第三十九話 リュクサンダールへ
俺たちは馬車に乗って聖都リュクサンダールへと向かった。
(巡礼の方たちが歩いているのにいいのかな?)
俺はそう思ったが、あの後、何とか言う修道院長が姿を見せて、俺たちは急かされるように大聖堂へ向かうことになったのだ。
俺たちの前を行く馬車にその修道院長とジルニャーノ修道士にシスター・プレセラが乗り込み、立派な身なりの馭者が教会の公用であることを高らかに告げながら街道をひた走る。
「歩いていくわけにはいかないのですか?」
途中の村での休憩で俺は修道院長に訴えた。
これではアンクレードが勤務地であったドルルーブの村を逃げ出す原因となった、あの傍若無人な監察官と同じだと思えたのだ。
「総大主教にお会いいただくのです。一刻も早くリュクサンダールに到着せねばなりません」
「それは分かりますが、私は一人の巡礼者として聖ファニス大聖堂を訪れたいのです。ですから、ほかの巡礼の方々と同じように自分の足でリュクサンダールの門をくぐりたいと思っているのですが」
正直に言うと、それは俺の本心ではない。
俺はほとんどの人が徒歩で行く中、それを蹴散らすように馬車を走らせることに嫌悪感を抱いたのだ。
「私も療養所に属する修道女として、病やけがに倒れた巡礼たちを置いて行くのは忍びない気がします。リュクサンダールまではあとわずかですから、ハルト様は私がご案内いたします。院長は先に主教庁においでください」
彼女の訴えたとおり、巡礼たちの中には間もなく目的地の聖都ということで気力を取り戻す者もいるようだったが、反対に長旅の疲れに体調を崩す者も散見されるようだった。
「だが、猊下がすぐに謁見を許されたらどうするのだ。謁見する本人がいなくては……」
「総大主教はお忙しいですから、謁見をお願いしても少なくともニ、三日は待たされるでしょう。十分間に合うと思いますが」
ジルニャーノ修道士も口添えをしてくれて、俺たちは歩いて聖都へ向かうことになった。
「ハルト様は敬虔な方なのですね。おかげで心のつかえがなくなりました」
リュクサンダールまでの道を歩きながら、シスターは俺にお礼を言ってくれた。
「まあ、あまり気分の良いものではありませんでしたからな。私もたまには歩くのもいいと思いますし」
シュルトナーもそんな軽口を叩きながら俺たちとともに歩いていた。
彼は俺の本心を何となく理解してくれているのだろう。
「あれは! 私は失礼して行ってまいります。皆さんはお先にどうぞ」
シスター・プレセラはまた路傍に座り込んだ巡礼を見つけて、走って行ってしまう。
彼女は馬車を降りてから、もう何度もそんな巡礼に駆け寄っては癒しの魔法を使っているのだった。
「彼女は本当に誠実な女性ですな。神にも人にも、そして職務にも真摯に取り組んでいる。頭が下がります」
シュルトナーがそんなことを言い出したので俺は驚いた。
「珍しいな。シュルトナーが人を褒めるなんて」
別に嫌味を言ったつもりはなかったのだが、彼にはそう聞こえたようだった。
「そのようなことはありませんぞ。私は褒めるべき人物は誰はばかることなく褒めるのです。ただ、世の中に褒めるに値する人物が少ないだけですな」
やっぱり珍しいんじゃないかと思ったが、そう言いながら彼は気分が良さそうに見えたので、俺はその先は口を閉じることにした。
「でも、そんな彼女にハルト様は手を差し伸べて差し上げました。今、彼女が生き生きとしているのはハルト様のおかげもあると、私はそう思います」
イレーネ様はそう言ってくれる。そして少し淋しそうに、
「私は彼女が羨ましいです。ハルト様の助けを得て、彼女は大きな力を手に入れました。世の人の役に立つ大きな力です。私にもあんな力があれば、ハルト様のお役に立つことができるかもしれませんのに」
憂いを見せる彼女に、俺は何とか応えたいと思った。
そして気がついたことがあった。
(そうだ。どうして今まで考えなかったんだろう?)
