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作り笑顔

 脈絡なく訪れた恐怖の権化に腰を抜かして尻餅(しりもち)をついた。

 心臓が破裂するぞとばかりに高鳴っている。呼吸も乱れに乱れて満足に肺へ空気を取り込むことが出来ない。


「酷く(おび)えているようだな。どうした? まさか貴様、私に怯えていると言いたいのか?」


 そう口にした五十嵐さんが(おもむ)ろに一歩此方(こちら)へ歩み寄る。

 即座に危機を察知した俺は慌てて体勢を立て直して土下座した。


「め、めめ滅相も御座いません!! マザーテレサの生まれ変わりだと思っていますぅぅ!!」

「偉人に例えられるのは悪い気分ではないな。ないが、前にも同じ名を使っていたな?」

「へっ!?」

「適当に()めておけば良いと。なるほど、貴様はそう考えているわけか」

「いやいやいや!! 違います! 違いますって!! 靴を()めれば良いですか!?」


 もう自分でも何を言っているのか分からない。目の前に仁王立ちする第六天魔王を怒らせてはいけないという考えしか頭になかった。

 必死に五十嵐さんの足に擦り寄って本気で靴を舐めようとした時、直ぐ隣の部屋のドアが乱暴に開け放たれ、不機嫌そうな表情をしたナオが顔を出した。


「うるっさいわね! 何を騒い――ゲッ!?」


 怒鳴り声を上げた瞬間、五十嵐さんの存在を視認したナオは慌てて引っ込んでしまう。

 ドアを施錠する音が廊下中に鳴り響き、残されたのは静寂だけだった。


「ナオはあっちです! 俺の部屋にはいませんよ! 何なら蹴破りましょうか!」

「その必要はない。用が有るのは貴様だ」

「えっ……」


 絞首台に立たされていた気分だったのに、ついに足場が開いて落下していく感覚に襲われた。


「邪魔するぞ」


 脇に置いていた釣り人が使っていそうな巨大なクーラーボックスを肩にかけると、靴を脱いで中へと入っていく。

 玄関先で取り残された俺は、訳も分からず後を追いかけた。


「何もない部屋だな。テーブルの一つも無いのか?」


 勝手に上がりこんだ五十嵐さんは部屋の様子を見回しながら床にクーラーボックスを置くと、自身もその場に腰を下ろす。


「和室にゲーム機があるくらいです。ナオが要求しまくったせいもありますけど……」


 必要な物は頼めば揃えてくれるという言葉にナオが甘えまくった結果、あまりにも酷い要求の数々に俺は自重していた。俺の部屋はあくまで風呂や睡眠用で、暇潰しは殆どナオの部屋で行っている状態だった。


「物寂しいが、佐々木の部屋より百倍マシだ」

「あの部屋は散らかってますからね」


 今直ぐに帰ってくれと心の底から言いたい気持ちを飲み込んで正座する。

 五十嵐さんは上着のボタンを二つほど外すと、クーラーボックスからウイスキーのボトルと大型のジョッキを取り出した。

 人の部屋で酒盛りでも始めるのかと伺っていたら見事に的中し、ジョッキをまるでハンドスコップのように操ってクーラーボックス内にある氷を(すく)い上げ、(ふた)を開けたウイスキーを逆さまに傾けて注ぎだした。


「あの……?」

「何だ?」

「いや、何をしているのかなと……」

「見れば分かるだろう」


 行動の意味自体は分かるんだ。間違いなく酒を飲もうとしているのだろう。ついでに灰皿とタバコまで取り出したから飲んで吸って楽しむって事なのは分かっているんだ。

 それ自体に問題はないのだけど、何で俺の部屋でやっているのかがまるで分からなかった。

 予想通り五十嵐さんはジョッキを豪快に(あお)り、タバコに火を点けて煙を吐き出している。

 再び酒を煽ってはタバコを吸いを繰り返した後、徐ろに太ももへ手を当てると、テーブル代わりにしていたクーラーボックスの上に荒々しく拳銃を叩き置いた。


「――ッ!?」


 本能的に身体が硬直するのを感じる。

 工藤さんが別件で訓練に参加できない時は五十嵐さんが俺の面倒を見ていてのだが、少しでも手を抜いたり気に食わない事があると決まって発砲された。

 今まで何度あの拳銃の標的になったのか数えるのも嫌になるくらいに味わってきたんだ。暴徒鎮圧用とか言う殺傷能力の低いゴム弾とか言って好き勝手に撃ちまくってきた。

 やっと大仕事を終えて安心していたのに何でこんな目に合うんだ。と言うか、作戦後って事はあの拳銃には実弾が装填されているんじゃないのか? そもそも、基地の外に持ち出していい物じゃないだろうが。


