第五十五話 アイヴィク進軍
枯柴から上がった炎はそれなりの大きさではあったが、とても敵を喰い止めることができるとは思えない。
だが、クーメルにはさらに考えがあるようだった。
「ハルト様。風の魔法をお願いします!」
「ギマローラ エカーテ バオネーロ ヨゼーフィ ネロ キネーセ エネレトゥペーズ!」
俺が慌てて呪文を唱えたのと、敵の騎兵が枯柴に火が着いたラインに到達しようとしたのはほぼ同時だった。
「トーネード・マールニュ!!」
俺の魔法が作り出した竜巻が枯柴に着いた炎を次々と巻き上げ、それは巨大な炎の柱と化していく。
「止まれ!」
敵の指揮官らしい声が聞こえ、俺たちの部隊はすんでのところで騎兵の突撃を免れた。
今や炎は巨大な壁となって敵の進軍を阻んでいる。
「もう一度行くぞ! トーネード・ミデタリア!」
今度は竜巻を操作して、俺は敵を包囲するように炎が森へ向かうよう風を吹きつけた。
「退がれ! 退却。退却だ!」
「お見事です」
慌てた敵騎兵が森へ戻って行くのを追うように、炎が森に迫っていく。
これで東からの敵は当面は森から出られないだろう。
いや、このまま延焼が続けば、生命さえ危ないかもしれなかった。
「次は正面の敵ですな」
アンクレードが平然と言ってくるが、人使いの荒いことだ。
「どうすればいい?」
「なるべく派手な魔法をお願いします。動揺している敵の戦意を挫く必要がありますから」
クーメルの言ったとおり、彼らの見ている前で伏兵が炎に遮られ、蹴散らされる様が展開されたのだ。
友軍の潰走に兵たちが動揺していないはずもなかった。
「派手な魔法か。じゃああれかな」
もう一度、炎の魔法って手もあるが、敵の将兵に与えるインパクトを考えて俺は呪文を唱えていく。
「ギマローラ パファーゴ ヴァキージ ポヴァージャ トンキネーセ ヴェネローリ」
「やり過ぎないようにお願いします」
クーメルは心配そうだが、今さらそんなことを言われても遅いのだ。
「メテオ・ストライク!」
俺の魔法が完成し、南の空に輝く流星が姿を現すとそれはみるみる近づいてきて……。
ドガーン!!
敵軍の後方に閃光が輝き、その直後轟音と突風が襲ってきて、敵の軍旗を吹き飛ばした。
「ハルト様。やり過ぎです」
クーメルが額を押さえて俺に苦情を言ってきたが、派手にやれって言ったのは彼なのだ。
「敵軍は総崩れですぞ。早く追撃を! どうして動かないんだ」
「アンクレード殿。無理でしょう。ハルト様の魔法の力を知っている私でも、戦慄を禁じ得ませんからな」
シュルトナーが言ったとおり、敵だけでなく味方の兵たちも俺の魔法のあまりの威力に動けなくなってしまったようだ。
「突撃だ! 私に続け!」
アンクレードが馬を駆け、配下の兵士たちを叱咤する。
「こういう場合は年老いた兵の方がいいのかもしれませんな」
シュルトナーが言ったとおり、周りの将兵が茫然自失の態の中、アンクレード配下の老兵たちは何とか動き出していた。
「あの程度の爆発。わしは若い頃、鉱山で経験しておりますのでな」
「いやいや。もう三十年以上も前にキルダ平原で見たドラゴンのブレスはあんなものではなかったですぞ」
兵士たちが橋へと向かいながら、お互いにそんな話をしているのが耳に入る。
元気なのは結構だが、無駄話はやめてほしいところだ。
「ハルト様。このまま突撃します!」
俺が老兵たちにまぎれて橋のたもとにたどり着くと、アンクレードが俺にそう断ってきた。
周りの兵たちもようやく落ち着きを取り戻してきつつあるようだが、まだ部隊として統制の取れた動きを取るまでには至っていないようだった。
「ああ。橋の上では魔法防御を掛けるから、弓矢は気にしないでいいぞ」
俺の言葉をアンクレードが大きな声で兵たちに伝える。
「炎で敵を蹴散らし、敵陣を爆発で粉砕したハルト様が我々をお守りくださる。戦功は思うがままぞ! 我に続け!」
こういう真似は俺にはできないなと思わされる。
アンクレードは身体も大きく見るからに強そうで、兵たちも安心感があるだろう。
「あの老兵たちが、まるで選りすぐりの精鋭のようですな」
シュルトナーに俺も完全に同意したい気分だった。
「大魚を逸しましたな」
その晩、対岸の野営地でアンクレードは残念そうにしていた。
「こちらも混乱していたからな。俺たちは寡兵だし。良くやったと思うけど」
「ハルト様のお力に味方も肝を潰していましたからな」
シュルトナーは楽しそうだが、クーメルは苦笑いを浮かべただけだった。
彼はやり過ぎだって言いたいのだろう。
「でも敵の兵力を削ぐことができなかったからな。この先が思いやられるな」
