フライングスタート
五十嵐さんを基地まで運んだ後、自室で時間を潰していると集合の時間を伝えるメールが届いた。
連絡手段を持たない龍太郎にその旨を伝え、ナオも加えた三人で再び基地へと向かう。
「五十嵐三佐は忙しくてね。今日だけは僕が君たちの面倒をみるよ」
今朝の出来事を思い起こすように基地の入口で待っていた工藤さんに連れられ、俺たちは作戦会議で利用している建物へ案内された。
五十嵐さんが訓練を担当することは多々あったけれど工藤さんは初めてだ。珍しい事もあるのだなと着いて行くと、案内された場所は何故だか建物の屋上だった。
「こんな場所で何をするんですか?」
渇いた風が肌を撫でる屋上で問いかける。
俺は高所から安全に着地する訓練で利用しているけど、龍太郎やナオには無縁の場所だ。
「僕の体は一つだからね。まずは遠藤君と龍太郎君の訓練。その後で佐々木君の訓練をするよ」
「いらねえよ。さっさと天皇だか総理だかを救助させろや。俺様だけで十分だろうが」
「落ち着けって」
苛立ちを隠す素振りすら見せずに龍太郎が食って掛かっている。
肩を叩いて宥めようとするが、口から飛び出す文句の量に変化は見られず、剣呑な雰囲気が場を包み込んでいった。
「十分じゃないから訓練するんだよ。それに、作戦の開始はまだまだ先の話さ」
「ふざけんなよ。若葉が待ってんだ、さっさと始めろ」
「グッチグチ、グッチグチと変態は煩いわねえ」
「あ? 文句でもあんのか?」
横槍を入れたナオにも高圧的な態度と発言で噛み付いている。
どうしてこう協調性の無い奴らばかりなんだろう。
龍太郎の妹に会いたいという気持ちは理解できるけど、作戦の内容を考えれば直ぐに始められるわけが無いのは理解できるはずだ。
ナオだって龍太郎の気性を知っているのだから放っておけばいいだろうに。
そりゃまあ、着衣を頑なに拒み続けた結果、未だに海パン一枚なのだから、嫌悪感を顕にしてしまうのも頷けるけどな。
「まあまあ、そのくらいにしとけ。工藤さんは無駄な事はしない人だからさ」
「え? 僕ってそうなのかい?」
「何で本人が否定すんですか! 空気読んで言ってんだから話を進めて下さいよ!」
軌道修正しようと思ったのに、元凶の人物が巫山戯た態度を取っている。これこそ工藤さんの真骨頂だと分かっているが、今だけは口裏を合わせて欲しいものだった。
「ごめんごめん。話を戻すけど、龍太郎君が訓練をクリア出来ないと作戦も始められないんだ」
「どういう意味だ? 何させようってんだよ?」
「難しい訓練じゃないよ。屋上から飛び降りて着地するってだけ」
「はあ? 何を言ってんだ?」
理解不能な内容に対して素頓狂な声を上げる龍太郎。
俺にとっては日常的な訓練だから何も感じないけれど、通常の感覚を持った人間なら、三階建ての建物の屋上から飛び降りろと言われたら首を傾げたくもなるだろう。
「作戦の詳細は決まってないけど、君が輸送機から降下することは決まっているんだ」
「意味が分からねえ。着陸させりゃいいだけだろうが」
「無理無理。現地では精鋭の隊員たちが守りを固めているんだ。そんな余裕は無いよ」
「知るか。何が悲しくて飛び降り自殺みてえな真似しなきゃならねえんだ」
至極真っ当な拒絶をする龍太郎。
それから二人の間で飛ぶ飛ばないの口論が続き、退屈そうに床へ腰を下ろすナオを横目に見ながら、決して救いの手とは呼べないと思いつつも龍太郎の肩に手を置いて口を挟んだ。
「俺だって何度も飛んでるし大丈夫だって。それに、お前は不良だろ? 不良なら飛べるだろ」
