僕の思うプロット名人
僕にとってのプロット名人は藤子・F・不二雄さん、星新一さん、芥川龍之介、О・ヘンリーである。並べて書いてみるとほぼ収拾のつかない集合体だ。すなわちカオスだ(笑)。接点がない。
この中では芥川の作品は、その多くが二次創作に近いものだが、少しプロットをひねってあるため古典よりもより高度な脚色が面白い。マンネリ化しないようになのか、ウイットを利かすためなのか、原因究明はできないが、大文豪のその辺は勝手な想像でしかない。
星新一さんはオチのこっけいさや理詰めさが引き立つためのプロットである。そういう意味では練られたプロットということだ。昭和五十年代から六十年代に流行していた形式で「ショートショート」というこの独特の小話風短編は一つの形式として存在していた。ほかにも類似形式のショートショートの作家はたくさんいた。いわば一世を風靡したという意味では「なろう系」や「コバルト系・パレット系」とどこか通じる現象なのかもしれない。星さんについては僕の文章のここかしこで書いているのでこのくらいでいいかと思う。
О・ヘンリーは作詞家の松本隆さんなども称賛を贈っていた作家だ。タイプとしてはファンタジーやSF的な文体ともいえるのに日常系の感動物語なのである。それは人によっては少々回りくどい言い回しの文体にも感じるが、それが面白いという一文一文を大切に読んでいく読者には快感でもあるのだ。まあ、今となってはごく普通の表現方法、ごくノーマルな文体になってしまったけど、冬の街に蔓延する風邪のウイルスの表現の擬人化などは説明文としてみるとユニークだった。おおよそ医学や科学的な現象を説明するのにあえて逆位置にあるファンタジーやおとぎ話のような表現を使って科学の現象を説明している、とでも言ったらいいのだろうか?
この説明に「え?」と思った方、正解。僕が目指している作品の世界観やテーマと合致している。しかもフランクな比喩やお決まりの感動成果の演出という今でいうベタな手法である。これは小説としての主題を明確にできる作品趣旨のわかりやすさにつながる。
同時代に流行っていた推理小説のアガサ・クリスティのような奇抜さという意味でのどんでん返しの規模は※、あえて比べるなら小さいかと思う。裏返せば、クリスティのこれは逆に話題性を作りやすく、人気作品となる要素だった。
だがヘンリーの作品、そのオチをハートや人情、人間社会・人間関係の弱さや脆さにつなげることで読者を引き入れる作品だったと僕は考えている。オチの後始末や伏線回収はわかりやすくキッチリしているので、プロット分析にも最適だ。『賢者の贈り物』や『最後の一葉』などはそのよい例と言える。
いつになってもこの作家の人気が衰えないのは、地味な内容にもかかわらず、読みやすい短編形式、独特の文体で演出される穏やかな世界観、人間社会や絆を大切にする普遍的な主題という一定数存在するハートウォーミングやハッピーエンド、心の文体描写を好む文芸ファン、読書趣味人に常に愛されるジャンルだからである。換言するなら細いながらも根強い普遍的なニーズを持ったジャンルともいえる。
そして加えれば、文学の授業などでも作家論として習うように、金太郎あめのような作家に対する評価や見解と解釈もある。その内容とは時代が変わっても人の心を描けるのは、なによりも作家本人の人生経験によるものだという手あかのついたような解明実証方法からである。技法ではなく、生死を分けた窮地や貧困、心労などを克服した作者だけがその人生経験からたどり着ける特別な世界の披露。そのやさしさと厳しさの同居を描いた世界の文章的な、文字を使った具現化なのだろう。
最後に藤子不二雄さん。多分個人的に小説家以外では、物語作家として一番愛着を感じる人だ。僕が読んでいたころは二人合わせて藤子不二雄だった。実際にはその後別れて、藤子・F・不二雄さんに改名している。いわずと知れた『ドラえもん』や『パーマン』の原作者だ。今の大人になった目線で読んでも面白いのが『21エモン』や『ミノタウロスの皿』である。SFファンなら『ドラえもん』の先入観を捨てて読んでみると「あ、大人のSFだ。早川にあってもおかしくない」って感じる物語進行、プロットである。『ドラえもん』やオバQ、『パーマン』にみられるこの作者の得意とする教訓的なオチと違って、シニカルさや、哲学理論、社会風刺を含んだ斜めの目線、角度を変えた知的好奇心をくすぐる作品の色が強い。二十歳を越えても『21エモン』の面白さは気分転換や脳内整理に役立っていた。
近年はプロット重視よりもキャラクター重視の傾向に物語の嗜好は進んでる。素人目にもその顕著さがわかる。ただ漫画はもともとがキャラクター重視の傾向にあったので、その視点で物語を楽しむ人たちが多くなったと考えることで合点させている。今の時代、とんちよりも、合理的展開よりも、親しみのあるキャラクターがドタバタや感動を持ってくる作品に好感が得られるのかなあ、などとひとりぼんやりと分析している。
藤子・F・不二雄の弟子、漫画家えびはら武司さん※は『ドラえもん』に出てくるジャイアンの本名タケシのモデルになったし、ラーメン大好き小池さんのモデルはトキワ荘メンバーの鈴木伸一さんである。キャラクターの宝庫であるかの作品も意外に身近なところから生まれているようだ。
ただそうは言っても、キャラだけで物語を引っ張り続けるのは無理がある。土台となって楽しめるプロットを考えられないと物語は片手落ちになる。昔からキャラを漫画家、プロットをマンガ原作者というおきまりのフォームも存在しているので、キャラとプロットの二者が両輪となっているのが好ましいのだろう。アニメーションのスタッフだとこれは分業されていて、キャラクターデザインと脚本家に分かれ、二つの結合ポジションには監督やプロデューサーが存在する。だから漫画の世界では、一人でキャラも、ネームと称するプロットも両方できることが望ましく、そんな漫画作家は才能の持ち主なのかもしれない。
大した考察ではないが、もし僕の視点で考えたプロット考にご賛同いただけたなら、上に記した作家先生の作品をお試しあれ、とお薦めしておく。楽しんでいただけるのであれば、これ一興のこと。ではまた。
※クリスティの『そして誰もいなくなった』や『オリエント急行殺人事件』の結末は当時としては奇抜な発想ということで大ヒットした。
※代表作『まいっちんぐマチコ先生』など。




