お祭り騒ぎと血塗れの巨人
「君が苦戦したのは相手の土俵で戦ってしまったからだよ」
一仕事終えた工藤さんがナイフを仕舞いながらそう口にした。
「土俵……?」
「そう。まあ、それは僕が自衛隊式の技術を教えたせいなんだけどさ。そこで死んでる彼は詰まる所、自衛隊式の専門家だ」
「俺の能力――狩人の能力でもナイフ一本じゃ敵わないって事ですか?」
人間の体でそんな事が可能だとは思えない。だけど、現に俺が放った攻撃は一発も当たらず、それどこか殺される寸前まで追い詰められた。
極限まで自身を追い込む訓練を積み重ねれば、俺たちのような特殊感染者に匹敵する力を会得できるのだろうか。
「それは違うよ。僕と君の能力ならば、特殊部隊なんて赤ちゃんみたいなものさ」
流石にそれは話を盛りすぎだろう、と言いたくなるくらいな返答が帰ってきた。
「実際、君が倒される少し前から見ていたけど、能力を使っているようには見えなかった。原因としては、君が相手に合わせてしまっていたんだろう」
「合わせるって……俺は必死だったんですよ?」
互いにの命の奪い合いをしているんだ。そんな状況下で社交ダンスみたいに相手を気遣いながら動く余裕なんてあるわけがない。少なくとも、俺は一振りたりとも手を抜かなかったし、情けをかける事も無かったと断言できる。
「分かっているよ。だけど、相手は専門家って言っただろう?」
「……言ってましたね」
「君のナイフ術は教科書通りでしか無い。簡単に次の動作が予想できるし、返しも容易いんだよ」
そう言われたら返す言葉もない。教えたのはアンタだろうと、もっとちゃんと教えてくれれば良かったのにと思ったけれど、言える雰囲気でもないのでグッと堪えて我慢した。
「君はね、恐怖に負けて守りに入ってしまったんだ。打ち込んだら返される、この現象が脳裏にこびりついて身動きが出来なくなり、訓練通りの動きしか出来なくなった」
「そう言われても……これしか教わってないですし……」
「ああごめん、説教しているつもりじゃないんだ。原因は教えた僕にあると言っただろう? それにしても焦ったよ。あと数秒遅れていたら君が殺されていたと思うと本当に背筋が凍る思いさ」
そう口する工藤さんは困ったように眉を曲げながらも口元が笑っている。
何処までが本気なのか分からないが、言っている事は間違いので黙って聞いている事しか出来ないのだった。
「取り敢えず、伝えたい事は一つだけ」
「銃を使うって事ですか?」
「うん。まだナイフだけじゃ通用しない。上手く銃を使って殺すんだ。いいね?」
「自信ないですけど……分かりました」
あの鮮やかな銃さばきを咄嗟に出来るのかは分からない。でも、それが出来ないと自分が殺される事だけはついさっき嫌ってほどに思い知らされた。
「それじゃ、僕は発電所に戻って敵が残っていないか確認するよ。君はこの場で索敵を頼むね。道路、山林、谷底、見える全てを警戒するように」
「はい。後は工藤さんが五十嵐さんへ無線を送って、輸送機を着陸させるんですよね?」
「その通り。お互いに頑張って行こう! じゃあね~!」
最後の一言を手短に口にし、工藤さんが猛スピードで発電所の方へと駆け出していった。
その後姿を見送った後、望遠鏡を取り出して周囲の索敵を開始する。
敵なんているわけがない。今日の作戦の為に無人偵察機を飛ばして何度も敵の存在を確認し続けていたと聞いている。俺が立っているこの道路に二名だけ配置され、それが変わることが一度も無かったとの事だ。
それを聞いているから俺の視線は自然と遥か遠くに見える街明かりへ向けられた。
疎らに輝く人工的な明かりは何処か儚く美しい。けれど、あれは全て悲しみの光だ。
あの町に感染者はいないと何日か前に聞かされた。今まさに俺たちが対峙している特殊部隊が町中の感染者を皆殺しにしたと聞かされたんだ。だから俺が見ている明かりは機械的に灯っている明かりだけで、命有る者が灯した明かりは一つたりとも存在しない。
悲しみ、恨み、そういう感情は湧かない。仕方がなかったと割り切っているわけじゃないが、何とも不思議な気持ちだけが俺を包んでいた。
『工藤です。発電所の制圧を完了しました。遠藤君はどうかな?』
無線が耳に響き、感傷的な気分を払って報告を送る。
「遠藤です。周囲に敵は確認できません。着陸に問題ありません」
『五十嵐三佐。安全が確保されたので着陸させてください』
『了解。これよりヘリポートへ向かいます』
短いやり取りが済み、再び望遠鏡を覗き込んでヘリポート周辺を見渡す。敵なんているわけがないと分かっていても、万が一があればナオが危ない。
遠くからプロペラ音が聞こえ始め、一分もすれば山の向こう側から二機の輸送機がヘリポートへ向かって姿を現した。
そのままスムーズな動きで着陸を済ませると、機内から総勢六十名の自衛隊員たちが駆け足で降りてくるのが見える。
ナオと五十嵐さんの姿が見え、暫くヘリポート上で話し合っている姿を眺めていると、ほぼ一斉にと言ったタイミングで二つに別れた部隊が勢いよく坂道を駆け上がり始めた。
『移動開始しました。状況に変わりありませんか?』
軍靴の音が混じる五十嵐さんからの無線が鼓膜を揺さぶる。
『ありませんよ。そのまま進んでください』
「俺の方も問題ありません。進んで大丈夫です」
坂道を登りきり、俺に向かって走ってくる集団を眺めながら無線を飛ばした。
