地獄に最も近い場所
「いやはや、大変だったけど無事に合流できたね。後は地下に乗り込むだけだよ」
龍太郎と並び立っていた所に、工藤さんが血溜まりの地面を踏みしめながらやってきた。そこで初めて気づいたんだ。工藤さんの服が生存者の返り血を吸って黒く汚れきっている。
この二人は一体どれだけの生存者を殺したんだ。茶色い土が見えないくらい地面が血で染まっているのだから、十や二十ではきかないだろう。
考えれば考えるだけ気分が悪くなってくる。だから俺は罪悪感から逃げるように、地面から視線を外して工藤さんへ向ける。
「取り敢えず、全員集合しないとだね」
軽い声色でそう口にすると、無線で五十嵐さんとナオを呼び寄せる。
直ぐに五人全員が揃って工藤さんの前に並んだが、俺の隣に立つナオが露骨なまでの嫌悪感を隠そうともせずに表情に現していた。
「何よ……これ、アンタたち何したのよ……?」
「向かってくる奴らを殴ったらこうなっただけだ」
「加減ってもんがあるでしょ!」
「知らねえよ。綺麗に死ぬのも、汚く死ぬのも同じだろうが」
龍太郎の容赦ない言葉に、流石のナオもそれ以上に噛み付くことが出来ずに黙り込む。
俺はと言えば、そんなナオに掛ける言葉が見つからず、肩を叩いて『受け入れろ』という想いを載せた視線と頷きを送る事しか出来なかった。
俺たちはもう生存者と衝突してしまったんだ。そうなってしまえば歩みを止める事は出来ない。今はただ、目的を達成する事だけを考えるしかない。
そう覚悟を決めた後、ナオと佐々木さんが率いる部隊も連れながら、総勢でもって地下シェルター入り口がある巨大な倉庫へと足を踏み入れた。
ホコリ臭い倉庫内を顔をしかめながら進んでいると――
「あったあった。ここが入り口で間違いない」
工藤さんが足を止めて指をさす。そこにはホコリだらけの周囲とは違い、よく掃除が行き届いている両開きの鉄扉があった。
ただ、通常の扉と違って壁に備わった扉ではなく、それはコンクリートの床に付けられていた。
使用しない時は荷物で扉を隠しているのかもしれない。そう考えると、極秘に建設された地下シェルターという言葉がピッタリと当てはまるような扉だと思えた。
「さてと、最終確認だ。まず最初に龍太郎君がそこの扉をこじ開ける。その後は龍太郎君を先頭に突入し、最初の十字路でそれぞれが別の道からシェルターを攻略していく。僕が左、遠藤君と龍太郎君が中央、五十嵐三佐と佐々木君が右の道だ」
説明を受けて全員が頷きを返す。これまでに何度も確認してきた内容だけに、誰一人として口を挟む者はいない。
「内部の構造は頭に入っているね? 無事に攻略する為には、アミダクジのようなシェルター内の道を上手く横一列で進む必要がある。誰かが突出して進めば横道から背後を取られてしまうからね。それを避ける為にも連絡は密にする事が重要だ」
口酸っぱくという程に説明を反復する工藤さん。
だからこそだろうか、嫌ってくらい聞いた説明を聞きながら、俺は気を引き締めるというよりも、ついに本番がやって来たという高揚が心の奥底から湧き上がっていた。
「遠藤君。やる事は分かっているね?」
「左、中央、右を繋ぐ通路の敵を倒します」
「龍太郎君は大丈夫かい?」
「俺様は兎に角、騒ぎながら進めばいいんだろ?」
「そう。君が騒げば自然と敵も君へ向かう。中央に集中すれば他が楽になるからね」
龍太郎と倒せる武装を持っている生存者はいない。だからこそ敵の意識を龍太郎へと向けさせるという作戦だ。
それ自体は問題ない。だけど、後ろから俺もついていくわけで、そこの安全面が保証されていない点が唯一にして最大の問題点だった。