彼我の兵力はあまり変わらないのだ。
このままアイヴィクの町まで軍を進めても、籠城でもされたら勝てるか分からない。
「そうでもありません」
クーメルは静かに笑いながら俺の心配に答えてくれた。
「ハルト様のあの魔法を見て、まともに戦おうと思う者はそれほどいないでしょう。アイヴィクの町にたどり着く頃には兵数は半減。いえ。三分の一以下になっているかもしれません」
「そんなにか?」
アンクレードが驚きの声を上げるが、俺も俄かには信じられない気がした。
「我々はゆるゆると兵を進めれば良いのです。アイヴィクの町は大混乱でしょう。あの流星が町に堕ちれば、途轍もない被害が出るでしょうから」
「いや。俺はそんなことはする気はないぞ」
即座に否定した俺に、クーメルはゆっくりと礼をした。
「もちろん私たちはハルト様がそのようなことをされる方ではないことを知っています。ですが、敵の兵士や首都の住民たちはそのことを知りません」
彼がそう言って俺たちを見回すと、アンクレードが彼の言葉を継いだ。
「そうか。アイヴィクへ戻った兵士には、あの町に家族のいる者も多いだろう。そいつらがハルト様の魔法の恐怖を伝えれば、町は大混乱に陥ることは必定だな」
「民は避難するだけでしょうが、開戦を主導した者たちは生きた心地もしないでしょう。それは大公も同じでしょうな。彼の首を土産に我らの軍門に降ろうとする者もいそうですからな」
シュルトナーが口を開き、忌々しげに言った。
翌朝、司令部の天幕で開かれた軍議では、クーメルの提案した「敵の襲撃を退けながら緩やかに前進する」という方針がそのまま採用された。
「ハルト殿がおられれば、我が軍の勝利は疑いありませんな」
司令官はにこやかに俺に向かってそう言ってきた。
昨日まで、彼の中では俺なんてほとんど存在しなかったと思うのに現金なものだ。
「このところ襲撃もないな。このままアイヴィクに着いてしまうのかな?」
俺は馬に乗るアンクレードの横を歩きながら、そんな話をしていた。
レゾフォ川を越えてしばらくの間は散発的に小部隊の攻撃を受けたのだが、それらは俺が魔法を使うまでもなく撃退できた。
「油断はできません。地方領主の中にはアイヴィクの軍がハルト様の魔法に敗れたことを知らされていない者もいるでしょう。
それに知らされたとしても信じられない者も多いでしょうから、この先もそういった者たちが行く手を阻もうとすることはあり得ます。我々の相手の大公は彼らの主君なのですから」
「本当はそういう者こそものの役に立つのです。少なくとも裏切りを心配せずに仕事を任せられますからな」
シュルトナーはたとえ敵わぬ相手でも、主君の敵であれば立ち向かうべきという考えらしい。
「それはどうかな。主君の誤りを正す者の方が役に立つと思うけどな」
アンクレードの考えは俺に近い。
でもそれは理想論なのだろう。
「そうして誤りを正すには家臣が誤りに気づく必要が、そして主君にそれを容れる度量があることが求められるますからな。誰にとっても自分がこれまでやってきたことが間違っていたと認めることは人の誤りを指摘するよりずっと難しい。まして家臣にそれを指摘されて、自らの気づきとできる主君など稀ですから」
彼はこれまでそれを実践してきて、結果、スフィールトへ飛ばされたのだ。
彼の言葉は実感がこもっているものなのだろう。
そんな話をしながら軍を進める俺たちに、首都から驚くべき情報を携えた使者が到着したのは、それから間もなくのことだった。
使者はリニヨン大公が傭兵たちに連れ去られ、アイヴィクの町から姿を消したと俺たちに伝えた。
【ハルト一世本紀 第三章の二十六】
大帝がレゾフォ川を越えて進まれるとアイヴィクの民は自らの帰するべき処を知り、進んで大帝を迎えようとして使者を遣わした。
「陛下に不敬を働いた者どもは、陛下の威を畏れ、自ら町から退去しました。我らは陛下のお慈悲にすがるべく陛下に町の鍵を献じる者です」
大帝はその降を容れられたが、お喜びにならなかった。
町から逃げ出した者たちの末路がお分かりになっていたからである。
「陛下の慈悲の心を知らぬ者は如何ともしようがありません。自らの小欲をもって陛下の大度を測らんとすれば、誤った行いに走るのも当然と言えましょう」
国公は大帝にそう申し上げたが、それでも大帝は心が晴れないようだった。
「走り去った者にも家族もあろう。大宰相の策は見事であったが、あまりに見事に過ぎたことだけが残念であった。これを心に留め置くべきであろう」
彼に敵した者たちにも慈悲を垂れる大帝の御心に、大宰相をはじめとする臣下の者たちは頭を下げ、その言葉を深く心に刻んだ。




