はじめてのいらい
「で、この法律がどうしたの?」
「その法律自体じゃなくて関連法案や、教育課程に変更があってね。各学校でダンジョン教育が義務付けられたんだ。一応三年間の猶予期間はあるが、座学実習を含めた教育を年間決められた時間行わなければならない」
なるほど。
父は小学校の教諭を務めている。
しかし小学校の教師にダンジョンのことを教える事ができる者がいないのだろう。
インターネットだの金融だの、なにか新しい事柄が増えるたびに、それを教えなければいけない教師や学校は大変だよね。
趣味でダンジョンに潜っているような教師がいないとは言わないが、昨今の教師はとてつもなく忙しいらしく、保護責任者になれるほどダンジョンに潜っている人などまずいないだろう。
当然外部からの臨時講師や、非常勤扱いの講師が必要になるはずだ。
実習もあるのであれば当然保護責任者の資格が必要だし。
「なかなか政府も無茶言うよね? 補助金とか出るの?」
「多少はな。非常勤講師としての給与のほか授業時間に応じた追加報酬が出る。あと、実習なんかに必要な備品や免許取得にかかる費用なんかが出るらしい」
「追加報酬がいくらか知らないけど、保護責任者クラスになれば、その何倍も稼げるだろ? 単発の講師くらいならともかく、非常勤で人は来ないよね?」
「うむ、誰も応募者がいないのだよ」
「まさか僕に応募しろと?」
「できればな」
「いやだって、まだリハビリ中で、ろくに戦えないぞ。そんなのでいいのか教育者」
「大丈夫だ問題ない。保護責任者には今現在戦えるという規定はない」
「無いかもしれないけどいざという時困るだろ?」
「アミューズメント層ならいざという時は来ないと聞いている」
「いや、確かにそうだけどさ」
一層ならダンジョン入り口からすぐだからね。
よっぽど奥に進まない限り、救急隊が駆けつけてくれるのも早いだろう。
レベルのない子供だってほとんど危険がないのがアミューズメント層だ。
「一応実習のときに他の先生方も同行するし、安全面に関してはそっちを頼っていい。お前はダンジョンでの安全な過ごし方、モンスターの倒し方、なんかを教えてくれるだけでいいんだ。あとは我らが引き継げるだけのノウハウをまとめてくれるとありがたい」
「そうはいっても人に教えたこともないし」
「大丈夫だ。冒険者の教師などこれまで一人もいなかったからな。これから試行錯誤していけばいい。そのための三年間の猶予期間だ。まだ教科書でさえ作られていないような授業だ。ここでダンジョン教育のノウハウを蓄積できればと思っている。和斗は大学の専門学部に通っているし、ダンジョンのことについては人一倍勉強もし研究を重ねている。ダンジョンでの経験だって半端ないだろ? お前以上に教師にふさわしい人間なんてそうそういないぞ? 自分たちは何から手を付けていいかすらわからん素人集団だし」
確かに冒険者なんて自分の稼ぎのためにダンジョンに潜るのであって、僕のように研究するため――まあ最終目的は違うけど――に潜っているやつはそれほどいないはずだ。
狭く深くダンジョンのことを知っているやつはいるかもしれないが、広く深く理解するとなると僕やサークルメンバーのようなフィールドワーク系の研究者以外いないだろう。
基本的に稼げる冒険者は脳筋だ。
命の危険があるところに自ら突っ込んでいくなんて、普通のそれなりに暮らしている日本人にはありえないことなのだ。
失業率が世界的に見て低いのもそれに拍車をかけた。
自分の職を捨ててまで冒険者になるやつなど、相当な信念がなければなし得ない。
まあそのせいで、世界でも一番初めにモンスター溢れを体験する羽目になったけどね。
「しかも退院してこの方、家でゴロゴロ学校にもいかずバイトもせず無駄飯食ってヒキニートしているお前には破格の報酬だ」
「うぐっ!」
サークルから追い出してもらい? ダンジョンに潜ることもできなくなった僕は、グダグダ悩んでいるだけでリハビリにも身が入らなくなっていた。
流石に腹に据えかねていたのであろう。
皮肉が効いている。
「はあ、一応準備期間とかもらえるんだよね?」
「もちろんだ。なにせ教科書一つ無いからな! 授業は独自に作ったプリントやスライド、適当な動画なんかを表示して進めることになるだろう。ダンジョンに関する入門書やモンスター関連の書籍等あれば、備品や教材として購入してもいい。それらの準備や作成にかかった時間も給与の支払い対象になる。
