第五十六話 ハルト伯爵
「どういうことだ?」
緊急招集された会議の席で、司令官の横に座ったアイヴィクの町の使者という人物が語った内容は俺にはすぐには理解できない気がした。
「大公のリニヨン様は、傭兵たちとともにアイヴィクの町から姿を消しました。いえ。彼らに連れ去られたのだと思われます。大公とその側近たちが有無を言わさず連れ去られる様子を、侍女のひとりが物陰から目撃していますから」
どうも大公は傭兵たちを捕縛しようと計画し、それを知った彼らに逆襲されたらしい。
「アイヴィクでは民の不安が高まっていましたから大公はこのままでは持ち堪えられないとお考えになったのでしょう。そうして傭兵たちを排除しようとして、その機先を制せられたのです」
これまで彼らを重用してきたこともあって、大公の臣下のうちには彼らと繋がっている者が多数いたのだと使者は付け加えた。
そんな中で彼らを排除する計画が、彼らに漏れないはずもないということのようだ。
「我々はヨスラン様に大公になっていただこうと考え、ハフランの町を訪ねようとしているのです。どうかお取り継ぎ願いたい」
使者はそう願ったので、司令官が部隊の一部を割いて、彼らの護衛に付け、ハフランの町へと向かわせた。
「偽りの降伏ってことはないのかな?」
遠くアイヴィクの町が見えてきて、俺はクーメルに聞いてみた。
こちらからは何度も偵察の兵を送っているし、住民の代表と称する人たちも昨日、俺たちの陣を訪れて、戦勝を祝うと言ってくれた。
「ハルト様の感覚では、呆気なさ過ぎるということでしょうか? ですがそのようなことはありません」
クーメルの言うとおり、両軍が戦場で相まみえたのはレゾフォ川での一回きりなのだ。
たったあれだけで敵軍が崩壊するなんてあり得ないと思う。
しかも俺の魔法は直接、敵兵を討ったものではない。
炎で追いやったり、流星を地上へ導いて爆発を起こしたりしただけなのだ。
「ハルト様の魔法にかなり慣れているつもりでいた我々でさえ、あの戦場での魔法には衝撃を受けましたから。初めて目にした者には生涯、記憶に残るほどのものでしょう」
俺に派手にやれって言ったのは彼なのに、クーメルはそんなことを言ってきた。
「ハルト様の魔法に敵することのできる者など、この世界に存在しないのではないですか。ハルト様のお力をもってすれば、大陸を統一することさえ……」
「いや。それはないな」
アンクレードがとんでもないことを言い出したので、俺は即座にそれを否定した。
この世界を統一するのはハルト一世なのだ。
俺は彼に仕えるために彼を探す旅を続けているのだから。
「どうしてそのような……」
アンクレードは不満顔だが、俺の魔法の力なんてたかが知れている。
前世では魔法の劣等生もいいところ。それで散々苦労して、遂には生命まで失うことになったのだ。
「また覇気がないって言うのか? これでもかなり無理をしてるつもりだけどな」
田舎勲爵士の三男として、慎ましく生きる選択だってあったのだ。
この時代に関する知識があるのにもったいないと思って、賭けに出た。
これまでの二度の人生、上手く行ったためしのない俺にしては思い切ったものだと思う。
「ヨスラン様が到着するまで、この町は軍政下に置かれます。ハルト殿にもご協力を願いたい」
司令官が俺にそんな依頼をしてきたので、俺はクーメルとシュルトナーに力を貸してあげるように頼み、自分は宿舎として割り当てられた宿に引きこもった。
「アンクレードさんも兵を率いて町を見回っているのに、私だけ申し訳ない気がします」
「いいえ。ここまで私たちとご一緒させてしまって。本当に申し訳ないです。無事に町に入れて安心しました」
イレーネ様はここまで俺たちと行動をともにしていた。
俺たちの周りには多くの兵士がいるのに、無茶だと思ってハフランの町に残っていただこうとしたのだが、彼女は聞かなかったのだ。
「無理を言ったのはこちらですから。私こそ申し訳ありません。でも、あの町でお別れしたくはなかったのです。それにハルト様と一緒なら、きっと安全だと」
彼女の笑顔を見て、俺も少し心が和む気がしたが、それでもまだ、俺の心は沈んでいた。
リニヨン大公が殺害されたとの連絡が入っていたからだ。
「馬車もなくなっていなくて良かったです。もう戻らないと思っていましたから」
俺はそんなことを口にして、自分の気持ちを隠していたつもりだったが、イレーネ様には見抜かれてしまっていたようだった。
「ハルト様。無理をなさらないでください。私たちは婚約者なのですから、そんなにお気を遣っていただかなくて良いのです。それにリニヨン大公のことは、ハルト様のせいではありません」
俺はどきりとしてしまったが、それは俺も分かってはいるのだ。
直接手を下したのは傭兵たち。それは紛れもない事実なのだ。
「ええ。分かっています。ご心配をお掛けしたなら申し訳ありません」
本当は彼女の優しさが涙が出るほど嬉しかったのだが、俺はここで取り乱すわけにはいかなかった。
彼女は将来の主君の妃なのだから。
「ハルト様……」
