意味も存在している。その場合の作戦の立案者は、十中八九天才だ。
日本の世間構成から作戦が練りにくい環境なのだが、日本というのは、一般人からコツコツと努力を重ねて上官へ上り詰めるといったパターンが多い。
会社であれば、一人のサラリーマンとして企業へ就職し、数々の功績を重ねて部長や社長と上り詰める。
そこがおかしいのだ。
長期的な努力をしなければ成功しないという社会であることは一つの視点から見れば良いのだが、他人が百を必要とする努力を一で終わらせてしまう天才の中の天才を排他的に扱うケースが、少なからずあるのだ。
それは日本だけではなく世界全体で言えることだが、日本には集団への帰属意識が高いので、周りと違う人を排他的に扱う。
それが天才だったりするのだ。
そもそも、日本には天才だけを集めて育成するという教育体制がない。かなりおかしい状態だ。
アメリカやロシアといった大国は、飛び級や英才教育などの天才を育てる教育体制はかなり充実している。それだけではなく、韓国なども国が率先して天才を育てるなどの行動をしている。
その点、日本は凡人を育てる教育体制しかない。
飛び級すら認められていない。
こうなると、集団へ逆らってはいけないという一つの脅迫概念が生まれてくるのだ。その概念により、無能な作戦や上官が生まれるのであろう。
「まあ、あくまで俺の持論だが。」
気付けば、攻勢側が壊滅状態という不思議な環境が生まれていた。