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伝書人は今日も旅をする  作者: 金麦
第二部 境界線の向こう側
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30/30

第5話 重なる魔力


 翌朝。


 リュネアの空は、薄い雲に覆われていた。


 月影亭を出たカナタとリーゼは、いつもより少し早く伝書院へ向かっていた。


 街の様子が、昨日までとは違う。


 北東方面へ向かう商人の姿がほとんどない。


 代わりに、街道の入口には数人の兵士が立っていた。


 人々も、北東の話をしている。


「……昨日より、騒がしくなってない?」


 カナタが言う。


「はい」


 リーゼは周囲を見回した。


「夜のうちに、いくつか追加の報告が届いたそうです」


「また何かあった?」


「まだ確認中です」


 リーゼの声は落ち着いていた。


 しかし、いつもより歩く速度が少し速い。


 伝書院へ入る。


 昨日と同じように職員たちが集まっていた。


 だが、今日は地図の数が増えていた。


 北東方面だけではない。


 フォルネの森の周辺。


 街道。


 交易路。


 獣人族の集落。


 それぞれに小さな印が付けられている。


「おはようございます」


 セレフィナが二人に気づいた。


「おはようございます、院長」


「おはようございます」


「ちょうどよかったです」


 セレフィナは二人を院長室へ招いた。


 机の上には、新しい報告書が積まれていた。


「昨日の襲撃についてですが」


 セレフィナが一枚を手に取る。


「襲撃を受けた商人たちは、現在リュネアへ戻っています」


「怪我は?」


「軽傷者が数名。命に関わる者はいません」


「よかった……」


 カナタは胸を撫で下ろした。


「犯人は?」


「分かっていません」


「やっぱり……」


「目撃証言も曖昧です」


 セレフィナは別の紙を見る。


「暗かったこと。それから、襲撃された側も混乱していたことが原因です」


「獣人族だったという証拠は?」


「ありません」


 セレフィナははっきりと言った。


「ですが、そうだと信じている人間は増えています」


 カナタは黙った。


「そして獣人族側でも、人間の仕業だと考える者が増えています」


 リーゼが小さく息を吐く。


「……どちらも、相手を疑っている」


「ええ」


 セレフィナは地図を広げた。


「だから、昨日までとは状況が違います」


 地図上。


 北東方面の街道には、いくつもの印が増えていた。


「人間側では、商人組合が独自に警備を始めています」


「武装して?」


「はい」


「獣人族側は?」


「集落周辺に見張りを置き始めています」


 カナタは眉をひそめた。


「……それって」


「戦争の準備、とまでは言えません」


 セレフィナが先回りするように言った。


「ですが、戦争に近い状態へ進む可能性は出てきました」


 その言葉が、重く部屋へ落ちた。


 カナタは地図を見る。


 線の向こう側に、獣人族がいる。


 こちら側には、人間がいる。


 どちらも自分たちの生活を守ろうとしているだけなのに。


 少しずつ。


 少しずつ。


 互いが敵に見え始めている。


「伝書院としては、どうするんですか?」


 カナタが尋ねる。


「今のところ、大きく動くことはできません」


「何も?」


「何もしない、という意味ではありません」


 セレフィナは首を横に振った。


「情報を集めています」


「情報を?」


「誰が何をしたのか。何が確認されていて、何が確認されていないのか」


 セレフィナは報告書を整理する。


「伝書院にとって、それは非常に重要な仕事です」


「……確かに」


「ただし」


 セレフィナは二人を見る。


「現段階では、皆さんに戦闘行動を求めることはありません」


「俺たちも?」


「はい」


 セレフィナはカナタを見る。


「特にあなたは」


「俺?」


「あなたの魔力が大きいことは、もう隠しきれません」


 カナタは苦笑した。


「……ですよね」


「だからこそ、今の段階で不用意に力を使わせたくありません」


「分かりました」