その一言で文句だらけだった唇の動きが止まり、怒るでも悲しむでもなく、何とも表現の難しい表情をした龍太郎が俺を見つめ返した。
口にしてはいけない一言だったのだろうと思う反面、龍太郎が駄々をこねたら不良を引き合いに出せば素直になると分かった事は大きな収穫だった。
「どうしても嫌なら考え直すよ。不良でも怖いものは怖いって事なんだね」
咄嗟にかけた俺の言葉で龍太郎の弱みを察したのか、工藤さんはすかさず不良という魔法の単語を駆使して逃げ場を塞いでいく。
「怖えわけあるか!! こんなもん……階段だ階段!! 階段を一段降りる程度なんだよ!!」
「じゃあ飛ぼうか」
龍太郎の正面に立っていた工藤さんが脇に避け、屋上の手すりへの道を開ける。
「ちょ、少し待っ……しかた――仕方ねえな! やってやるよ!!」
あまりに完璧で絶望的なお膳立てをされ、見事なまでに龍太郎は断る選択肢を失った。
鼻息を荒げて手すりを乗り越えた龍太郎だったが、そこからスムーズに飛び降りるとはいかず、地上を見下ろしている内に、興奮で赤く染まった頭が目に見えて青白いものに変化していく。
「飛んだ後、能力を使ってから着地するようにね」
「分かってんだ!! 集中してんだから邪魔すんじゃねえ!!」
青白かった後ろ姿がみるみる内に赤く染まっていくのを眺めながら、見守ることしか出来ない俺はナオの隣に座って様子を見守った。
「タクトって何時も飛んでるけど、怖くないわけ?」
「怖いのは一回目だけだったなあ。今じゃどんな高さから落ちても平気になった」
腰を下ろしたタイミングで問い掛けてきたナオに返事をしながら昔を振り返る。
口にした通り、恐怖を感じたのは最初だけ。一度飛べば己の能力を実感し、高所の恐怖は微塵も感じなくなったんだ。
それはきっと龍太郎も同じだろう。
そもそも、三階建ての屋上からなら頭から落ちない限り、普通の人間でも死にはしない。特に特殊感染者である俺たちは体が頑丈だし、骨折したとしても直ぐに完治してしまう。
「自分のタイミングで飛んでいいから。どれだけ時間かけてもいいよ」
「分かっ……てんだよ!」
「ほら、手すり掴んだままでいいからスクワットして。そうすればタイミング掴めるから」
「こ、こうか……?」
「いい感じだよ。心が静まったら手を離してゆっくりとスクワット。そうそう、その調子だ」
工藤さんの言葉通りに動く龍太郎を見ていると笑いが込み上げてくる。笑っちゃいけないと分かっているのに、あまりにも昔の自分と重なってしまって堪えられないんだ。
「何そんなウケてんのよ?」
「だってナオ、お前あれ凄いぞ。俺と同じ過ぎてヤバいって」
「同じって何が?」
「凄えんだよ。見てりゃ分かる。凄えから、酷すぎて凄えよ」
不審な目つきで俺を見つめるナオには分からないだろう。これは当事者の俺と工藤さん、それと今から新たに加わる龍太郎にしか分からないものだ。
「イチ、ニの、サンで飛ぼう。まず練習で本番はその後。ほらイチ、ニの」
「イチ……ニの……サン……イチ、ニの……」
洗脳されたように工藤さんの言葉に従って龍太郎がスクワットを始める。
本当に痛いほど気持ちが分かる。高所からの飛び降りなんて人生で一度も経験した事が無いのだから怖いし慎重になってしまう。そんな恐怖に、あの人は悪魔のように入り込んでくるんだ。
工藤さんが足音もたてず一歩だけ下がって右足を持ち上げる。
「それじゃ本番行ってみよう。三つ数えるのを三回やった後に飛ぼうか」
「あ、ああ、分かったぜ……」
龍太郎は振り返りもしない。言われた言葉に頷いて、そのままスクワットを再開した。
