研究所清掃業務③
「では、言い分を聞きましょう」
地下六階の部屋を一回りして、通信室に戻ってきた。桃色の絵具と人の骨は消え失せていて、折り畳みの椅子と小さな机、そのうえに細長い棒を刺した黒い直方体が並ぶ箱が置かれている。机の奥には台車と先輩の銃を収めた箱と、薄墨の単衣を着た小柄な女性が目を伏せて立っていた。
緩やかな眉に、頬に影を落とす銀の睫毛は照明できらめき、色白の肌は新雪を思わせる。その人の後ろには、人が入れそうな銀の箱がふたつ、抱えられそうな箱がひとつ浮いていて、半分結い上げ流した銀髪とつながっていた。
扇を挿した銀の帯に草履でしゃんと立つ人の周りは、時間がゆったりと流れている。私は和服美人の前に、膝と指を床につけ頭を下げた。
「言い訳はありません。私の落ち度ですので、他の三人には慈悲をかけていただきたく思います」
「却下します」
間髪入れずに言われてしまった。頭を下げ続けても、次の言葉は紡がれない。堪えかねて、顔を上げた。
「管理課の人たちは巻き添えです。ヤギズも私が宥められなかったからです。壁の破壊行為について、彼らを見逃してください、ヨツハさん!」
この人は、ヨツハさん。幻霧郷の自治管理者の側近のひとりだ。液体金属に変成した人で、数多の分身を作り出し潜ませて情報収集を行っている。研究所の警備も情報収集の一環だ。あと、見た目の性別を状況に合わせて変える、器用な人だ。
ヨツハさんを見上げて頼んでも、白雪の瞼は動かなかった。
「管理課の方々に対しては一考の余地があります。しかし、ヤギズには破壊行動と人命を脅かす攻撃を認めます。彼をかばう理由を言いなさい」
「私が不快感を隠さず応対したので……不快に思われたと」
「かばう理由を言いなさい」
話をずらそうとしても、とがめられた。ヨツハさんを見ていることが出来なくて、視線をおとした。
「研究所の規則を適用すれば、他者への攻撃は……幻霧郷三十九階層にて、一年間の謹慎になります」
幻霧郷は階層を重ねるたびに霧が濃くなる。幻霧郷の異界人にとって三十階層より下に送られることは追放と同じだ。ヤギズなら耐えられるだろうが、謹慎の後はどうなるのか。想像してから苦い言葉を口にした。
「その後に、報復されたら……困るなと」
小さな箱がゆれた。気まずさで顔を上げられない。
私は良い奴ではない。都合の良いところを取り繕う面はあるし、嫌いな事も人も居る。そんなところを薄っぺらな布と縫い目でごまかせるほど、目前の銀の君は節穴ではない。顔をそらしたまま黙っていたら、ヨツハさんは両の手を打った。
「よろしい。では裁定を行います」
流れる言葉に耳を傾けると、人の足音が四つ響く。大きな箱から先輩とシルビアが出されていた。先輩は苦笑いで頭をかき、シルビアは涙を落として、その場にうずくまった。
「階層管理課の両名は、責任者の監督不行き届きとして罰則なし。検体番号ニの六三四四五は、研究所内の謹慎部屋で半年の就労」
シルビアの泣き声と先輩の「大丈夫だよ」となだめる声を無視して、処分の通告は淡々と続く。
「そして、浄化清掃業務の監督者、研究員レイ・グランドには五つの追加業務を課します。追加業務及び九か月間の時間外労働の手当なし。詳しい業務内容は研究所所長と協議し、後に通達します」
先輩たちとヤギズの罰は減らされた分、私の罰が重くなっていた。何を言っても業務がさらに増えるだけ。「わかりました」と手をついて頭を下げると、ヨツハさんがふと息を吐いた。
「階層管理課のおふたりは業務完了とみなし、研究所から退出していただきます。報酬は後日、協会支部の方に支払いいたします」
部屋の扉が開く音がしたら、廊下にヨツハさんがふたり立っていた。ひとりは部屋に入って小さな箱を受け取り出ていく。もうひとりのヨツハさんは、「道案内を致します。どうぞこちらへ」と先輩たちを廊下へ誘った。
私が案内した方が、と立って右手を伸ばしたら、背後のヨツハさんが言った。
「あなたは仕事です。帰しませんよ」
氷を背中に押し付けるような声に、小さく悲鳴が出た。先輩が「がんばってね」と手を振ってくれたが、もっと励まして欲しい。先輩とシルビアに曖昧な別れを告げて、ヨツハさんと部屋に取り残された。