集団と距離が近づくにつれて足音と言うか、ヘルメットの揺れる音や、装備している様々な物が隊服と擦れる独特の音が聞こえてくる。
それはまあ分かるのだが、何と言うか五月蝿い。明らかに男たちの大声が響いてくるんだ。
常識的に考えて男の声なんて聞こえる訳がない。だって、男は俺しかないわけで、あとはナオと五十嵐さんの女性が二人だけ。
俺は何も喋っていない。と言うか、そもそも声は前方から聞こえてくる。
『ヤルゾォオオオッ!!』
『オオオォォ――ッ!!』
まるでお祭り騒ぎ。そうとしか思えないような喧騒が迫ってくる。
唖然とした表情で向かってくる集団を待ち構えていると、まずは五十嵐さんを先頭に足並みを完璧に揃えて走る部隊が俺の横を通り抜けていった。
「遠藤! 貴様は最後尾で周囲を警戒しつつ着いてこい!」
「五十嵐さん! あの……後ろのアレは何ですか!」
「知るかッ!! 私に聞くな!!」
意外すぎる返答。そのまま聞き返す間もなく五十嵐さんが率いる部隊は走り去っていった。
怒りの中にも疲れを感じさせる表情を浮かべていたようだけど、一体何が起こっているのだろう。
今正に起こっている不可思議な状況に思考が追いつかない。そんな俺の心を知る由もないと言わんばかりに第二陣である騒がしい集団が目の前を駆け抜けていく。
何と言うか、もう単なる大騒ぎだ。隊員の中に口を閉じている者は一人としていない。
その中で一際目を引いた光景があった。
それは今でも毎日顔を合わせ、両親を除けば誰よりも長い時間を共にして来た幼馴染。佐々木ナオという存在がどうしてか騒ぐ者たちに神輿みたいに担がれ運ばれている。
「いけ~!! 進め~~っ!!」
ナオが大声で号令をかけると、周囲の者たちがはち切れんばかりの声を張り上げる。
もう訳が分からない。本当に何がどうなっているんだ?
そんな光景を眺めながら呆然と立ち尽くしていた時、突然に背中を押されて無理矢理に集団の中へ加えられた。
「お嬢の彼氏ってのはアンタだろ! なあ!」
「おじょ――はあ? どういう意味ですか?」
俺の背中を押しながら走る一人の隊員に意味不明な言葉を投げかけられて首をかしげる。
お嬢って何だ? 誰だ? ナオか? そもそも、何でこの人は俺に話しかけられるんだ?
この人は間違いなく感染者だ。そうじゃなきゃこの場にいるわけがない。だけど可怪しい、この人は俺の知る感染者とかけ離れている。
感染者と言うのは流暢に言葉を話せない。そもそも口するのは言語じゃなくうめき声。俺たち特殊感染者はそれを言葉として理解出来るだけなんだ。
なのに、この人は紛れもない日本語を口にしている。しかも、普通の感染者と違って不自然な間を開けずにスラスラと唇を動かしているんだ。
「貴方は……人間なんですか?」
「俺が? ハッハッハ!! 嬉しいねえ! そうだよ、俺は人間なんだ!」
有り得ないと思っていた問いかけに対し、本当に予想していなかった答えが返ってきた。
「とは言っても、一時的なものだけどな。あれだ、シンデレラみたいなもんさ」
「シンデレラ……?」
「十二時の鐘が鳴れば魔法が解けるってね。お嬢はシンデレラに登場する魔女なんだ!」
相手はかなり興奮しているようで、話の意味がまるで理解できない。ただなんとなく、この騒ぎの元凶はナオって事だけは分かった。
それからも矢継ぎ早に掛けられる他愛もない世間話のような会話に適当に相槌を打っていると、回りから一人また一人と話し相手が増えていく。その人たちも当たり前のように日本語を話し、生存者と変わりない動きと会話が出来た。
何度も人間に戻れた原因を聞きたかったのに、相手の力強い会話術に負け続け、気が付けば発電所が目の前まで迫っていた。
『全隊――止まれッ!!』
お祭り騒ぎの集団の前列から聞こえた号令に一同が機械的に足並みを揃えて静止する。
最後尾の俺は発電所の入り口にも差し掛かっていない遥か後方。そこから隊列を抜け出して前方を覗くが詳細は確認できない。唯一分かったのは命令とは言え、五月蝿すぎる集団が一人として言葉を発さなかった事だった。
別にナオの部隊と一緒にいる必要もないから何気なく発電所へ足を向ける。
集団の先頭を追い越し、五十嵐さんの部隊を外側から回り込んで最前列に立った瞬間、人間の本能が働いて咄嗟に口元を掌で押さえた。
「よお、先輩。ちゃんと生きてたかよ」
聞こえてきた声に顔を向けると、普段と変わらない龍太郎が白い歯を向けながら右手を上げて出迎えてくれていた。
その姿、シルエットだけを見れば普段の龍太郎だ。けれど、その全身は真っ赤を通り越し、ほぼ赤一色に塗り潰されている。
地面には龍太郎の姿と同じ赤が一面に広がり、純粋な赤を汚そうとするように、黒い物体が散乱しているのが見て取れた。
「正直……何も言えねえ……。怪我は無いか……?」
「ああ? 言ったろうが、俺様を殺せるヤツなんざいねえよ」
当たり前のように言い放つ龍太郎。その言葉にも俺は空返事しか出来なかった。
大地は鮮血で染め上げられ、人間の姿を保っている者はなく、全てが歪な肉片に変わり果て地面に転がっている。
本当に龍太郎の言う通りだ。人間が要塞に敵うはずがない。
分かっていたはずなのに、この凄惨と言う言葉を遥かに超えた現場を目の当たりにし、強烈に再認識させられたのだった。