 セレフィナは頷く。


「ただ、北東方面の状況は注意しておいてください」


「はい」


「獣人族と接する場合にも、いくつか注意点があります」


 リーゼが姿勢を正した。


「教えていただけますか?」


「もちろんです」


 セレフィナは一枚の資料を取り出した。


「まず、獣人族すべてを一括りに考えないこと」


「種族が違う?」


「それもあります」


 セレフィナは説明を続ける。


「獣人族は人間より嗅覚や聴覚が優れている者が多いです」


「だから、いきなり近づいたり大声を出したりしない」


「そうです」


 リーゼが頷く。


「次に、相手の耳や尾に不用意に触れないこと」


「……それは覚えておきます」


 カナタが真剣に頷いた。


「それから、縄張り意識の強い集落では、許可なく境界を越えないこと」


「森の中も?」


「場所によります」


 セレフィナは地図を指した。


「特に今は、境界が非常に敏感になっています」


「なるほど」


「もう一つ」


 セレフィナは少し間を置いた。


「獣人族の中には、人間に対して強い警戒心を持つ者もいます」


「……今なら当然か」


「ええ」


 セレフィナの表情が曇る。


「ですが、逆も同じです」


 人間側にも、獣人族を恐れる人がいる。


 だからこそ、今は余計な誤解を生まないこと。


 不用意な挑発をしないこと。


 相手を決めつけないこと。


 伝書人として、情報を正確に扱うこと。


「今のところ、これくらいです」


 セレフィナは資料を二人へ渡した。


「北東方面への伝書は、当面、必ず事前に申請してください」


「分かりました」


「そして、何か異常を感じたら、無理に届けようとしない」


「……伝書より安全を優先する?」


「当然です」


 セレフィナは微笑んだ。


「手紙は待てます」


 その言葉に、カナタは少しだけ安心した。


「分かりました」


 院長室を出る。


 廊下を歩きながら、リーゼが資料を見ていた。


「思ったより、注意点が多いですね」


「うん」


「でも、必要なことだと思います」


「俺も」


 カナタは窓の外を見る。


 街はいつも通りに見える。


 人も歩いている。


 店も開いている。


 子どもたちも笑っている。


 それでも。


 北東の向こう側では、少しずつ何かが変わっている。


「……今は、何もできないんだな」


 カナタが呟いた。


「はい」


 リーゼは静かに答える。


「だからこそ」


「だからこそ?」


「今できることをしましょう」


 リーゼは資料を閉じた。


「魔力の訓練です」


 カナタは少し驚いた。


「今?」


「今です」


「こういう状況だからこそ?」


「はい」


 リーゼは微笑んだ。


「何か起きた時に、何もできないままなのは嫌でしょう?」


「……そうだな」


「なら、今のうちにできることを増やしましょう」


 その言葉に、カナタは頷いた。


「分かった」


 その日の午後。


 伝書院の訓練室。


 普段なら簡単な魔力操作に使われる部屋だ。


 壁には魔力測定器。


 床には魔力循環用の魔法陣。


 中央には、訓練用の椅子が二つ置かれている。


 カナタとリーゼは向かい合って座っていた。


「今日は、少し違う訓練をしてみましょう」


 リーゼが言う。


「何をするの?」


「昨日までやっていた魔力供給は覚えていますか?」


「もちろん」


 カナタは頷く。


 手を繋いで魔力を流す。


 それだけでも、リーゼの魔力循環は普段より安定する。


 カナタの魔力は量が多い。


 そして濃い。


 ほんの少し流しただけでも、リーゼは自分の魔力が押し上げられるような感覚を覚えていた。


「今回は、それを少し発展させます」


「発展?」


「はい」


 リーゼは自分の胸元へ手を当てた。


「魔力は、身体の中心に近いところに集まりやすいと言われています」


「中心?」


「魔力核に近い場所です」


 この世界では、魔力は身体の内部を巡りながら、一時的に中心部へ蓄えられる。


 その位置には個人差がある。


 だが、下腹部寄りに強く感じる者も多いらしい。


「つまり、そこに一時的にカナタさんの魔力を留める?」


「そうです」


「俺の魔力を?」


「はい」


 カナタは少し考えた。