彼女の顔が悲しそうなものに変わり、俺をますます辛い気持ちにさせる。
こんなことなら家を出たりしなければ良かったのか。
俺はそんな思いに沈んでいた。
「ハルト殿。お見事な働きであったと伺いました。ありがとうございます」
それから半月ほどが経ち、アイヴィクの町に姿を見せ、大公の位を継いだヨスラン公爵、いや大公は、わざわざ宿に俺を訪ね、そんなねぎらいの言葉をくれた。
「お褒めにあずかり恐縮です。こんなことになってしまって、本当に良かったのか……」
彼は実の兄を喪ったのだ。それにティスモス公子に至っては父親が亡くなったことになる。
元はと言えば俺が公子をハフランの町にお連れしたことが、この結果を招いたと言える。
しかも俺はアイヴィクの軍を討ち破り、大公が傭兵どもに連れ去られ、殺害される遠因を作ったのだ。
「何をおっしゃいますか。すべては兄が招いたことです。私もあの傭兵たちをどうすることもできなかった。ハルト様には本当に感謝しかありません」
彼はそう言ってくれるが、傭兵たちがここで暗躍し始めたのも、俺がその種を蒔いたのかもしれなかった。
「感謝をお示しするというよりも、ハルト様の顕らかなる戦功に対して、爵位を差し上げたいと思うのですが」
彼が突然、そんなことを言い出したので俺は驚いた。
「とんでもない。そのようなこと。到底、お受けできません」
俺はこのところずっと、これまでに起きた出来事を考えていた。
グヤマーンの町では町の正規兵と傭兵たちに多くの死傷者が出た。
ラエレースでも、弓兵たちが傭兵隊長の襲撃を受け、町には火が放たれた。
キルダ平原でも多くの兵を危険に曝し、このパラスフィル公国でも戦いが起こり、大公が命を落としたのだ。
「ハルト様。お受けになるべきです」
クーメルが小声で助言してくれるが、俺は自分が引き起こしたことを考えると、とてもそんな褒賞を受ける気にはならなかった。
ハルト一世に仕える。俺はただその目的のためだけに旅をしていたはずなのに、多くの人を傷つけている。
そのことに思い至って、空恐ろしい気がしたのだ。
「いいえ。受けていただけなかれば困ります」
だが、公爵は俺にそう言ってきた。
顔を上げた俺の前で、彼は真剣な表情だった。
「功績を上げた者は賞し、為すべき事を怠った者には罰を与える。それは先代が私にハフランの町を与えたもうた時に唯一お命じになったこと。私はその命令に従わねばなりません。ハルト殿の功績は明らかなのですから」
俺はそれでも辞退したいと思ったが、彼の決意は固そうだった。
「ハルト殿はキルダ王国で子爵に叙されたとお聞きしました。私はハルト殿を伯爵に叙したいと思います。この度の戦功は十分にそれに値しますから」
「ハルト様……」
クーメルがまた小声で俺に爵位を受けるよう促してきて、俺はもう諦めることにした。
「ありがとうございます」
多くの人が傷つき、亡くなる中で俺だけが栄達を遂げている。それでクーメルはいいと思うんだろうかという疑問が湧いてくるが、彼にも迷いはないようだった。
「お受けいただけて良かった。これで私も心置きなく先代のもう一つの遺命も果たすことができます」
公爵は笑顔を見せて、俺たちに向かって言った。
「私はハルト殿を含め、今回の乱を鎮めることに功績のあった者を賞したら、すぐにティスモス殿とテラレーサを結婚させ、彼に位を譲ります。まあ、褒賞が必要な者はハルト殿だけでなく、例えばこの町でハルト殿を誘ったベセマラード伯爵とか、かなりの数に上りますから明日と言うわけにはいきませんが。いずれにせよ結婚式もすぐには執り行えませんからね」
どうやらあのコラリウスも恩賞に与るらしい。
「大公の位をティスモス殿下に譲られて、ヨスラン様はどうされるのですか?」
俺も疑問に思っていたことを、アンクレードが聞いてくれた。
やはりリニアン大公が疑っていたように、二人を傀儡にして実権を握ろうというのだろうか?
「私はリュクサンダールに参ります」
ちらと疑いの心を持った俺を嗤うかのように、彼は平然とした様子でそう告げた。
「兄があのようなことになって、私だけがのうのうと大公の位に居座るわけにはいきませんから。混乱が収まったら、後は若い二人に任せ、私は聖都の教会で先代と兄の霊に祈りを捧げていきたいと思っているのです」
【ハルト一世本紀 第三章の二十八】
大帝にアイヴィクを治めることを認められたヨスランは、一旦はそれを受け、アイヴィクの町へとやって来た。
「私にはこの町の解放に何の功績もありません。どうか私の娘婿にこの町を下賜していただきたい」
彼は大帝に謁見を賜るとそう願い出た。
「彼の請いを容れるべきです。彼は陛下に忠、父に孝ならんとしているのですから」
大宰相もそのように付言した。
彼はヨスランの父親が彼の娘婿にアイヴィクの町を任せるよう望んでいたことを知っていたからである。
「大宰相もそう言うのであれば、その望みを叶えるべきであろう」
大帝がお許しになったので、以後、アイヴィクの町はヨスランの娘婿が拝領することになった。