「貴様の部屋だ。もっと楽にしていい」


 頭の中で罵詈雑言(ばりぞうごん)の限りを並べ立てていると不意に声を掛けられた。

 小さく頭を下げ、あぐらをかいて五十嵐さんの顔を伺う。他人の部屋とは思えない勢いで酒を煽る姿は何とも言えない不安が込み上げてくる。


「あの、俺に用って何でしょうか?」


 そう問いかけたが返答はなかった。代わりにジョッキの酒を一気に飲み干し、氷の補充もせずに追加の酒をなみなみと注いでいく。

 躊躇(ためら)うことなくラッパ飲みし始めた寡黙(かもく)な相手に居心地が悪くなり、何か気の利いた話題はないかと思考を巡らせる。


「そう言えば、工藤さんの手術は大丈夫でしたか?」


 都合よく共通の話題を見つけ、軽い気持ちで尋ねてみた。

 その瞬間、五十嵐さんのジョッキを煽る動作が止まり、刃物のような視線が俺を貫いた。


「どうして知っている?」

「……え?」

「盗み聞きしていたのか?」


 そう口にした五十嵐さんはジョッキを乱暴にクーラーボックスへ叩きつける。

 最悪な事に地雷を踏んでしまった。工藤さんが手術するってのは盗み聞きして知った事なのをすっかり忘れてしまっていた。


「い、いや! あれです! 学校から離陸する時に手術が必要って聞いてたんですよ!」

「工藤一佐は治療するとだけ伝えたと言っていたぞ」

「…………」


 脂汗をかきながら必死に脳漿(のうしょう)を絞って生存率の高い方を導き出す。


「実は聞いてました! わざとじゃないんですぅ!!」


 素直に土下座する事が最も痛みが少ない選択肢だと判断した。

 本当に軽率だった。少しでも会話を弾ませようなんて欲を出したのが間違いだったんだ。

 何発の弾丸が撃ち込まれるだろうか。避けようとすれば余計に気分を害する事は既に経験済みだから甘んじて受け入れるしかない。

 願わくば拳銃に込められた弾丸がゴム弾であってほしい。流石に実弾をぶっ放すような異常者ではないと信じたいけど、あれだけ酒をがぶ飲みしていたら正常な思考なんて難しいだろう。


「手術は無事に済んだ」


 意外な返答に床に穴が開く程に叩きつけた頭を上げて五十嵐さんの顔を覗く。

 拳銃を手に取るような素振りは見られない。相変わらずジョッキに注いだ酒を飲みながらタバコを吹かしているだけだ。


「そう、ですか。それは安心……ですね?」

「安心か。はっ……確かにそうだな。貴様は工藤一佐をどんな人物だと思っている?」

「え?」


 脈絡なく話の内容が変わり素っ頓狂な声を上げてしまう。

 質問の意図がまるで分からないけど、答えないわけにもいかない。


「変な人ですかね。自衛隊っぽくないと言うか、かなり(ゆる)い人だなと。自衛隊ってこう、もっと体育会系なイメージだったので」

「他には?」

「後は……いつも笑ってますよね。正直、怒ってるとこを見たことがないです」

「そうか」


 五十嵐さんは一言だけ呟いて酒を口にする。

 この会話に何の意味があるのだろうか。こんな話をする為だけにわざわざ俺の部屋を尋ねたってわけでもないだろう。

 タバコの火を揉み消す様子を眺めながら相手の返答を待ち続ける。

 (しばら)く静かな時間が過ぎ、待っていた答えは二本目のタバコへ火を点けた後で静かに語られた。


「あの笑顔は全て作り物だ」

「そりゃ俺やナオみたいな学生が相手ですから。気を使ってくれてるのは理解してます」

「違う。あの笑顔は違う。あれは酷く(いびつ)な理由で作られた仮面なんだ」

「……? 良く分からないです。作り笑いってのは元々そういうものじゃないですか?」


 右も左も分からない俺たちの面倒を見るなんて苦労の連続だろう。それでも協力させるよう機嫌を伺わないといけないのだから、苛立ちを感じても腹の底に仕舞っているに違いない。

 俺たちだってそれくらいは分かっている。だからこそ、人命救助という責任重大な作戦に今日まで付き合ってこられたんだ。

 言ってしまえばそれだけの事なのに、五十嵐さんは念を押すように言葉にすると言うのは別な意味合いがあるのだろうか。


「工藤一佐が感染するまでの事は聞いたことがあるか?」


 酔っているのかもしれないが、また唐突に話題が変わった。

 それは前に聞いたことがある。あくまで印象でしかないが、何とも工藤さんらしいというか、そんな話だったはずだ。


「怯えている間に噛まれて感染したって話ですよね。本人も間抜けだって言ってましたよ」

「そんな事を……そうか。そう伝えたのか」


 まるで間違っているような、そんな何とも歯切れの悪い返答だった。

 そんな反応をされると俄然(がぜん)気になってしまう。


「違うんですか?」


 問い(ただ)そうと尋ねたが返事は無い。その代わり、ジョッキに口をつけたまま勢いよく天井へ向けて残った酒の全てを飲み干した。

 勢いそのままにクーラーボックスにジョッキを叩きつけると、酔いが回って赤らんだ顔を俺へ向けて静かに口を開く。


「あの人は生き延びた。誰よりも生き延びてしまったんだ」

「え……?」


 五十嵐さんが口にした言葉は本人が口にした言葉とは正反対のものだった。


「私にはあの人の……工藤一佐の笑顔が怖くて堪らない……」


 サングラスを掛けていない裸の表情は言葉通りの恐怖がありありと浮かんでいた。

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