「危なくない?」


「だから、少量からです」


 リーゼは微笑む。


「以前の訓練よりも、さらに慎重に」


「分かった」


 二人は魔法陣の上に座る。


 まずは手を繋ぐ。


「では、最初は本当に少しだけお願いします」


「どのくらい?」


「昨日と同じくらいで」


「分かった」


 カナタは意識を集中する。


 自分の中にある巨大な魔力。


 そこからほんのわずかだけ取り出す。


 細い糸のように。


 リーゼへ流す。


「……」


 リーゼの指が、ぴくりと動いた。


「どう?」


「大丈夫です」


 カナタは少し安心した。


「じゃあ、中心へ集めてみます」


「はい」


 リーゼが呼吸を整える。


 魔力の流れを身体の中心へ集める。


 少しずつ。


 少しずつ。


 カナタの魔力が、リーゼの魔力と混ざりながら身体の奥へ沈んでいく。


「……」


 リーゼの眉がわずかに寄った。


「大丈夫?」


「はい」


「苦しい?」


「苦しいというより……」


 リーゼは言葉を探した。


「身体の内側に、温かいものが絡みついているような感じです」


「絡みつく?」


「はい」


 魔力が身体の中心を巡る。


 自分の魔力とは違う。


 もっと濃く。


 もっと強く。


 それでいて、カナタの魔力は不思議なほど馴染んでいた。


「……もう少しだけ、増やしてみます」


「待って」


 カナタが止まる。


「本当に大丈夫?」


「はい」


 リーゼは頷いた。


「ただ……」


「ただ?」


「なんだか、気持ちがふわっとします」


 頬が少し赤くなる。


「前の訓練と同じ?」


「似ています」


 リーゼは目を閉じた。


「でも、今回は身体の中に留めているので……もっと強く感じます」


 カナタは少し迷った。


「じゃあ、ほんの少しだけ」


「はい」


 魔力を増やす。


 本当に、少しだけ。


 カナタにとっては、ほとんど誤差のような量だった。


 しかし。


 次の瞬間。


「……っ」


 リーゼの身体がびくりと揺れた。


「リーゼ?」


「待ってください……」


 リーゼは片手を魔法陣へついた。


 呼吸が少し速くなっている。


「多かった?」


「……はい」


「ごめん!」


 カナタがすぐに魔力を止める。


 だが、すでに流れ込んだ魔力はリーゼの身体の中心へ集まっていた。


「……思ったより、強いです」


「戻す?」


「まだ……大丈夫です」


 リーゼは目を閉じた。


「ただ、カナタさんの言う『少し』は、私には少しじゃないみたいです」


「……そうだった」


 カナタは苦笑する。


 自分の中にある魔力量を基準にしてはいけない。


 それは以前から分かっていたはずだった。


 けれど。


 自分の感覚では、ほんのわずかな量だった。


「一度、魔力計を見ましょう」


 リーゼが立ち上がる。


 魔力計へ手を伸ばした。


 針が動く。


 普段のリーゼなら、一定の範囲で安定する。


 だが。


 針はその範囲を簡単に超えた。


「……」


 カナタが固まる。


「これ……」


「はい」


 リーゼも目を丸くしている。


「まだ最大出力ではありません」


「それで?」


「私の普段の数倍です」


「……少ししか入れてないのに」


「だからこそ、問題なんです」


 リーゼは苦笑した。


「濃すぎます」


 カナタは自分の手を見る。


「俺の魔力って、そんなに……」


「はい」


 その時。


 魔力計の針が、さらに一段跳ねた。


「え?」


 リーゼが振り返る。


 魔力が身体の中心で一瞬だけ膨らんだ。


「……っ!」


 リーゼがよろめいた。


「リーゼ!」


 カナタが支える。


「大丈夫です」


「でも今……」


「魔力が一瞬、偏りました」


 リーゼは胸元に手を当てる。


「自分の魔力と、カナタさんの魔力の流れが重なりすぎたみたいです」


「それって危ない?」


「今の程度なら大丈夫です」


 リーゼはゆっくり息を吐く。


「でも、失敗ですね」


「ごめん」


「カナタさんだけの失敗ではありません」


 リーゼは苦笑する。


「私も、身体の中に溜めることばかり意識して、流れを整えるのを忘れていました」