何を任されるのか。首をすくめて向きなおれば、ヨツハさんは大きく息を吐いた。
「わかっていますか」
なにを、だろうか。すくめた首をそのまま横に曲げると、ヨツハさんは眉間のしわを伸ばすよう額に手を当てる。
「あなた自身を盾にしないでいただきたい」
ゼロこと所長の名前を出されて、曲げた首を戻してヨツハさんから顔をそらした。その顎を扇子で押されて、視線が合ってしまう。銀の睫毛の奥には灰色の虹彩が待ち構え、苛立ちをたたえていた。
「あなたの一言に、主様は良いとしかいいません。あなたの心身の傷は、主様の心持も乱します。そんなあなたの為に特例を作れば作るほど、周囲は便宜を図ってもらえると思い込み、我々の仕事が増えます。正直、私とニシとクロウにとって迷惑です」
「ごめんなさい」
押してくる扇子に抗わず、もう一度頭を下げると、ヨツハさんは目を再び伏せた。
「あなたの実力が周囲の物差しで測れない事は理解していますが、相手をふり払うだけの技を身に着けなさい。研究は進んでいるのでしょう?」
「それは、そうなのですが」
呆れを吐きだすヨツハさんに言いよどむ。ここで「わかりました、頑張ります」と言うのは、違う気がした。次の言葉を迷って、ヨツハさんの右目に睨まれた。
「異能制御を目指していたはずでしょう。あなたの気持ちと身体の不可解さ以外に、障害があるとでも?」
あるわけが無い。言外にそういうヨツハさんに、先輩の後押しを受けた自身の思いを伝えた。
「異能制御よりも、魔素暴走をなくす技術を……作りたいと、思って」
「思って、なんですか」
「ジャンプして遠いところに手が届くより、人を助ける脚立を作りたいのです……」
急かされて先輩との例え話を伝えていた。補足しようと言葉を並べようとすれば、胸を扇子で押された。
「何を例えているか知りませんが、両方やればよろしい」
「そんな暇は」
「愚かですね」
助言をくれた先輩までけなされた気がして、遊んでいた指を硬く握り込んだ。しかし、ヨツハさんの扇子に額をはたかれる。
「時間は有限、ものごとは厳選すべきでしょう。しかし、幾つもある達成したいことが全く異なるものだと、どうして言い切れるのですか」
「でも、どちらかに専念した方がいいとおもって」
痛む額をさする。片や一方に絞れと言われて、片や両方やれと言われてしまった。素晴らしいふたりの言葉を解釈しかねていたら、ヨツハさんは腕を組んだ。
「同じ高さを目指すものならば、あなたの跳躍に等しい脚立を作れるはず。その脚立は、あなたが使いこなせば一層高みに向かえる技にはならないのですか?」
苛立った眼に射止められても、私の視線は下を向いた。けれど、頭の中を爽快な風が通り抜けていた。
役に立ちたいという気持ちを尊重して、やることは違うように見えても同じ結果を望めるように、先輩は選択肢をふたつに絞ってくれていたのか。二極の選択肢だと思い込んでいたが、ヨツハさんは僅かな言葉で配慮を見つけた。
ふたりとも、どうして、知恵と思いやりと洞察のある事を、即座に言葉に出来るのだろう?先ほどまでの恥ずかしさよりも、助言をくれたふたりに届く場所が遠く思えて、自分の小ささが浮き彫りになった気がした。
「そもそも、我々が言葉を連ねるより、あなたの身体の方がきっと解っているでしょう」
とん、と扇子は私の肩を叩いた。顔を上げると、ヨツハさんは薄く笑っている。柔らかい笑顔は、かすかな身体のこわばりをとかしてくれた。
「ゼロ様に身体の筆跡を見てもらいなさい。主様の解読に勝るほど、私の言葉が的確だとは思いませんから」
「……そう、ですね」
頭で考えるよりも、身体が自分のことを既に知っている。言葉で表すよりも、絵画の一筆の方が気持ちを残せる。幻霧郷の文化が色濃い東峰地区では、そう考えられている。あらゆる言葉で表現を尽くそうと努力する、西方地区の文化とは真逆の考え方だ。ヨツハさんの提案に頷くと、扇子が私の右の耳たぶを挟んだ。
「いだだだ!いたいです、いたいですぅ!!」
どんな風に挟んでいるのか?!視界の端には親指と人差し指で畳まれた扇子がある。扇子から逃げようとしたら、千切れそうな勢いで引っ張られた。引っ張られるまま通信室の扉を抜けて廊下に出ると、ヨツハさんはこちらに視線をくれることなく廊下を進む。
