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本能寺を変えるため、織田信長の家臣になった。 ~歴史を知る俺は、天下人を死なせない~  作者: 春野ケイ


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第一話 戦国へ

 頬を撫でる風は、生ぬるかった。


 鼻をつくのは土と藁、それに牛馬の匂い。


 耳を澄ませば、どこかで鶏が鳴き、鍬を振るう音が一定の調子で響いている。


「……ここは」


 目を開いた俺は、しばらく瞬きを繰り返した。


 茅葺き屋根。


 煤けた梁。


 藁を敷いただけの寝床。


 見覚えなどあるはずもない景色だった。


「夢……じゃないのか」


 手を見る。


 日に焼け、節だった指。


 昨日までパソコンを打っていた自分の手ではない。


 慌てて立ち上がろうとした瞬間、戸が勢いよく開いた。


「宗助! まだ寝ておるのか!」


 五十を過ぎた男が怒鳴った。


 粗末な麻の着物に、腰には古びた刀。


 農民とも足軽ともつかぬ身なりだ。


「今日は織田様のお触れじゃ! 兵を募る日ぞ!」


「……織田?」


「寝ぼけるにもほどがある。織田弾正忠家じゃ。」


 その一言で、全身の血が凍った。


 織田。


 織田信長。


 戦国時代。


「……まさか。」


 俺は外へ飛び出した。


 見渡す限り田畑。


 裸足で走る子ども。


 荷を背負う女たち。


 槍を肩に担いだ男たち。


 電柱も自動車も、アスファルトもない。


 そこに広がっていたのは、本で何度も見た戦国時代そのものだった。


 胸の鼓動が速くなる。


 歴史は昔から好きだった。


 休日になれば史跡を巡り、戦国武将の伝記を読み漁った。


 だからこそ分かる。


 これは映画の撮影所ではない。


 本物だ。


「宗助、何を突っ立っておる。」


 男は呆れたように笑う。


「早う参るぞ。遅れれば良い役目など回ってこん。」


「……ああ。」


 宗助。


 どうやら、それが今の俺の名前らしい。


 男の後を歩きながら、城下へ向かう。


 道はぬかるみ、草履の裏へ泥がまとわりつく。


 畑で働く者の顔には疲れが刻まれ、着物は何度も継ぎ当てされていた。


 戦国時代。


 教科書ではたった数行で語られる時代。


 しかし、ここでは誰もが今日を生きるだけで精一杯だった。


 城下へ近づくにつれ、人の数が増える。


 商人が荷を広げ、鍛冶屋では槌の音が響く。


 槍を持つ若者たちが列を作り、兵の募集を待っていた。


「今川が兵を集めておるそうじゃ。」


「いよいよ戦になるか。」


「命あっての物種よ。」


 そんな会話が耳へ入る。


 今川。


 その名だけで、俺の脳裏には一つの戦いが浮かぶ。


 桶狭間。


 織田信長最大の大博打。


 まだ未来は始まったばかりだ。


 そして、その先には。


 本能寺。


 天正十年六月二日。


 明智光秀の謀反。


 燃え盛る寺。


 歴史に刻まれた、あまりにも有名な最期。


 俺は思わず拳を握り締めた。


 あの日を知っている。


 歴史好きなら知らぬ者はいない。


 だが、俺はもう一つ知っている。


 信長は、世間で言われるような魔王ではなかった。


 身分を問わず人を取り立て、楽市楽座を進め、新しい世を作ろうとした男。


 厳しさの裏には、天下を変えようという強い志があった。


 そんな人物が、本能寺で命を落とす。


 その結末だけは、どうしても受け入れられなかった。


 もし、この時代へ来た意味があるのなら。


 それはきっと――。


「織田信長を救うこと。」


 誰にも聞こえないほど小さく呟く。


 そのためには、ただの足軽では終われない。


 武功を挙げる。


 出世する。


 信頼を勝ち取る。


 そして、本能寺の日には信長のすぐ側に立つ。


 それが俺の生きる理由になった。


 城下の喧騒の向こうで、法螺貝が低く鳴り響いた。


 戦国乱世。