「じゃあ、もう一回?」


「はい」


 二人は一度、魔力を完全に抜く。


 数分休んでから、再び向かい合った。


「今度はもっと少なく」


「うん」


「そして、私が合図するまで増やさないでください」


「了解」


 今度は慎重だった。


 カナタは魔力をほんの一筋だけ流す。


 リーゼはその流れを感じ取る。


 身体の中心へ運ぶ。


 だが。


「……あ」


 今度はリーゼの方が失敗した。


 魔力を中心へ集めすぎた。


「リーゼ?」


「少し待ってください」


 リーゼの顔が赤くなる。


「……身体の内側が、変な感じです」


「やっぱり止める?」


「はい」


 すぐに魔力を戻す。


 しかし、今度は戻し方が急だった。


「……っ」


 リーゼが目を閉じる。


「大丈夫?」


「大丈夫です」


 数秒後。


 リーゼは大きく息を吐いた。


「今度は戻すのが急すぎました」


「俺も焦った」


「二人とも失敗ですね」


 リーゼが少し笑う。


「でも、こういうのも訓練です」


「確かに」


 カナタも笑った。


 それから二人は、何度も試した。


 流しすぎる。


 少なすぎる。


 保持する時間が長すぎる。


 戻す速度が速すぎる。


 リーゼが自分の魔力を押し込みすぎる。


 カナタが無意識に出力を上げてしまう。


 そのたびに止める。


 休む。


 記録する。


 やり直す。


 そして。


 ようやく、安定する量を見つけた。


「……これなら」


 リーゼが言う。


 魔力計の針は、普段より高い。


 それでも先ほどのように振り切れそうにはならない。


「身体は?」


「大丈夫です」


「気持ちは?」


「少しふわっとしますけど……」


 リーゼは小さく笑う。


「さっきよりずっと楽です」


 魔力が身体の中心に留まっている。


 温かい。


 自分の魔力だけでは感じられないほど、濃い。


 それでも、今度は身体に絡みつくような重さが少ない。


「立てる?」


「はい」


 リーゼは立ち上がる。


 軽い。


 身体の奥に力が満ちている。


「……すごい」


「何が?」


「身体が軽いです」


「本当に?」


「はい」


 リーゼは訓練室の端まで歩く。


 いつもなら少し重く感じる魔力操作用の器具を持ち上げる。


「これも……」


 普段より簡単に動かせる。


 魔力を使う。


 炎を灯す。


 いつもより大きい。


 風を起こす。


 いつもより強い。


「私の魔力だけなら、ここまで出せません」


「俺の魔力が乗ってるから?」


「はい」


 リーゼは自分の手を見つめる。


「少量なのに、出力だけなら普段の数倍です」


 カナタは驚いた。


「数倍か……」


「ただし」


 リーゼは真剣な顔になる。


「長くは持ちません」


「さっきみたいに?」


「はい」


 リーゼは身体の中心へ意識を向ける。


「留めているだけでも、少しずつ負担が増えています」


「どんな感じ?」


「身体の内側に、魔力が絡まっているような感じです」


「痛い?」


「痛くはありません」


 リーゼは少し考える。


「ただ、身体の中に自分ではない魔力が残っているので、時間が経つほど落ち着かなくなります」


「じゃあ、長時間は無理だな」


「はい」


「どのくらい?」


「今の量なら……数分でしょうか」


「数分」


「でも」


 リーゼは微笑んだ。


「その数分で、普段の私よりずっと大きな魔法が使えます」


「それなら使い道はある」


「はい」


 カナタは訓練室の魔法陣を見る。


「でも、もっと重要なのは」


「何ですか?」


「失敗した時にどうなるか分かったこと」


 リーゼが頷く。


「そうですね」


「俺は少しのつもりでも、リーゼには多すぎる」


「はい」


「だから、量を数字で管理した方がいい」


「賛成です」


「それと、急に戻さない」


「はい」


「身体の中心に集めすぎない」


「はい」


「……結構あるな」


 リーゼが笑う。


「だから訓練なんですよ」


「確かに」


 二人は記録用紙へ失敗した内容を書き込んだ。


 魔力過多。


 魔力偏り。


 保持時間超過。


 急速排出。


 出力過剰。