「では、これから私は幾つかの処理を行うので、あなたには私の業務の代理を頼みます」
この人の仕事は多岐にわたるが、主だったものはひとつしかない。ヨツハさんはひび割れた壁の前で立ち止まり、扇子から耳たぶを解放して振り返った。
「他の側近なら、九人が喜ぶ業務ですよ?良かったですね」
姿絵にすれば誰もが見惚れる笑みの背後に、極寒の吹雪が見えた。何か言いかけて開いた口を閉じると、麗しい銀の君は首をそっと傾げた。
「所長の執務室の浄化作業に加えて、三時間の護衛もしなさい。いいですね?」
言葉尻をあげて疑問形のようにしても、断れば言葉でなじられるはず。私は耳たぶをさすって頷くしかなかった。
地下六階から地上に戻ってきて、一階にある所長室に向かった。足取りはこの上なく重い。窓の外を見れば雨が降り続けていて、植木の枝は暗い水のカーテンの中でうねっていた。
先輩とシルビアには知らせなかったが、浄化する場所は幾つか残っている。所長専用の三部屋、執務室と実験部屋と応接室だ。
所長は異能と魔術の魔法体系化を推進する先駆者であり、幻霧郷の自治管理を任されている御仁だ。重要なふたつの役職にひとりに任せるなんてと思うが、適任者は彼しか居ない。
彼は幻霧郷からやってきた異界人のなかで、最も早く天蓋島にたどり着いた五人のひとりだ。最初期は戦争になったものの和解。講和宣言後には、幻霧郷の異界門からあふれる魔素の霧を抑え、王国と交渉して自治権を獲得。誰もが使える通信機開発や魔素光による照明技術、異能の魔術化の工程など、技術提供を惜しまずに貢献し続けている。どんなに悪評がつこうとも、目に見える実績を積み重ね続けてきた人だ。
加えて、魔術どころか武術も達人。書に画に、舞踏に料理まで秀で、多くの人心を掴むだけのカリスマがある。試合で敗北したのは片手で数えられ、評価を伝え聞いただけでは欠点が浮かんでこない程に完璧だ。そして、三百を越える不老の、幻霧郷の最年長者だ。
そんな超人の部屋に行くのは、何度でも緊張する。護衛なんてもってのほか。むしろ各方面から守られて「いい子だねぇ」と頭をなでられるまで想像できる。しかし、やれと言われた仕事を投げ出せば、側近の十人から研究所の一室に監禁されること必至。それは回避せねば。
嫌なことの板挟みでも、足は所長の執務室の前にたどり着いていた。扉をかるくノックしたら、中から「どうぞ」とそっけない声が聞こえた。
もしや仕事中か?意識が外に向かないように、そっと入って浄化して、家に帰ろう。「失礼します」と扉を押したら、白い布が眼前にあった。
「周りに興味ないタイミングだと思った?ざんねん、罠でしたー!」
そっと扉を閉めた。扉が引かれるので、扉の取手を引っ張って閉める。力が拮抗して扉がばたばたと音をたてた。
「ちょっと、入ってよー」
所長の声は楽しげに明るい。人で遊ばないでほしい。質が悪い。彼の前では遊びにしかならないにしても、歯を食いしばって扉を閉めれば、中から聞こえる笑い声が大きくなっていった。
「はは、レイも大きくなったねぇー!身体、鍛え始めた?お茶菓子あるから、食べようよー」
「罠なのでしょう?入りたくないです。筋トレはしています」
「えらーい!でも、お仕事はしてもらわないと困るよー、頼むよー」
手を放すと、白い布と扉の縁が激突した。鈍い音をさせたが、「いたいー」と布をさする声は楽しげだ。彼は白の布を顔に付け、淡い緑の羽織と白袴に、足袋を欠かさない足元は床から少し浮いていた。
口角を下げ切ったまま扉を越えると、板張りの小上がりがあった。靴を脱いであがれば、所長は奥のふすまを開けた。
足元には新緑の畳、天井には組木模様がはめ込まれ、壁は滑らかな土壁。研究所唯一の、幻霧郷文化由来の和室構造の部屋だ。部屋には座布団が二枚敷かれていた。
座布団の奥には、四方に区切られた岩と小石と苔の庭。屋根から容赦なく落ちる滝は、和室と庭に挟まれた板張りの通路を濡らしている。十枚ある畳の部屋の隅に机が置かれていて、畳と雨の匂いの奥に墨の香りが見え隠れする。濡れた通路に目配せしても、所長は部屋の座布団を勧めて来るだけ。コートを脱いで座布団に座る。正面には水を引いた白皿に青い花が浮かんでいた。
