進入路
「ヒイィィィ!?」
「生きてるぅぅ!?」
てっきり今頃キャンバスに見立てた駐車場に真っ赤な花を描いているだろうと思っていた相手が平然と立っている。
「ああそうか、そうだよね。ん~……説明は出来ないけど、僕は無事だから安心して」
「いや、安心って言われても」
「無理でしょうよ……」
「まあまあ、時間がないのを忘れないように。急いで生存者を救い出そう」
差し伸ばされた手を掴んで立ち上がる。そのまま背中を叩かれて俺とナオは釈然としないまま機内から出た。
そこで俺たちを待っていたのは名状し難い光景だった。
輸送機を囲む大量の感染者、どの方向に身体を向けても前から後ろから悍ましい呻き声が聞こえる。上空から眺めている時とはまるで違う圧力、平静を保とうとしても冷や汗が頬や背中を流れていく。
しかしその圧力すら上回る不可思議な点があった。感染者たちが輸送機を取り囲んでいるのがあまりにも可怪しい。周囲の様子から判断するに輸送機は間違いなく集団の真上から着陸しているんだ。なのに一人も潰した様子はなく、それどころか感染者が自ら着陸場所を開けたように輸送機の周りには誰もいない。
感染者たちの呻き声は言葉に聞こえない。普段の呻き声なら日本語に聞こえるはずなのに聞こえないってことは、ここの感染者は間違いなく意識を失い生存者を狙っている。だからこそ、輸送機から離れるなんて行動が取れる訳がないんだ。
「遠藤君は僕と一緒に来て。まずは生存者と接触してみよう」
「え? え、ええ……?」
「五十嵐三佐、避難経路は任せましたよ」
「了解しました」
「しっかりやんなさいよ~」
手を振るナオの声を背中に受けながら工藤さんの跡をなぞって集団の中へ入り込む。
満員電車のような窮屈な人混みを掻き分け進めば進むほど頭が混乱してしまう。
「工藤さん!」
「ん? どうかしたかい?」
「どうやって着陸地点を確保したんですか? 変ですよ。周りがこんな状態なのに着陸地点だけ空いているなんて」
フェンスでも設置されていて物理的に侵入できないのなら分かる。けれど着陸地点にはフェンスどころかパーキングブロックすら置かれていなかった。
だとすると感染者たちが自主的にあの地点を空けたとしか考えられない。
「何も変じゃないさ。あれは五十嵐三佐が能力を行使した結果ってだけ」
「能力って……ナオと同じっていうやつですか?」
能力だと言われても何も想像できなかった。なんだろう、交通整理でもする能力だったりするのだろうか。
「そうそう。彼女たちは感染者を操ることができるんだ」
「操る?」
「意のままにね」
感染者を操るなんて都合のいい能力が存在するのか。いやでも、そんな能力でもない限り着陸地点の説明がつかない。
にわかには信じがたい。けれど世界中に感染者が溢れ、俺たちは感染しても人間らしいまま。ここまで摩訶不思議な状況なら感染者を操れたって不思議はないか。
そう納得した時、とある事を閃いた。
「もしかして、工藤さんが輸送機から飛び降りて無事だったのも?」
「察しが良いね。危険だから深くは教えられないけど、僕の能力だよ」
「危険……なんですか?」
「かなり直接的な能力だからね。ぶっつけ本番だと怪我するし、させちゃうのさ」
直接的と言われても分からない。確実に言えるのは、人ひとり抱いた状態で高さ数十メートルから落下しても無事でいられるということ。
そんな紐なしでバンジージャンプしても安心ですみたいな能力は正直いらない。
「おっと! 屈んで、屈んで」
「どうかしましたか?」
「入り口が見えたんだ。さすがに感染者に囲まれながら呼びかけるのはマズいからさ」
「怪しすぎて救助を拒まれそうですね」
入り口から外の様子を覗うと、感染者に囲まれた工藤さんがニコニコと笑みを浮かべて呼びかけてくるとか恐怖でしかない。そんなの怪しむどころか下手すりゃパニックが起きる。
と言うか、こんな密集地帯を進んでいる時点で手遅れなんじゃないか? 輸送機の音を聞いて確認したら俺たちが歩いて近づいてくるんだろ。アウトどころじゃない、ゲームセットだ。
「あの……俺たちってとっくに見られてるんじゃないですかね?」
「平気、平気。入り口からは感染者だらけで見えないし、窓は板か何かで塞がれていた。残るは屋上からだけど、今の所は誰も来ていないよ」
「防犯カメラは?」
「…………」
「嘘でしょ!?」
「いやあ、カメラは盲点だったね」
防犯カメラって重要だろ。窓を確認するのと同じくらい重要だろ。
気付くどころか意識すらしていなかった俺には批判をする資格なんてないが、取り返しのつかないミスに頭を抱えたくなってくる。
「冗談だよ、ちゃんと確認しているさ。だからこうして屈んでいるのだからね」
「そうだったんですか……?」
「そうそう。もし気づかれていたとしても僕が何とかするよ」
笑顔でサムズアップをしている工藤さんは頼りになるのか何とも微妙だった。
出会って一日も経っていないから分からなくて当然だけど、笑顔を絶やさず楽天的とも思えるような思考をする工藤さんより、理不尽が人間の形しているような五十嵐さんのほうが頼りになりそうだ。
「うわっ、本当に防犯カメラあるじゃないか!」
「…………」
わざと聞こえる声量で言ってるあたり隠す気が無いのだろう。工藤さんは悪びれる様子もなく正面入口の天井に設置された防犯カメラに驚いている。
サムズアップから五分すら経っていないというのにこの態度だ。もう呆れるというか凄い人だなと感嘆してしまう。
「脱出は正面入口からだけど、僕たちは感染者がいない場所から入らないと」
「感染者が建物内になだれ込んだら大変ですもんね」
「理解が早くて助かるよ。窓も塞がっているし壊すのもね」
「屋上から入れるんじゃないですか?」
工藤さんは屋上に生存者の姿は確認できなかったと言っていたから出入り口が無いのかもしれないが、非常口の一つくらい備わっているんじゃないだろうか。
「う~ん……そうだね。感染者もいないだろうし、まずは屋上から調べてみようか」
「何処かにハシゴがあると良いんですけど」
「それは問題ないさ。着いてきて」
我に策ありとばかりに再びサムズアップし、屈んだままスーパーマーケットを迂回するように進んでいく。
それにしても窮屈だ。立って進んでいた時もそうだったけれど、屈んでいる今はその時の比じゃない。呼吸が苦しくなるほどに圧が増している。
何とか息継ぎしながら感染者たちの腹やら背中やらを懸命に掻き分けて押し進む。
「ここから登ろう」
そう口にしながら壁に手を付き屋上を眺める工藤さん。
俺はと言うと、何を言っているのか理解できずに呆然と屋上を見上げるだけだった。
「壁ですけど……?」
今いる場所は正面入口から回り込んで直ぐといった場所だろう。そこには窓や換気扇といった取っ掛かりになりそうな箇所もなく、紛れもなく垂直の壁が屋上まで続いていた。




