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第八十二話 サリハヤ川進出

「僕をどうする気だ!」


 対抗魔法によって目を覚ましたクラウズ王子は、恐怖に大きく目を見開いて俺にそう尋ねた。


「殿下はこんなところで何をされているのです?」


 俺は逆に彼に尋ねる。

 返答によっては無罪放免もありかなと思っていた。


 彼の配下の兵たちはことごとく逃げ去って、誰も残らなかったのだ。

 おそらく彼はカレークの町への進軍を主張したのだろうが、兵たちがその命令に従わなかったのだろう。


「もちろん。貴様の野望を打ち砕くために正義の兵を起こしたのだ。それなのに……」


「兵たちが言うことをきかなかったのですな?」


 俺が想像していたことをシュルトナーが口にした。


「あんな傭兵たちを頼るのではなかったのだ。やはり父上に具申して……」


「ティエモザ四世陛下は賛成なさらないと思いますが」


 シュルトナーの声が冷たく響く。


「私は殿下に恨まれるようなことをした覚えはないのですが」


 傭兵まで雇って俺の領地へ攻め込むなんて尋常じゃない。

 彼の意見に賛成する者は誰もいなかったと聞いたから、仕方なくってことなのかもしれないが。


「そんなんじゃない! お前は危険なんだ。どうして皆は気がつかないんだ? お前の異常さに気がつくべきだろう」


 俺を睨みつけてクラウズ王子はそんなことを言い出した。

 錯乱しているのではないかとちらと思ったが、どうやらそうでもないらしい。


「これもお前の策略なのか? 欲がないように見せかけてすべてを自分のものにする。まったくの無名だったお前がほんの一年程の間に伯爵になって、しかもそれに僕を加担させる。お前はいったい何者なんだ?」


 どうやら彼は俺が普通の人間とは違うことに気がついているようだ。

 まさか千年後の世界からの転生者だとは思わないだろうが、異質な存在だという認識はあるらしい。


「策略などではありません。それに私はすべてを自分のものにする気などありませんから」


 俺は敢えてにこやかに彼に接したのだが、彼はとても納得したようには見えなかった。


「仕方ないな。シュルトナー。殿下を送って差し上げてくれ」


 俺がそう告げると、シュルトナーは嫌そうな顔をしたが、すぐに「仕方ありませんな。では兵を二人お借りします」と俺の依頼を受けてくれた。


 残った兵のうちの一人に馬から降りてもらい、それを王子に差し上げてシュルトナーと兵士二人と共にエフラットまで送ってもらうことにした。

 実質的には護送ってことだ。


「ではすぐに戻ります」


 シュルトナーに任せておけば、ビュトリスの王宮でこちらの主張をきちんと通してくれるだろう。

 去って行く彼を見送って、俺はカレークの町へ、そしてスフィールトへと帰還した。



「というわけで、シュルトナーはエフラットへ向かったんだ。じきに帰って来ると思うけど、もうあんなことは御免だからな」


 俺がカレークの町から報告のあった部隊の侵攻の結末を伝えると、クーメルは安堵したようだった。


「カレークからエフラットへ至る道は今や我々の生命線です。王都からの物資の搬入など望むべくもありませんから、まさかビュトリス王国がと憂慮しておりました。大事がなくて良かったです」


 王子が攻め込んできたのだから大事でないってことはない気もするが、そこはシュルトナーに任せておけば大丈夫だろう。

 あの国との協定をまとめたのは彼なのだし。


「そうなると後顧の憂いなくハルファタへ向けて進軍することもできますが、今の兵力ではまだまだ心許ないのです。攻め込むだけなら可能かもしれませんが、その間にこの町が陥ちてしまうかもしれません。もう少し兵力を増強する必要があると思います」


 彼の言葉にアンクレードも頷いている。


「先日の大勝でかなりの捕虜を得て、その内にはわが領の、公式にはスタフィーノ公爵が王位を奪還するために働いてもいいという者もかなりおります。王国軍といっても直属の兵はわずか。かなりの部分は諸侯の部隊が占めていますから、ジンマーカスに反感を持っている者も多いのです」


 彼はそんな楽観的な見通しを語ってくれたが、クーメルが俺に向かって少し言いにくそうに続けた。


「そうは言っても実際に我々に味方することまでは決断できない者がほとんどでしょう。ましてハルト様の魔法で当主やその後継者を喪った貴族家としては、心情的にもこちら側に寝返るとは思えません。それでも、ハルト様が敵方の死者も丁重に葬ったと聞いて、復仇を旗印にすることまでは思いとどまった貴族も多いようですが」


 今回は手加減するほどの余裕もなかったし、アンクレードが突出して行ったので、俺も彼を守るために必死だった。

 指揮官を集中的に狙ったから、その中には貴族家の当主や嫡男が含まれていたってことなのだろう。


 そういった禍根を残すことを考えても、戦争なんてしない方がいいのだ。


「仕方ないな。そうすると地道に敵の兵力を削って行くしかないのかな?」


 カレークへの道が開いていて、その通行の邪魔をする部隊は排除できたから、補給で困ることはそれ程なさそうだ。

 だが、一国の王と小領の領主では動員できる兵力と資金力に差がありすぎる。

 そのうちにこちらが疲弊して、膝を屈することになるかもしれないから、持久戦を志向するのも危険な気がした。


「そうなのですが、ここで攻め寄せて来るのを待っているだけですと、敵に十分な準備の時間を与えることになってしまいます。少しずつでも戦線を押し上げてみては如何でしょう?」