まあ、今更変更も出来ないし、工藤さんからは大丈夫だと何の根拠もない言葉を受け取っている。
「よし、始めよう。扉をこじ開けてくれるかい。他は準備を済ませるようにね」
床に備え付けられた扉へ龍太郎が進んでいく。
扉をよく見ると鍵穴らしき物が無く、俺の腕くらいに太い取っ手が見えた。一体誰の為にそんな極太の取っ手が必要なのかと呆れていると、ものの見事に巨大化した龍太郎の掌とフィットする。それはまるで龍太郎の為、要塞の為に用意されたかのようだ。
「それじゃ、開けんぞ……フンッ!!」
龍太郎が握った取っ手を全力で引く。電柱のような両腕がブルブルと震え、見る見る内に表情が赤く染め上がっていった。
金属が擦れる甲高い音が倉庫内に響く。長時間聞いていると気分が悪くなりそうな音に表情を強張らせてた時、盛大に息を吐き出しながら龍太郎が取っ手から両手を離した。
「――ぶはっ! なん……何だこりゃ。くっそ重いぞ!?」
「厳しいかい?」
「ちょっと待て。こりゃ一気にやらねえと無理だ。少し休ませろ」
弱音を吐く龍太郎へ間髪入れずに工藤さんが問いを投げるが、直ぐに首を振った後、腰を下ろして乱れた呼吸を整え始めた。
その少しだけ自由になった時間、俺は気になっていた事をナオへ問いかける。
「なあ、ナオが連れてる人たちって普通に喋ってないか?」
「何よ急に? そりゃ喋るでしょ、生きてるんだから」
「それでも喋れねえのが感染者じゃん? なのに平気で日本語喋ってるよな?」
そこまで説明しても上手く理解出来ていないようにナオは眉をひそめて首をかしげる。
「明らかに人間に戻ってるだろ? あれだ、これも支配者の能力なのか?」
「ああ、そう言う事ね。そうだと思うわよ? アタシは『勝手にやって』って言っただけだし」
「はあ?」
酷く曖昧な返答。そりゃ勝手にさせたらお祭り騒ぎくらいしても不思議じゃないかもしれないけれど、その騒ぎを出来ないのが普通の感染者なんだ。
「考えてみなさいよ。行軍の隊列はこう、射撃する時はこう、そんな事を言われても覚えられるわけ無いでしょ? だから好き勝手にやれって言ったらこうなったの」
「はあ……。まるで分からねえけど、ナオは感染者を人間に戻せるって事なのか?」
「どうなのかしら? 皆も戻ったって言うけど、別に治ったわけじゃないしね」
言葉をかわした結果、よく分からないという事が良く分かった。
俺や工藤さんの能力、狩人と呼ばれるものは人間を遥かに凌駕する身体能力を発揮できる。龍太郎が持つ要塞の能力は、常人と比べるという次元を遥かに逸脱し、重機に匹敵するパワーを持ち、人間を殺す手段の中で最高傑作である銃火器ですら傷一つ付かない強靭な肉体を持っている。
それに反し、ナオと五十嵐さんの支配者と呼称される能力は、感染者を意のままに操るという特殊すぎる能力。
ナオには特殊感染者すら操れる可能性があると工藤さんから聞いたけど、それ以外にも支配者という能力には可能性というか、新たな発見が多々隠されているようだった。
「まあでも、いちいち命令する必要も無いから楽よ」
「そりゃ楽だよな。プロが自分たちで考えて動くわけだし」
「騒がしいのが玉に瑕だけどね」
「実際の自衛隊ってあんな感じなのかと思うとイメージ崩れるよなぁ……」
絶対にそんな訳がないと思いつつも、作戦中にあれだけ気さくに声をかけられ、バカ騒ぎしれいる光景を目の当たりにしてしまうと困惑してしまうのは仕方がない。
とは言え、隊員個人が自由意志で動いているという現実は素晴らしいと思う。素人のナオの指示じゃどんな被害が起こるかわからない。何より、ナオの安全を考えた場合、プロフェッショナルの人たちに任せたほうが何百倍もマシだろう。