 どれも、実戦では避けなければならない失敗だ。


 そして。


 どれも、カナタの魔力が普通ではないからこそ起こるものだった。


「……カナタさん」


「ん?」


「これ」


 リーゼが記録用紙を指差す。


「ちゃんと残しておきましょう」


「うん」


「今は私との訓練だけですが」


 リーゼは少し真剣な顔になった。


「いつか、他の人に魔力を渡す必要が出るかもしれません」


「……」


「その時に、同じ失敗をしたら危険です」


 カナタは頷いた。


「分かった」


 今日の訓練で分かった。


 大きな魔力を持っているだけでは、人を助ける力にはならない。


 どれだけ流すのか。


 どのくらい留めるのか。


 いつ戻すのか。


 相手の身体がどう反応しているのか。


 それを見極めなければならない。


 魔力が大きいからこそ。


 小さな失敗が、大きな結果になる。


「……もっと上手くならないとな」


 カナタが呟く。


 リーゼは静かに笑った。


「はい」


 その言葉には、いつもの優しさだけではなく。


 これから先、もっと難しい訓練が必要になることを知っている者の覚悟があった。



 休憩後再び訓練を始める。


 今度は、先ほどよりさらに少ない量。


 カナタは自分の中から、細い糸のように魔力を取り出した。


「……これくらいでどう?」


「はい」


 リーゼが頷く。


 魔力が繋がる。


 ゆっくりと。


 リーゼの身体へ流れていく。


「大丈夫です」


「じゃあ、そのまま少しだけ保持してみよう」


「はい」


 魔力が、リーゼの中心へ集まっていく。


 先ほどより安定している。


 魔力計の針も、一定の位置を保っていた。


「今度は問題なさそうですね」


「うん」


 カナタも少し安心する。


 その時だった。


「……え?」


 リーゼの表情が変わった。


「どうした?」


「今……」


 リーゼが顔を上げる。


「何か、聞こえませんでしたか?」


「何か?」


 カナタには何も聞こえない。


 訓練室は静かだった。


 だが。


 魔力計の針が、ほんのわずかに揺れた。


「……?」


 カナタが計器を見る。


 数字が、一瞬だけ跳ね上がった。


 通常値。


 その次の瞬間には、通常の二倍。


 さらに。


 三倍。


「待って」


 リーゼの声が低くなる。


「カナタさん」


「うん」


「魔力を増やしましたか?」


「増やしてない」


 カナタは即答した。


「むしろ、さっきより減らしてる」


 魔力計の針が震える。


 カチ。


 カチ。


 小さな音を立てながら、針が勝手に上がっていく。


「……おかしい」


 リーゼが手を離そうとする。


 だが。


 離れない。


「え?」


 カナタも手に力を入れる。


「リーゼ?」


「違います」


「何が?」


「私が繋いでいるんじゃありません」


 リーゼの目が、驚きに見開かれた。


「魔力のほうが……繋がろうとしてます」


「……」


 次の瞬間。


 訓練室の魔法陣が、一斉に光った。


「うわっ!」


 床から魔力が噴き上がる。


 カナタの身体を巡っていた魔力が、一気に膨れ上がった。


「カナタさん!」


「止める!」


 カナタは魔力を切ろうとする。


 だが、切れない。


 自分の意思で流しているわけではない。


 むしろ。


 外から引っ張られている。


「なんだ、これ……!」


 魔力が膨張する。


 リーゼの身体にも、カナタの魔力が流れ込む。


「多い!」


「止める!」


「違います!」


 リーゼが叫んだ。


「カナタさんの魔力だけじゃありません!」


「え?」


「外から……何かが反応しています!」


 その瞬間。


 訓練室の窓が震えた。


 北東。


 フォルネの森の向こう。


 遥か遠くから。


 一瞬だけ。


 大きな魔力の波が走った。


 肉眼では何も見えない。


 音もない。


 ただ、魔力を感じ取れる者だけが、その異常を感じた。


「……北東?」


 リーゼが呟く。


 カナタもそちらを見る。


 そして。


 青い羽根が、机の上で強く光った。


「……!」


 次の瞬間。


 魔力が弾けた。


 ――ドンッ!