座学の授業は四年生以降で各クラス週一回。実習は二クラス合同で引率の教師含めて最大百名以下で行うつもりだが、無理そうなら人数を絞ってもいい。一応午前か午後の授業を学活の時間などと入れ替えて対応する予定だ。場合によっては土日に実施し、平日に振替休日とすることも可能だ。
その辺はお前の都合に合わせると言ってくださっている。
座学実習合わせて、大体一日平均二時間~三時間程度の授業時間になると見込んでいる。その他準備にあてる時間が必要であれば考慮してくれるそうだ」
「ずいぶん細かいところまで決まってるんだな」
「そりゃあ法案が提出されたときから検討はされていたからな。決まらなかったのは非常勤講師と授業内容くらいなものだ」
「つまり僕が引き受ければ全部解決と」
「そういうことだな」
すべてお膳立て済みってことか。
「法案通すのも準備も早すぎだろ。普段のお役所仕事はどこへいった」
「それだけ政治家も官僚もそして教育現場も危機感を覚えてるってことだな。お前は冒険者資格もあるし、冒険者としての活動をスキルもレベルも無しで、高校の途中からこれまでまる一年以上やってきた。その状態でボス部屋にまで挑むとは、恐怖を感じることができなくなっているんじゃないかとさえ思う。だからわからんかもしれないがダンジョンの魔物は一般の人にとっては恐怖でしか無い。モンスター溢れはその辺に通り魔が何人もうろついているようなものだぞ。誰だって怖いに決まっている。今回はたまたまゴブリン程度だったから、被害者が子供だけで済んだとも言える。被害にあった子供には悪いがな。お陰で間引きの重要性が世に知らしめられたし、モンスター溢れから子供を守ろうという機運も生まれた。それにうちの小学校はダンジョンにも近いしね。もし今校内でモンスターが湧けば、対処できるものが誰もおらず、考えたくもない被害が出るだろう」
ああそうか。
僕がダンジョン一筋になった本当の理由がようやく思い出せたよ。
ダンジョンがこの世に出現したときに巻き込まれた人々。
その中に僕の家族もいた。
突然現れた黒い靄。
飲み込まれ動きを止める人々。
最後に見たのは靄に飲み込まれる母親と妹、そして一緒に買い物に来ていた叔母さん。
ベビーカーに乗っていたまだ三歳だった従妹を叔母さんに託され、必死で逃げたあの日。
助けを求める妹の声が今でも耳から離れない。
そう、僕は必死に助けを求める妹を見捨てて逃げたのだ。
怖かった。
黒い靄に少しでも触れるとその部分が固定されるようで、身動きできないまま助けを求める人々。
自分もああなるのかと思ったら妹を助けにはいけなかった。
叔母から彼女の娘を託されたこともいい言い訳になった。
この子を助けるために僕は逃げていいんだと。
いつしか妹の声が途切れても僕は走り続けた。
靄からではなく、妹を見捨てた事実から逃げるかのように。
僕がダンジョンにここまでのめり込んだのも妹に対する罪悪感だったのかもしれない。
彼女たちを助けたいというより助けに行く勇気がなかったという罪悪感から自分を追い詰めていたような気がする。
「どうなるかわからないけど、やってみるよ。だけどその前に誰か先行して授業を受けてくれる子はいないかな? その様子を見てカリキュラムを決めたいんだが」
「ああ、それも考えている。いきなり教師経験のない者を教壇に立たせてもうまくいくとは思えんからな。とりあえず有志を何人か募って先行授業をしてもらうつもりだ。まあ正規の時間にはそうそう割り込めないからほとんど課外活動ということになるが、給与はちゃんと出る」
「それは助かるよ」
「とりあえず明日、校長に話を通してくる。まず覆ることはないと思うから、お前は一応履歴書でも書いておいてくれ。授業内容も考えておいくれると助かる。すまんがまだ給与は出ないが」
「わかったよ。とりあえず大学でまとめたレポートとか、インターネット上の情報をまとめておくよ」
「頼んだ。さて、いい時間だし飯でも食うか」
「そうだね、お腹がすいたよ」
父は寡夫生活ですっかり家事が得意になった。
僕も手伝ってはいるが、ずっと体を鍛えたり情報収集したり、この頃はダンジョン研究と探索ばかりにのめり込んでいたし、今は左手がほとんど使えないのでサボり気味だったが。
今日は僕も手伝って夕食を仕上げる。
いつもと同じ味のはずなのに妙に美味しかった。
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