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僕の勝手気ままでアンオフィシャルなものがたり考  作者: 南瀬匡躬


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15/15

旅行の話

 前回が尻切れトンボのような、旅行編をにおわせて終わったので、一応決着の回? 何の決着だ(笑)。


 結論から言うと無事にお伊勢参りは完了した。熱田神宮、外宮、内宮、猿田彦、鈿女(佐瑠女)、そして月読宮といつもの五社を回って御朱印もいただいて来た。もちろん外宮と内宮は時間をかけてより丁寧にお参りしてきた。

 時間があるときはこれに倭姫宮や二見をまわることもあるのだが、今回はぎりぎりの日程と予算だったため次回があるのならば次回に回したい。あるのか? 次回?


 清め餅、神代餅、赤福餅、名古屋駅ホームのきしめん、そして浜松でリーズナブルなエキナカのうな丼である。なぜか途中下車した津では駅の吉野家で牛皿である。「~弁当」、「~づくり」というような豪華な料理は食べなかったが、それなりに満足した旅だった。ただ酷暑と腰痛、関節痛には負けた。年には抗えないということかな?


 僕自身、特に宗教に対して必要以上の興味はない。自分にとっての必要レベルで十分である。そこは人並みだと思う。僕が愛しているのは「幸せ」と「自然への敬い」、「文学・歴史」だ。この三つを内在するものが神道である。かんながらの道なんていいますなあ。とはいっても、宗教家のように一心不乱に祈るわけでもなく、人生の節目にご挨拶できればいいのだ。自分なりの祈りの形、礼節を纏ったような、そんな僕の神道である。

 そもそも八百万の神というのは、我が国の地勢や風土、環境の中から自然発生した日本人の持つ山河島海への敬いの心だ。遠い昔には地球上の各地に多くの神々の物語は存在した。それらの多くは太陽、月、海、川、空、山、岩などの天候や自然物質への崇拝である。すごいのは今も日本では、それらの自然崇拝の神々が現役で敬わていることである。自然を愛すればこそ、山紫水明の国であるこの国の文化は、八百万、ここにたどり着くのだ。

 経緯はともかく自然や歴史好きが高じて、神話や神社好きになったわけで、それ以上でもそれ以下でもない。でも僕たちの世界において大切な考え方である。加えて下地になったのが、たまたま僕を育ててくれた祖父母が神社さん大好きだったというだけだ。だから三人で拝んだ集落の鎮守さま。住吉社にも愛着がある。文人墨客の神さま(生まれた時から文学にご縁はあった?)。そいでもって、航海の神さまでもある。僕海なし県の生まれなのにね(笑)。

 もちろん毎日祖父母と神棚の神宮大麻札を拝んでいた幼少期もあるのだ。それを継承したのか、神話や歴史から流れたのかはわからないが、めでたく今の僕はお伊勢さんが大好きというわけだ。その慈しみを「かしこみかしこみもまうす」のである(笑)。


 じゃあ神社なら全部好きかと言うと特に好みはある。先に述べた産土の神、住吉社のほかに、それが神明社、八幡社、春日社、氷川社などである。順に朝廷、源氏、藤原氏、出雲族の印象がある。この辺のマニアックな歴史とご神威をSFチックに描いたのが『かんなづきの夜 』である。ずいぶん昔だが、これは落選しけど地方新聞社文学賞のまあ出だしのちょっとだけ残った作品でもある。お時間のある方は短編作品なのでお読みいただけると嬉しい。もともとは歴史雑誌の募集に応募投稿しようと思って書いたものだった。


 さて話はそれたが、無事にお伊勢参りに行き、こころの晴れやかな、気分爽快で帰って来た昨今の旅行だった。これを次回以降の作品に上手く役立てることが出来るといいなと思う。ではまた。







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