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第五十七話 スフィールト帰還

「悪いけれど俺は一度、領地のスフィールトへ帰るよ」


 アイヴィクの町の宿で俺が皆にそう告げると、反対すると思っていたシュルトナーまでが、


「それもよろしいかもしれませんな」


 そう言って特に異論もない口ぶりだったので、俺は驚いてしまった。


「シュルトナーは反対するかと思っていたけどな」


 俺は正直に彼に聞いてみたが、彼は諦めたって顔だった。

 彼はルーレブルグで二度にわたってスフィールトへの帰還に反対したのだ。


 下の下策だとまで言った彼は、簡単には納得してくれないかなと思っていたのだが。


「そのようなことはありません。ハルト様がそうお決めになったのなら従います」


 なぜか何のこだわりもないという顔でそう答えてきた。

 疑問に答えてくれたのはクーメルだった。


「私たちもこれからのことについて話し合ったのです。いえ。イレーネ様からお話があったのです」


 彼の言葉に、俺がイレーネ様を見ると彼女は話し合いをもった理由を教えてくれた。


「ハルト様はリニアン大公が亡くなったことを知らされてから、きちんとおやすみになられていないのではないですか? 私はハルト様のお身体が心配なのです」


 そう言って俺の顔を見た彼女の水色の瞳は、本当に俺を気遣う彼女の真情を表しているように光っていた。


「私たちもそれは薄々感じてはおりましたが、イレーネ様はハルト様の体調をとても心配されています」


「最近ではイレーネ様とお話しされていても、上の空だそうではありませんか。イレーネ様はハルト様を心配されていましたが、私はこのままではイレーネ様も体調を崩されてしまわれるかもしれないと、そちらも気掛かりなのです」


 アンクレードもクーメルの後に続けてそう言ってきた。


「いや。俺は……」


 俺は二人の言葉を否定しようとしたができなかった。

 彼らの言ったとおり、俺は最近、自分の魔法が周りに与えた影響に耐えられなくなっていた。


「ですから一度、ジャンルーフ王国へ戻られるのが良いと思うのです。あの国は私たちの故郷ですから。水も空気も違う別の国にいるよりも、たとえスフィールトであってもジャンルーフ王国の中ならハルト様のご気分も落ち着くのではないかと思うのです」