「雨戸をしめませんか?」
「ダメ」
所長はきっぱりと言って、私の左手に座った。片膝を立てる彼が左手をふるえば、通路の奥から紙の小人がお盆を運んできた。お盆の上には蓋をした茶碗と飴色の芋けんぴが乗せられた木皿と箸がある。お盆を受け取った所長は、私の前に茶碗を差し出した。
「口の中をパッサパサにして、このジメジメを快く味わいたくてね」
隠し事の香りがした。所長の話に入り込むと変な事になりかねないので、何も訊ねずに頷いた。
あ、上座に座ってしまったかも。初動を間違えた。所長は手元に置いた茶碗の蓋を取る。蓋の裏は水滴がついていなかった。
「これを飲んで食べたら、応接室と実験部屋を頼むよ」
すする音をきけば、雨にかき消される。私も蓋を取って茶碗を手にした。緑の美しい液体は澄んでいて、口にふくめば軽い苦みと出汁のような旨味が広がり、鼻の奥に爽やかな香りが吹き抜ける。美味しい。飲み干して息を吐けば、懐紙にのせた芋けんぴを渡された。
「さっき、あたためたよ」
所長の言う通り、受け取った懐紙もあたたかい。一片つまんで歯に挟むと、小気味よく折れた。噛むほどに耳をゆらし、湿る空気と口の中の対比が面白い。面白いと思えるのは、東方地区の生活が長いからだろう。芋の味を噛みしめていると、「そういえば」と布面がこちらを向いた。
「仕事を五つも増やされたみたいだけど、どうしたい?」
「規則違反の罰則なので、重いものを渡される覚悟はありますよ」
温情をかけられればヨツハさんに睨まれる。粛々と罰を受けると伝えれば、布の奥で所長が笑った気がした。
「じゃあ、きな臭い話に付き合ってもらおう」
所長は芋けんぴをかじる。話は続かず、黙々と芋けんぴを食べ終えた。
「では、実験室に向かいます」
座布団から立ち上がると、所長も続く。通路の水溜りを避けようと踏み場を探すが見当たらない。雑巾を探してみると、所長は小上がりに置いてきた靴をひっかけてきた。
「履いていいよ」
いや、駄目でしょう。言うよりも先に靴が通路に置かれて、所長は脚を動かさずに宙を滑って通路の奥に行ってしまった。罪悪感を足に履き、薄暗い通路の先にある金属扉を開けた。
「きな臭い話とは?」
黒い文字と線が描かれた紙が部屋の上下左右すべてを覆い隠すように貼り付けられている。所長がそばを通るたびに紙は揺れて、何枚かが床に落ちた。部屋に向かい合うように置かれた二脚の椅子にも、おなじ紙が貼り付けられて、墨の香りと留まった空気の重さが肺に残った。
紙まみれの床に靴のまま踏み入り、先ほどの話の続きをたずねる。所長は椅子に座って脚を組む。私も向かいの椅子に座った。
「魔素暴走の原因は、大まかにふたつ、あることは知っているね」
魔素暴走は、自分の体内に異なる魔素が大量に入った場合、自分の魔素が体内で過剰生成された場合、に起こる。誘発する外的要因は幾つもあるが、現象としては二種類しかない。小さく頷くと所長は続けた。
「じゃあ、自分の魔素を体内に留める薬があったら、レイは欲しい?」
「え、欲しいです」
他者にも社会にも迷惑がかかる私の魔素を止められるなら欲しい。しかし、話題を切り替えた訳でもないはず。
「もしや、魔素暴走を起こす可能性があるのに、その薬が承認されたという事ですか?」
「いいや。東方地区では噂になっているだけだね」
他の地区では実例があったということ。未承認の薬なら、王国の法令が及ばない異界門の階層内で取引されているのか。他の階層で認可されている民間療法のひとつ?明らかによろしくない話には変わりなくて、眉間にしわが寄った。所長は脚を組み直し、椅子の紙が擦れて静寂を崩した。
「その薬が回復ポーションと似ている、どころか探索者協会公式のポーションとして作成可能だとしたら、どう思う?」
「はぃ?」
声が裏返って、白布の面を凝視してしまう。腕も組んだ面の奥は、かすかに笑っているような雰囲気が滲んでいた。
「もしや、魔素形態が特殊な個人の魔素。異能ということですか?」
「そう、びっくりだよねー」
所長は言ってのけたが、驚くどころではすまない。探索者境界公式のポーションは、品質と効果と安全性を担保する法令で守られた医薬品だ。他人の魔素ポーションを混入するだけでも危険なのに、特殊効果を付与するという名目で取引されていたら、ポーションの機能と安全性を脅かしかねない一大事。きな臭いどころか、社会の大事件だろう。スケッチブックを出して鉛筆を握った。