 訓練室全体を、透明な衝撃波が走る。


 魔法陣の光が消えた。


 魔力計の針が、限界値を振り切る。


 カナタとリーゼは、同時に床へ手をついた。


「……はぁ……」


 カナタの呼吸が荒い。


「大丈夫ですか?」


「リーゼこそ」


「私は……」


 リーゼが自分の身体を確認する。


「大丈夫です」


 だが、顔色は良くない。


「カナタさんの魔力が、突然増えたわけじゃありません」


「じゃあ、何が起きた?」


「分かりません」


 リーゼは魔力計を見る。


 針は、まだ小刻みに震えていた。


「でも……」


「うん」


「今の魔力反応」


 リーゼは北東の方角を見る。


「私たちの訓練室からだけじゃありませんでした」


「……外にも?」


「はい」


 カナタは立ち上がる。


 窓へ近づく。


 街は、いつも通りに見える。


 だが。


 遠く。


 北東方面。


 ほんの一瞬だけ、空が淡く揺らめいたように見えた。


「何だったんだ……」


 答えは返ってこない。


 やがて、訓練室の扉が勢いよく開いた。


「何がありました!」


 職員が飛び込んでくる。


「今の魔力反応は!?」


 カナタとリーゼは顔を見合わせた。


「……俺たちの訓練中に、突然魔力が増幅して」


 カナタが説明する。


「北東方面からも、何か大きな反応がありました」


「北東?」


 職員の顔が強張った。


「確認します!」


 職員が飛び出していく。


 残された二人は、しばらく黙っていた。


「……これ」


 カナタが言う。


「戦争とかに使われたりしないよな」


「分かりません」


 リーゼは静かに答えた。


「でも」


「うん」


「今の反応を、誰かが見ていたら」


 その言葉の意味を、カナタはすぐに理解した。


 自分たちが何をしたのか。


 それを知らない人間から見れば。


 突然、北東方面で巨大な魔力反応が起きた。


 そして同じタイミングで、リュネアでも巨大な魔力反応が起きた。


 それだけしか分からない。


「……攻撃されたと思うかもしれない」


「はい」


 リーゼは頷いた。


「逆に、こちらが攻撃したと思われる可能性もあります」


 カナタは何も言えなかった。


 まだ何も起きていない。


 剣も交わしていない。


 それでも。


 人間と獣人族の間に広がりつつある疑いに、新しい材料が一つ加わってしまった。


 その日の夜。


 伝書院には緊急報告が届いた。


 北東方面で、正体不明の大規模な魔力反応を観測。


 同時刻。


 リュネアでも異常な魔力反応を確認。


 原因は調査中。


 人的被害なし。


 それだけが書かれていた。


 セレフィナは報告書を読み終えると、ゆっくり顔を上げた。


「……まずいですね」


「院長?」


「これだけなら、ただの異常現象です」


 セレフィナは窓の外を見る。


「ですが、今の状況では違います」


 北東。


 獣人族の集落。


 人間の商人。


 焼けた荷車。


 木札。


 検問。


 武装。


 そして。


 正体不明の魔力反応。


「人は、分からないものを恐れます」


 セレフィナは静かに言った。


「そして恐怖は、証拠より早く広がります」


 その言葉は、翌朝。


 現実になった。


 人間側では。


 ――獣人族が大規模な魔術を使った。


 そんな噂が流れ始めた。


 獣人族側では。


 ――人間が森へ向けて魔力を放った。


 そんな話が広がった。


 どちらも。


 証拠はない。


 どちらも。


 真実ではない。


 それでも。


 昨日までなら「噂」で済んでいたものが。


 今度は「攻撃された」という言葉へ変わっていく。


 カナタは、それを知らなかった。


 自分たちの訓練が。


 ほんの一瞬の魔力暴走が。


 これほど大きな誤解を生むことになるなんて。


 そして誰もまだ知らない。


 あの北東から届いた魔力反応が。


 本当に自然に発生したものだったのか。


 それとも。


 誰かが意図的に引き起こしたものだったのか。


 ただ一つ。


 机の上で。


 青い羽根だけが。


 北東を向いたまま。


 淡く光っていた。


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