 俺の新しい人生が、静かに幕を開けた。


 城下へ入ると、空気が一変した。


 荷車が行き交い、商人たちが威勢よく声を張り上げている。


「味噌じゃ! 出来立ての味噌じゃ!」


「鍛えたばかりの鎌はいらんか!」


 鼻をくすぐる焼き魚の香り。


 炭火の煙。


 人々の汗の匂い。


 どれも現代では味わえない、生きた時代の匂いだった。


「宗助、何をきょろきょろしておる。」


 先を歩く男が振り返る。


「城下は初めてか?」


「あ、いや……。」


 思わず言葉を濁した。


 実際には初めてどころか、歴史資料でしか見たことのない世界だ。


「ほれ、あそこじゃ。」


 男が指差した先には、多くの若者が列を作っていた。


 皆、槍や鎌を手にしている。


 農民。


 猟師。


 町人。


 戦になれば足軽となる者たちだ。


「名を申せ。」


 机に座る侍が淡々と声を掛ける。


「宗助。」


「歳。」


「二十。」


 侍は木札へ筆を走らせた。


「戦働きの経験は。」


「ありません。」


 正直に答える。


 侍は少し眉をひそめた。


「初陣か。」


「はっ。」


「まあよい。今は人数が要る。」


 木札を手渡される。


「明朝、日の出前に集まれ。逃げれば家ごと罰せられる。」


「……承知しました。」


 軽く頭を下げ、その場を離れる。


 木札は思っていたより重かった。


 たった一枚の木切れなのに、自分の命を預ける札のように感じる。


「おめでとう、宗助。」


 先ほどの男が笑った。


「これでお主も織田家の兵じゃ。」


 その言葉に、胸の奥が熱くなる。


 歴史の中へ、本当に足を踏み入れてしまった。


 だが、その喜びも束の間だった。


「聞いたか。」


 近くで足軽たちが話している。


「うつけ様がまた妙なことをなされたそうじゃ。」


「今度は町で踊ったとか。」


「まったく、大丈夫なのかのう。」


 思わず耳が動く。


 うつけ。


 若き日の織田信長は、周囲からそう呼ばれていた。


 派手な格好。


 奇抜な振る舞い。


 常識外れの行動。


 しかし、それは後に天下を獲るための布石だったと語られることも多い。


(本人に会えば分かる。)


(どんな人なのか、この目で確かめたい。)


 歴史書だけでは、人の本当の姿までは分からない。


 だからこそ、この時代に来た意味がある。


「宗助。」


「はい。」


「兵になったからには、生き残ることだけ考えよ。」


 男の顔から笑みが消える。


「武功など欲を出せば死ぬ。」


「……。」


「まずは生きることじゃ。」


 その言葉は重かった。


 戦国時代では、それが何より難しい。


 俺は木札を強く握り締める。


(いや。)


(俺は生き残る。)


(武功も挙げる。)


(信長の近くまで行く。)


 そのために、この時代へ来たのだから。


 西の空へ目を向ける。


 夕日が尾張の大地を赤く染めていた。


 その赤は、まるでこれから流れる血を予告しているようにも見えた。


 だが俺は、目を逸らさなかった。


 歴史を知る者として。


 いや、一人の織田家の兵として。


 ここから俺の戦いが始まる。


――あとがき――


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 今回は主人公が織田家の兵となる第一歩を描きました。戦国時代の日常や空気感を感じていただけていたら嬉しいです。


 次回からはいよいよ主人公が織田家の中へ足を踏み入れ、運命を大きく左右する人物たちとの出会いが始まります。


 「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想、レビューで応援していただけると執筆の大きな励みになります。


 これからも史実への敬意を忘れず、「もしも」の戦国時代を丁寧に描いていきますので、よろしくお願いいたします。

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