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キャトルミューティレーション

「走る能力は問題なさそうだね。なら、もっと実践的な訓練をしよう」

「実践ですか?」

「実際の現場では速度を上げている暇は無いよね。求められるのは急発進と急停止なんだ」


 なるほど納得だ。いざという時に呑気《のんき》に動く者はいない。

 必要なのは即座にトップスピードを出せるような瞬発的な使い方ってことか。


「やることは単純。立ったまま向いている方向へ全力で走り、急停止するだけ。一度見せるから見ていて。特に止まる時に注意が必要だから見逃さないでね」


 俺が頷《うなず》くのを確認した後、自然体とでも言うようにゆったりとした姿勢で立つ。

 そして次の瞬間、目の前の男が視界から消えた。


「くっ!!」


 慌てて工藤さんが向いていた方へ顔を向けると強風が襲《おそ》いかかる。巻き上がる砂塵《さじん》に目を細めながらも疾走《しっそう》する背中を何とか捉《とら》えると、あの一瞬で既に二十メートルは離れていた。

 あまりにも速すぎる。速すぎて気味が悪い。

 その後直ぐに俺へ振り返り、地面に倒れ込むような勢いで身体を倒してブレーキをかけ始めた。両足の側面で地面を削りながら停まろうとする姿は何処となくスキーを連想してしまう。

 湧き上がった砂煙《すなけむり》に身体が包み込まれた直後、巻き起こった強風が砂煙を吹き飛ばす。その先には完全に停止した工藤さんが立っていた。

 俺にも同じ芸当が出来るだろうか。いや、出来ないと大根おろしのように身体が削られるらしいから、万が一にも失敗できない。


「見てたかい? 止まるコツは怖がらず一気に身体を回すこと。それと、僕と同じくらい身体を倒したほうが良い。倒し方が浅いと前に引っ張られてバランスを崩すからね」


 駆け足で戻ってきた工藤さんが止まり方のアドバイスをしてくる。だれど、口頭で説明されてもイマイチ分からない。

 本人が言っていた事だが、やっぱりこの能力は使って慣れるしかないようだ。


「分かりました。やってみます」

「僕と同じ速度は危険だから、最初は加減していこう」


 まったくもって同感だ。あんな速度でスタートしたら間違いなくすっ転ぶ。

 軽くでいいんだ。利き足に少しだけ力を込めて地面を蹴《け》るだけでいい。垂直跳びの時みたいな失敗は一度きりで十分だ。

 絶対に無理だけはするなと強く心で念じ、深呼吸を三回行った後、爪先《つまさき》に力を込めて地面を蹴り飛ばした。


「――うっ!?」


 結果は一瞬で分かった。あまりの酷《ひど》さに笑いたくなってくる。

 右足で勢《いきお》いよくスタートしたまでは良かった。だけど左足が前に出てこない。今直ぐ地面を蹴らないといけないのに、肝心の左足はようやく持ち上がったばかり。

 今の格好は多分、左足を曲げながらヘッドスライグしているような感じだろう。

 サンマに乗った大根おろしが脳内を埋め尽くした瞬間、左膝《ひだりひざ》が地面に触れ、顔面が地面と激突した勢いで身体が縦回転して空に飛び上がった。そのまま空中で一回転した後、思いっきり地面に叩きつけられてようやく止まった。


「大丈夫じゃないだろうけど、大丈夫かい?」

「……痛い」

「いやあ、中々に芸術点の高い飛び方だったよ。何と言うか、エフワン見てるみたいでさ。車ってこんな吹っ飛び方するんだ、みたいな感じ」


 こっちの身を案じる素振りを微塵《みじん》も感じさせない工藤さん。それどころか、これでもかってくらいに煽《あお》ってくる。


「今回は失敗だけど次は成功するさ。僕もそうだったからね。それに、僕と違って遠藤君は大根おろしにならずに済んだじゃないか」

「そうですけど、そんなもんですかね……」

「そんなもんだよ。失敗すればするほど能力に慣れていくってね。さあ、立って」


 差し出された手を取り立ち上がる。

 かなり派手に吹っ飛んだはずだが痛みはもう感じない。どうやら俺も工藤さんと同じ異常な回復力を持っているらしい。

 それからも失敗は続いた。何度も失敗して何度も怪我をする。けれど、その度に自分の体が能力に適応していくのを実感するんだ。

 そんな痛みすら喜びに感じ始めた頃、ナオと五十嵐さんが俺たちと合流した。


「工藤一佐、そろそろ時間です」

「本当だ。では、ここからは僕が」

「はい。失礼します」


 最低限の会話を交わして五十嵐さんが去っていく。

 ある程度まで見送った後、工藤さんが俺たちへ向き直る。


「それじゃ、僕たちや感染者について話していこうか」


 手で座るように促《うなが》され地べたに座り込む。

 工藤さんが俺とナオの間に割り込んで座ると、地面に字を書きながら話し始めた。


「まず感染者について分かっていることを話そう。君たちに教えたのは、仲間を増やす為に人間を襲っているってことと、人間に近付くと意識を失うってことだったね。他の特徴は分かるかい?」

「動きが鈍いとか、呻《うめ》き声が言葉に聞こえるとかですか?」

「あとは傷の治りが早いのもじゃない? あ、でもこれは工藤ちゃんやアタシだけかも」


 普通の感染者の傷を見たことがないから分からないけど、工藤さんやナオの回復力を見ていると普通の感染者も常人より高い回復力を持っているように思える


「いや、普通の感染者も傷の治りは早いよ。ただ、これは回復というより再生に近いんだ」

「再生?」


 回復と再生。どっちも傷が癒《い》えるって意味だと思うのだが、果たしてその言葉に違いなんてあるのだろうか。


「これはまだ噂《うわさ》のような話しではあるけど、とある病院に入院している白血病の患者がいるんだ。その患者が感染してから目まぐるしい勢いで回復へ向かっているんだよ」

「白血病が回復……」


 ニュースで時々耳にして、聞いている限り絶望的な病気だとは分かるけど、正直なところ白血病ってどんな病気か分からない。

 でも間違いなく難病の中でも最大級の病気には違いないはずだ。それが感染してから回復に向かっているっていうのは凄いな。


「他にも食道癌《しょくどうがん》を患《わずら》っている患者が回復したっていう話もある。もちろん、間違いかもしれないし、正しくても直ぐに体調が悪化するかもしれない」


 癌《がん》まで治っているのか。できれば間違いじゃなく本当に治っているといいと心から思う。


「何を言いたいかと言うとね、僕たち人類はあらゆる難病を克服《こくふく》した可能性があるってこと。医者の必要ない世界が訪《おとず》れたかもしれないんだ」

「そうなった原因とかは分かっているんですか?」


 工藤さんの口にする世界は最高だ。でもそれは感染者に『なった』からだ。そんな存在がどんな理由で発生したのか分からない以上は素直に喜べるものでもない。


「まったく分からない。科学者の中で最も支持されている説が『宇宙人に改造された』だからね」


 工藤さんの答えは俺の想像を遥かに超えるほどに酷いものだった。

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