第五話 初任務
夜明け前の空は、まだ群青色を残していた。
宗助は槍を肩へ担ぎ、いつものように訓練場へ向かう。
しかし今日は様子が違った。
源四郎の前には荷車が三台並び、その周囲には十数人の足軽が集められている。
「宗助。」
「はっ。」
「今日より鍛錬だけでは済まぬ。」
宗助は思わず息をのんだ。
「初めての務めじゃ。」
源四郎は荷車を指差す。
「清洲城まで兵糧を運ぶ。」
戦ではない。
だが、これも立派な軍務だった。
「兵糧は兵の命。」
「一俵失えば、それだけ兵が飢える。」
「命を預かるつもりで運べ。」
「承知いたしました。」
宗助は深く頭を下げた。
荷車へ積まれているのは米俵、干し飯、味噌、それに塩。
どれも戦には欠かせないものばかりだ。
弥吉が隣へ並ぶ。
「初任務が兵糧運びとは、運がええの。」
「そうなのか?」
「戦場より百倍ましじゃ。」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
やがて荷車がゆっくりと動き始める。
車輪が土を踏みしめ、ぎしぎしと音を立てる。
先頭には槍を持つ足軽。
後方にも数人が付き、周囲を警戒している。
宗助は辺りを見回した。
街道の両脇には青々とした田が広がり、農民たちが田植えに励んでいる。
子どもたちは荷車へ手を振り、犬が元気よく駆け回る。
どこにでもある平和な景色。
だが、この平和は決して当たり前ではない。
戦が始まれば、真っ先に失われるものだった。
「止まれ。」
先頭の足軽が手を挙げる。
一同が足を止めた。
「どうした。」
源四郎が前へ出る。
「旅の者がおります。」
街道脇には三人の男が立っていた。
着物は汚れ、腰には短刀。
農民にも浪人にも見える。
源四郎は宗助たちへ小声で命じる。
「構えよ。」
一斉に槍が前へ向く。
張り詰めた空気。
宗助の喉が鳴った。
男たちは槍を見るなり、慌てて両手を上げる。
「待ってくだされ!」
「旅の百姓でございます!」
「怪しい者ではありませぬ!」
源四郎はしばらく男たちを見つめる。
やがて静かに口を開いた。
「通れ。」
「じゃが兵糧へ近付くな。」
「は、はい!」
三人は何度も頭を下げ、そのまま足早に去っていった。
宗助は槍を下ろし、大きく息を吐く。
源四郎が振り返る。
「安心したか。」
「……はい。」
「戦とは斬り合うことだけではない。」
「奪おうとする者もおれば、飢えて盗みに走る者もおる。」
「兵は常に備えねばならぬ。」
宗助は静かに頷いた。
歴史書には書かれない。
だが、こうした小さな緊張の積み重ねが戦国の日常なのだ。
荷車は再びゆっくりと進み始める。
遠くには清洲城の櫓が見えた。
清洲城が近づくにつれ、人の往来は一気に増えた。
商人を乗せた馬。
薪を積んだ荷車。
旅の僧。
様々な者が街道を行き交っている。
宗助は思わず城を見上げた。
城は尾張の中心として堂々たる姿を見せていた。
「見るのは後じゃ。」
源四郎が苦笑する。
「まずは務めを果たせ。」
「はっ。」
宗助は慌てて荷車へ視線を戻した。
城門前では槍を持った兵が厳しく見張っている。
「止まれ。」
先頭の兵が声を掛けた。
源四郎が前へ進み、一枚の木札を差し出す。
「兵糧を届けに参った。」
兵は木札と荷車を見比べる。
俵の数まで丁寧に確認すると、小さく頷いた。
「通られよ。」
門がゆっくり開く。
宗助は城内へ足を踏み入れた。
城の中は村とはまるで違う。
武士たちが忙しく行き交い、馬が嘶き、鎧の擦れる音が響く。
兵糧蔵へ着くと、役人が帳面を広げて待っていた。
「米俵三十。」
「味噌十桶。」
「塩五俵。」
源四郎が次々と読み上げる。
役人は一つずつ数を確かめ、筆を走らせた。
「違いなし。」
「ご苦労であった。」
それだけだった。
褒美も歓声もない。
しかし宗助は、この務めにも意味があることを理解していた。
一俵でも届かなければ、戦場で腹を空かせる兵が出る。
誰かの命に関わる。
だからこそ、源四郎は妥協しなかったのだ。
帰り際、一人の年若い小姓が桶を抱えて走っていた。
足を滑らせる。
「あっ!」
桶が宙を舞う。
宗助は反射的に飛び出した。
両腕で受け止める。
中の水は少しこぼれたが、桶は落ちなかった。
「す、すみませぬ!」
小姓は何度も頭を下げる。
「こちらこそ急に飛び出して悪かった。」
宗助は笑って桶を返した。
「ありがとうございます!」
少年は嬉しそうに笑い、再び駆けていく。
その様子を少し離れた場所から、一人の武士が静かに見ていたことを宗助は知らなかった。
「源四郎。」
帰り道、その武士が小さく声を掛ける。
「先ほどの若者は。」
「宗助という新兵にございます。」
「そうか。」
武士はそれだけ言い残し、城の奥へ姿を消した。
源四郎は黙ってその背中を見送る。
(見られておったか。)
思わず小さく笑みがこぼれた。
宗助本人は何も知らない。
だが、人を助けるその行動は、確かに誰かの目に留まっていた。
夕暮れの街道を歩きながら、宗助は清洲城を振り返る。
(いつかは、この城で信長公の役に立てる人間になる。)
その決意は、また一つ強くなっていた。
――あとがき――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は戦ではなく、兵糧を運ぶという足軽の大切な務めを描きました。華やかな武功だけでなく、こうした日々の積み重ねが織田家を支えていたことも表現できればと思っています。
そして物語の最後には、宗助の何気ない行動を見ていた人物が現れました。この小さな出来事が、今後どのようにつながっていくのか楽しみにしていただけたら嬉しいです。
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これからも史実への敬意を忘れず、戦国の世界を丁寧に描いていきますので、よろしくお願いいたします。