 イレーネ様の、そして仲間たちの気持ちが俺にはありがたかった。

 自分のせいで人が亡くなって、その亡くなった人の息子や弟と平気で顔を合わせる神経は俺は持ち合わせていない。


 元々俺は現代日本人で、ニュースや歴史の授業、物語などでは人が亡くなったり、戦争が起きたりといったことを見聞きしてきた。

 でも、実際にそれを目の当たりにし、それだけでなくそれに自分が深く関わったとなると心穏やかというわけにはいかなかった。


「みんな。ありがとう。俺は大丈夫だ。でも皆も言うとおり一度、ジャンルーフへ戻ろう」



「お発ちになるのですか。残念です。そしてお荷物のこと申し訳ありません」


 ヨスラン大公に町を離れる挨拶に行くと、忙しい中で彼は時間を取って俺たちに会ってくれた。


「いえ。あの火事の中でしたから、仕方ありません」


 彼が俺たちに謝ったのは宿から逃げ出した時に置いてきた荷物のことだった。


 馬車は戻ってきたものの、荷物はなくなってしまっていた。


 キルダ王国でもらった金貨も入っていたから兵士にでも盗られたかなと思ったのだがどうも違うらしい。


「あの傭兵たちは目ぼしい宝を持ち去りましたから。その中にハルト様のお荷物も入っていたようです」


『黄金の帝冠』も『魔法の帝笏』も持って行ってしまわれたらしかった。


「あの火の手の上がる中、しかも兵に完全に囲まれていて、さすがに逃げるだけで精一杯でしたから」


 アンクレードはそう言うが、俺はそれにもかなり落ち込んでいた。

 ハルト一世に会ったとき、どう言え繕えばいいのかと思うのだ。


「そう言えば過分な褒賞をいただいて、ありがとうございます」


 内乱が起きたような状態になって、パラスフィル公国の国庫も余裕があるわけでもないだろうに、大公からは賠償を含めてといってかなりの金貨が贈られていた。


 だが、あの二つの宝物は金貨に替えられるようなものではない。


「いいえ。お荷物の中には大切な品もおありだったと聞いています。もし見つかればお返しします」


 大公はそう約束してくれた。


『黄金の帝冠』はともかく『魔法の帝笏』は価値のある宝物には見えない。

 だから帰ってくると期待したい気がしたが、傭兵たちに持ち去られたとなると難しいのかもしれなかった。


「失ったものを数えても仕方ありませんな。残されたものを大切にしていきましょう」


 アンクレードは気楽だが、今はそう考えるくらいしかないのかもしれなかった。


「それではお元気で。機会があればいつでもアイヴィクへおいでください」


 ヨスラン大公はそう挨拶をして席を立ち、俺たちは翌朝、馬車に乗ってアイヴィクを発った。



 パラスフィル公国の街道を北上し、レゾフォ川を越え、ハフランの町を過ぎると俺の気持ちもだいぶ落ち着いてきた。


「あらためて見ると、ハルト様の魔法の威力は凄まじかったですな」


 シュルトナーが感心したように言っていたのは、レゾフォ川沿いにできていた大きなクレーターのことだった。


「あのような巨大な穴を穿つとは、人間業とは思えません」


 彼の口調は思っていたより真剣なものだったので、俺は顔を上げて彼を見た。


 彼は俺が感じたとおりの真面目な顔で俺を見ていた。


「ハルト様であればこそ、あの力をお使いになられても問題になりませんが、他の方があの力を持つことは、あまりに危険なのではありませんか?」


「それはイレーネ様のことか?」


 俺の問いに彼は頷いた。

 俺はリュクサンダールへの道中で彼女に魔法を使ってみないかと聞いていた。


 その後、いろいろあってそれにはまだ手を着けていないが、スフィールトへ帰れば時間はたっぷりある。

 彼女に魔法を教えることもできるだろう。


「失礼を承知で申し上げますが、ハルト様以外の者にもあの力を使うことができると知れれば、皆、先を争って力を手に入れようとするでしょう。その時、どれほどの惨禍がもたらされるのか想像もつきません」


 シュルトナーは悲痛な顔を見せた。


「いや。それは遅かれ早かれそうなるから」


 もう十数年でハルト一世が魔法帝国を再興し、魔術を復興させるのだ。

 どのみち俺が魔法を独占するなんて無理なのだから、早めに仲間で魔法を使える者を増やしておいた方がいい。


「しかし、少なくともそれを早めるようなことはされるべきではないのではありませんか?」


 シュルトナーはなおも食い下がってきたが、俺にはこの先、誰でも魔法を使うことのできる時代がやって来ることが分かっている。


 ハルト一世は魔法の普及に積極的だったと聞いた記憶があるから、隠しておく必要もないだろう。


「いや。それに魔法は防ぐこともできるからな。それほど酷いことにはならないさ」


 俺は聖都の炎のオベリスクの中で対抗魔法を使っていた。

 あれを使えば大概の魔法は無効化できる。


 そして魔法防御で攻撃魔法や『インビジブル』や『レビテーション』を使った侵入者を防ぐのだ。


 そうでもなければ誰もが魔法の使える世界なんて収拾がつかないことになってしまう。


「まずはそういう魔法を習得してもらうのもいいかもな。魔法から身を守る術をな」


 実際に俺が前に生きていた世界では、明かりを灯したり空中に浮かんだりと生活に使える便利な魔法とともに、まずは魔法から身を守る方法、魔法の使い方を学ぶのだ。


「そうするとハルト様の魔法も防がれてしまわないでしょうか?」


 イレーネ様が心配そうに俺に聞いてきた。


「ええ。そうです。だからあんな魔法の使い方はできなくなります。そうでないとそれこそ危険ですから」


 俺はこれから十数年先にハルト一世がこの世界を統一することを知っている。

 だから俺だけが魔法の力で無双できる期間は長くないはずだ。


 俺は彼の下でそれなりの地位に就けてもらえれば満足なのだ。


「ハルト様は相変わらず恬淡(てんたん)とされていますね」


 クーメルが溜め息をつくように言ったが、俺はそれには素直には頷けなかった。


(俺はちっとも恬淡となんてしていない。未来を知っていて上手く立ち回ろうとしているだけだ……)


 そう思うと何だか寂しかった。


(早くハルト一世に会って、魔法帝国を再建する彼の配下に加わりたい)


 それは俺が、この世界が自分が前に生きていた世界のおよそ千年前の世界だと知った時から温めてきた方針なのだ。

 俺はそう考えて、自分が小狡い人間だという思いから逃れようとした。


(でも、そうなったらアンクレードやクーメル、シュルトナーとも今みたいな関係は続けられないのかな?)


 彼らはハルト一世の七功臣。彼の下で大活躍し、何の取り柄もない俺は置いてけぼりを喰うだろう。


(そして、イレーネ様も……)


 俺は隣に座る彼女にそっと目を遣った。

 彼女の胸にはあの魔光石の首飾りが光を放っていた。


 あのアイヴィクの宿を襲った火災の中でも、彼女はそれを肌身離さず持っていてくれたのだ。

 そのことを思うと、俺は自分の心が大きく揺らぐのを覚えた。





【ハルト一世本紀 第三章の三十】


「陛下のご来臨を渇望する者は、今やアイヴィクの民だけではありません。陛下にはよろしくこのまま各地を巡り、以て民を安んじていただきたい」


 国公は大帝にそう望んだが、大帝の必ずしもそれを喜ばれていないことに皇妃は気づいておられた。


「確かに陛下を待っているのは、その町の民だけではありません。陛下はシルトの民も同じように気に掛けておられるのです」


 彼女が珍しく自ら発言されたので、群臣は騒めいた。

 大帝は彼らの騒めきを抑えると、口を開かれた。


「国公の言葉は正しい。だが、残念ながらすべての町を巡ることはできないのだ。そして皇妃の言ったとおり、シルトの民が自分たちは打ち捨てられたと悲嘆に暮れているのではないかと心配なのだ。一度、シルトの民に顔を見せるべきであろう」


 大帝の言葉に、国公もこれ以上、他の地を訪れることは勧められないことを悟った。


「遠く異国にあっても陛下がシルトを忘れられないことを知れば、これまで訪れた町の者も、陛下がシルトにあっても自分たちを忘れたわけではないことを知るでしょう」


 大宰相もそう言って賛意を示したので、大帝はシルトへ向かわれることになった。


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