「イチ! ニィ――」
「はい、行ってらっしゃい」
恐怖を振り払うように腹から声を出して数えだした瞬間、工藤さんの微塵の躊躇いも見せない蹴りが龍太郎の背中を襲い、あの二メートルあろう図体を空中へと押し出した。
「サァァァッ!?」
「――ちょ!?」
瞬く間に視界から龍太郎が消え失せ、数秒とも経たずに大きな衝撃音が手すりの向こう側から聞こえてきた。
唐突な出来事にナオは腰を浮かせて驚愕している。俺はその肩に手を置いて落ち着かせた。
「大丈夫だって。死にはしねえから。俺も同じ事されたしさ」
「何やってんの!? アンタたちは何やってんの!?」
「訓練だろ?」
「どう見ても殺人でしょ!?」
「大袈裟だなあ。生きてるんだから殺人じゃねえって」
「ブラックな体育会系でも、ここまで酷いことしないわよ!!」
「大丈夫なんだって。あれでもう訓練は終わったようなもんだし、俺なんて倍近い高さから蹴飛ばされたんだぞ」
声を荒げる事では無いと思っていたけど、ナオには刺激が強すぎたようだ。
『コラアァァァ!!』
遠くから聞こえてきた龍太郎の怒声を聞きながら、ナオに問題ないだろうと伝える。
「遠藤君、この先は任せていいかな? 僕は佐々木君の訓練をしないとだからさ」
「分かりました。でも、飛ぶだけでいいんですか?」
「それでいいよ。今の倍の高さは必要だから、そこまでお願いね」
工藤さんの指示に黙って頷きを返し、立ち上がった後に手すりまで近づく。
そのままナオへ向かって右手で別れの合図を贈り、屋上から飛び出して地上へと向かった。
「どういう事だコラァ!!」
俺が着地して直ぐに能力を発動させて巨大化した龍太郎が詰め寄ってくる。
着地地点であろうアスファルトの地面がクレーターのようにヘコんでいる事から相当な衝撃だったと想像できるけど、龍太郎の体を見た限りじゃ傷の一つも見当たらない。
「まあまあ、今ので訓練は終わったんだ。俺も同じことされたし、荒療治ってやつなんだよ」
「限度があんだろうが! 死んだらどうすんだ!!」
「この程度の高さじゃ死なねえって。だから落ち着いて能力を解いてくれ」
ただでさえ要塞の能力にトラウマがあるというのに、血走った眼で巨大な筋肉の塊が迫ってくると尋常ではない恐ろしさだ。
鼻息を荒げて激しく体を上下させながら強烈な圧迫感を放つ相手を鎮めようと、何とか笑顔を作って語りかける。
冷や汗をかきながら暫く向かい合っていると、ようやく平静を取り戻したのか、龍太郎の体が元の人間の姿へと戻っていった。
「もう訓練は終わりでいいのかよ?」
「いや、今のを何度も繰り返す」
「何でだよ!? 終わったって言ったじゃねえか!!」
「大丈夫だから、次はもう怖くねえって。冗談抜きで何も感じねえから」
「……本当かよ?」
「嘘じゃねえよ。目標は今の倍以上の高さだけど、正直に言ってさっきのが一番怖いんだよ」
恐怖なんて個人差があるし、感覚的なものだから明確な説明なんて出来ない。だけど、あの高度から心の準備もままならずに落下して無事でいられると、頭のネジが外れたように怯えが吹き飛んでしまうんだ。
「それじゃ続けるぞ。屋上までは俺が運ぶから」
「オイ待て。待て、触るな――待っ!?」
俺が歩み寄るのに合わせて後退る龍太郎だったが、呑気に待っている暇もないから無理矢理に抱き上げで屋上まで飛び上がる。
その後はひたすらに龍太郎を屋上から飛ばせ、着地しては屋上に運び直し、そしてまた飛ばせるという訓練を延々と繰り返し続けるのだった。