 如何でしょうなんて言われても、俺には判断できるはずもない。

 仕方なくアンクレードの顔を見ると、彼は俺の意図が分かったのか、


「私もクーメルの意見に賛成です。ハルファタへ向かう街道は概ね平坦ですが、多少の起伏はあります。岡や峠になった場所に拠点を築き、敵が攻めて来なければ、その次の高台へと順に拠点を移していけば、必ずや奴らは焦って準備の整わないうちに攻めて来ます。そこを叩いてさらに前進すれば、我が軍がハルファタへ至る日も遠くはないことでしょう」


 彼がクーメルの作戦に賛意を示したことで、実質的にスフィールト軍の方針は決まった。

 俺の発言は「じゃあ。それで行こう」という総大将とは思えない軽いもので、後で少し反省はしたが、彼らに任せておけば上手くいくはずなのだから問題はない。



「こうして見ると、関所や検問所はいい場所に置かれていたんだな」


 俺たちが進撃を開始して最初に築いた拠点こそ、スフィールトからほど近い岡の上だったが、その先は必ずといっていいほど、そういった拠点とするに相応しい場所には王宮から派遣された役人が詰める関所や検問所があった。


「見張る方向は逆ですがね。これまでの対象は我々のようにスフィールトから出ようとする者でしたが、これからはハルファタからやって来ようとする者が対象ですから」


 俺たちは三百人程の兵を連れているだけだが、それでも関所や検問所の役人たちなど相手にもならない。

 俺たちが姿を見せると彼らは驚いて、命からがらといった様子で逃げて行くといったことが繰り返された。


「アンクレードはよく敵兵を降らせたな」


 次の関所の先では森の木が途切れ、平原に出る。

 俺は彼と馬を並べて進みながら、そう感想を漏らした。


 残念ながらここまで兵を進めるうちに降伏してくれる兵はいなかった。

 こちらは兵士の数が絶対的に不足しているから、できれば訓練を積んだ王国兵は喉から手が出るほど欲しいのだが、全員が逃げ去るだけで協力を申し出てくれる者はいない。


「あの時は降伏か死かという状況でしたからな。逃げられるのであれば逃げるでしょう。逃げられないように包囲でもしますか?」


 スフィールト郊外で彼は自分たちの数倍の敵を降らせて、その一部は自軍に組み入れていた。


「やめておこう、こちらも損害を受けそうだ。本当は降伏じゃなくて協力してほしいんだけどな」


 こちらは数が少ないのだ。

 一敗地に塗れれば、そのまま消滅してしまいかねない。


「それはどちらかと言えばスタフィーノ公爵の領分でしょう。我々に協力してくれたのは彼を知る諸侯や指揮官ばかりですから」


 言われてみればそのとおりだ。

 彼らからしてみれば成り上がり者で、知り合いでさえない俺に協力する筋合いなんてない。


(ハルト一世も下級貴族の出身だったと思うんだけれど、挙兵当初はこんな苦労をしたのかな?)


 俺はそんなことを考えてしまったが、彼の伝記にはそんな記述があった記憶はない。

 自分と同名の英雄なんてという気恥ずかしさもあって、しっかりと読み込んではいないのだが、そういった苦労をしたという記述はほとんどなかったように思う。


(まあ、彼は俺なんかとは違って魅力あふれる英雄で、人望も厚かったから、こういう場合でもすぐに麾下に馳せ参ずる者たちに事欠かなかったんだろうな)


 彼のような英雄でない凡人の俺が苦労するのは、致し方ないのだろう。

 凡人ならまだましで、俺なんて前の世界では落ちこぼれだったからな。


「この先に進むと、さすがに包囲される危険がありますな」


 王国が派遣した兵士たちが逃げ去った関所を占拠して、アンクレードがそう分析してみせた。

 森が途切れ、平原へと出るこの場所には大きな川も流れていて、スフィールトから出ようとする者をチェックするのに絶好の場所だったろう。


「じゃあ、取り敢えずここで敵の出方を待つか?」


 スフィールトには愛着も覚えてきているし、何よりあの町にはイレーネ様がいるのだ。

 無理をして危険にさらすわけにはいかなかった。


「ええ。ここならハルト様も魔法を思う存分お使いになることができるでしょう」


 クーメルが背後からそう言ってきて、俺たちはこの場に拠点を築いて、ジンマーカスの次の一手を待つことにした。





【ハルト一世本紀 第四章の二十六】


 ハルファタにいるスタフィーノの縁に繋がる者たちは、尚も恭順の意を示さなかったが、大帝は寛大だった。

 彼らの存在など忘れられたかのように、スフィールトでの日々を楽しまれた。


「陛下に置かれては、不敬の者どもをこのまま捨て置かれるおつもりですか?」


 大将軍が痺れ切らせてお考えを伺うと、大帝はお笑いになった。


「大将軍はまだ満足していないと見える。少しずつ配下の兵を進めてみるがいい」


 大帝は大将軍の要望にも応え、ハルファタにいる者たちにも時間を与えようとされたのである。


「既に兵はハルファタを指呼の間に臨んでおります」


 大将軍からの連絡に大帝は嘆息された。


「陛下はこれまで何度も機会を与えられました。その手をことごとく振り払うとは愚かとしか言いようがありません。この先に起こることは彼らが求めたものなのです」


 大宰相はそう言って、大帝を慰められた。


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