「タクトはどうなのよ? 無事だったのは見れば分かるけど……殺したんでしょ?」
「まあな……」
無我夢中に飛びかかって首を切り下ろした一人目。予想外の反撃にこっちが殺されかけた二人目。自分の手を汚していないという事実から考えても、脳裏に深く刻まれているのは一人目の事だ。
産まれて初めて人間を殺した。俺が死んだら地獄行きなのは間違いない大罪を犯した。だと言うのに、思い起こしても自責の念と言うか、罪悪感が湧き上がってこない。
「何も感じなかった。何もって訳じゃないが……うん、感じなかったんだ」
「…………」
再確認するように口にした言葉。それに対し、ナオは言葉を返さなかった。
俺もナオも分かっているんだ。これまで数多くの感染者と区別される人間を殺し、だからこそ今があると理解している。
「だから、だからこそ、生き延びねえとなって思う」
「そうよね。責任は取らないとよね」
人間って生き物は動植物という様々な生命を奪って生きている動物だ。明日を迎えるには命を奪うしか無く、それが同族にまで至ってしまった。
善悪という話じゃない。奪わなければ明日は無い、という究極の選択を選んだだけなんだ。
心の底では最初から受け入れていた事を言葉にして再確認する。
もう迷わないと誓って顔を上げると、退屈そうな表情を浮かべている龍太郎と目が合った。
「話は終わったかよ?」
「は? 何が?」
「二人してずっと話し込んでっからよ。準備できたって言い難くてな」
龍太郎がそんな言葉を口にし、即座に工藤さんへ顔を向けると、黙って俺の顔を見つめながら深々と何度も頷いている。
全部聞かれていたらしい。別に聞かれて恥ずかしい言葉を口にしていないから問題は無いのだけれど、何とも居心地が悪い気分だった。
「二人が良い事を言ったよ! 僕たちは生き延びなければならない。日本の生命線、その線を手にしているのが僕たちだ。未来へ線を繋ぐ為にも必ず成功させようじゃないか!」
工藤さんが言葉を口にした瞬間、ナオが率いる部隊だけから大歓声が上がる。聞こえてくる声もナオを呼ぶものだけだ。
倉庫内に鳴り響くお嬢コールが鳴り止んだ後、工藤さんが指示を飛ばす。
「龍太郎君、今度こそ頼んだよ」
「ああ、こじ開けてやるよ!」
龍太郎は覚悟を決めたような表情で頷いて取っ手を握り締めた。
「――ンンッ!! グウウゥゥゥッ!!」
俺の腕の三倍以上はある二本の腕が激しく痙攣し、全身に張り巡っている血管がはち切れんばかりに浮き上がる。
小学校にある鉄棒よりも太い取っ手が枝のようにしなり、鉄扉が悲鳴にも似た音を上げながら徐々に持ち上がっていく。
「クッッッソガアアァァッ!!」
開くのか開かないのか、その光景を固唾を呑んで見守っていた時だった。人生で聞いたことのない音が倉庫中に響き渡った瞬間、勢いよく開け放たれた一枚の鉄扉が激しく軋みながらコンクリートの地面にけたたましい音と共に横たわる。
一瞬の静寂。聞こえるのは龍太郎の荒い息遣いと、扉の奥から溢れてくる冷気。
「よしよし! それじゃ本丸に突入しよう!」
誰もが固まっていた状況。そんな中でも唯一冷静さを失っていなかった工藤さんが口にした。
開け放たれた鉄扉の先には、地下へ続く階段が薄明かりに照られながら何処までも続いている。
この道の最奥に救助すべき天皇と総理大臣が居る。そして道中には、俺たちを殺す事だけを考えている大勢の敵が待ち構えているわけだ。
全身を襲う悪寒は扉の先から漂ってくる冷気のせいでは無いだろう。
この感覚は紛れなく恐怖に他ならない。今から地獄に最も近い場所へ向かうという恐怖が悪寒となって感じているんだ。