「所長はその魔素ポーションを知っているなら、協会に通報しましたか」
魔素ポーションの色から、作成手順と魔素の傾向を絞り込めるかもしれない。聞き込もうとしたら、所長は肩をすくめた。
「いいや。きみが通報しただろう?」
「特殊な魔素形態でも、所長なら……ん?私が?」
「この前の学校の事件でね。レイのおかげで人の魔素だって判明した。見た色から番号を書き出すなんて、お手柄だよー。えらーい!」
所長の拍手をよそに、ぐるりと頭の中を見回す。私が近くに関わった学校の話といえば、つむじ風のあれしかない。そして少年のポーションに変色があったことを思い出した。
「あれですか?!」
変色後のポーションの色指定をしたが、混色前の色――合成された魔素構造ではなく、人体に吸収しやすい細かな魔素形態の特定――から個人の魔素による異能と判別できたのか。捜査の手伝いが出来たことより、残された事実に衝撃を受けた。
小さな魔素の組み合わせで、魔素を人体に定着できる実例が存在する。研究材料として欲しい!異能なら、協力して欲しい!頭の中で変色したポーションの番号を思い出しているあいだ、所長は話を続けた。
「被害者の子は魔素流出が激しい体質で、薬として親から貰ったらしい。中央と西では有名みたいだよ」
「有名?……だめじゃないですか!」
「そうだねー。未承認薬を販売するのも駄目だし、他人の魔素を摂取するなんて、馬鹿だよねー」
大きく頷くだけの白布が研究に引っ張られた思考を連れ戻してくれた。人の生死にかかわる話だ。うかれずに、しっかり聞こう。右手の鉛筆を握り込むと、所長が身を乗り出して眼前に迫ってきて、人差し指をたてて言った。
「その未承認薬が、東方地区だけ出回ってない。他の地区では被害事例があるのに、まったくと言っていいほど出回ってないとしたら……他の地区のトップはどう思うかな?」
「食事が薬だと言って、魔素ポーションの専門店すらない地区に出回る訳ないじゃないですか」
「そうだねー。そうだけどー、周りはどう思うかな?」
文化背景を考えれば、被害なしは当然のように思える。しかし考えてみると、嫌な予想が一番に思いついてしまった。
「もしや、幻霧郷と東方の策略とか思うとか」
「せいかい!あはは!この前の会議で不意打ち食らって、びっくりしたよー!」
「あはは、じゃないですよ!」
天蓋島は王国の統治下にある。所長は自治権を獲得した領主と等しく、幻霧郷の外の東方地区の領主と友好関係を築いている。東方地区の背後に変な薬品を作れる存在が居るからと、策略としてお粗末な事は承知の上で、探りを入れられたのか。放置すれば東方地区の評判を落とすし、研究所は既に怪しいと見られているかも?どうするのですか!所長の肩を掴んでゆらせば、彼は「というわけで」と両手を合わせた。
「魔素を体内に留める魔素を放出してしまう人を探そうって、話になったわけだよー」
「……その調査に協力してほしい、ということですか」
もとは私の追加業務の話だ。魔素に関わる話なら私にも一家言ある。受けますと言いかけたところに、所長の人差し指が私の唇に触れた。芋けんぴの甘い香りが鼻をかすめた。
「そんなところにー、中央の無情の裁定者からー、こんな通知が来ましたー」
着物の袖から手紙がひらりと舞って、膝の上に落ちた。裁定者は特殊事例にのみ現れる裁判官だ。裁判官の通知を私が開けていいのか。そんな疑問を押しやって、封筒の蝋を剥がして開いた。
思考統計による予知。再来月の国王誕生記念日に連続魔素爆発事件が起こる。
未然防止のため、原因の容疑者捕縛に協力を要請。情報共有のため、中央地区裁判所に来訪せよ。
「これに付き合って欲しいなー」
重い命令に反して、明るい声に気が抜けた。拒否権はない。ため息交じりに了承した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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