俺は自分の迂闊さに呆れる思いだった。
「イレーネ様は魔法を使ってみる気はありませんか?」
「えっ。そんなことができるのですか?」
彼女はさすがに驚きを隠せなかった。
古代魔法帝国滅亡後で、ハルト一世が魔法を再興する前のこの時代、魔術は衰退し、魔法を使える者はほとんどいなかったのだ。
当然、彼女も魔法を使うことはできない。だが、俺には勝算があった。
「できると思います。でも、それを信じてもらえないとできるものもできません」
俺はこの時代から千年後の時代で魔法を中心とした教育を受けている。
それを授けた場合の効果のほどはシスター・プレセラが証明していた。
「俺が教えることを信じてもらわないといけないんです。最初から無理だとか、あり得ないと思われてしまうと、おそらく魔法を使うことはできません」
俺の言葉に彼女の水色の瞳に怖れにも似た色が浮かんだように見えた。
だが、すぐに彼女ははっきりとした声で答えてくれた。
「私はハルト様を信じます。たとえ世の中のすべての人が荒唐無稽な絵空事だと断じたとしても、私だけはハルト様のおっしゃることを信じることができる。だって、これまでハルト様は私にいくつもの奇跡を見せてくださいましたから」
彼女はここまで俺なんかとずっと行動を共にしてきてくれた。
本当はハルト一世の妃になるかもしれないのにだ。
「では、聖都での総大主教への謁見を終えたら魔法の訓練を始めましょう。慌てる必要はありませんから」
「はい。ハルト様。よろしくお願いします」
彼女はそう言って嬉しそうに笑顔を見せてくれた。
「これが聖ファニス大聖堂ですか。噂には聞いていましたが大きなものですな」
アンクレードは大聖堂を見上げて何だかお気楽な台詞を口にしていたが、俺は荘厳な建物に圧倒される気分だった。
現代日本の高層建築に比べれば大したことはないのかもしれないが、俺がそれを見たのはもう三十年以上も前のこと。尖塔の高さにも目がくらむような気がする。
「どうぞ。こちらへ」
シスター・プレセラが案内をしてくれて、俺たちは大聖堂の向かって左側のかなりの長さのある建物に導かれた。
途中、広場を横切る時にその中央にある巨大なオベリスクの姿が目に入る。
「これが有名な『炎のオベリスク』ですか……」
クーメルは知っているようで、そう呟いていた。
「炎のって、そうは見えないけどな。真っ白でどちらかと言えば雪のオベリスクとか、そんな感じじゃないか?」
アンクレードの言うとおりだと俺も思う。
「このオベリスクはもともとこの地にあったもので、古代魔法帝国時代のものと言われています。聖ファニス大聖堂自体がこのオベリスクのある地に神聖なものを感じ取った時の総大主教ドリファナス一世が、この地に小さな礼拝堂を建てて……」
「置いていかれますぞ」
長くなりそうだと思ったのかシュルトナーが口を挟み、俺たちはシスターを追って広場から建物へと向かったのだ。
「『炎のオベリスク』か……」
純白の高い塔の姿は美しいのに、確かに似つかわしくない名前だな。俺はその時、何の気なしにそう思っていた。
「謁見は一週間後に決まりました。それまでゆっくりと過ごしてください」
建物ではジルニャーノ修道士が待っていて、俺たちにそう謁見の日取りを教えてくれた。
「修道院長は一度、ムタニヤの町に戻りました。謁見の時にはまたおいでになります」
「あんなに慌てて。いったい何だったんだ?」
アンクレードが呆れたって顔を見せると、ジルニャーノ修道士も苦笑していた。
「申し訳ありません。総大主教猊下の下には各国の使者や教会関係者、それに出入りの商人など面会を求める者が引きも切らず。これでも早い方なのです」
それでもそうアンクレードを宥めてくれる。
「一週間後と聞いて、私はもう緊張してきました。猊下に直接お会いするなど、本当に久しぶりのことですから」
シスター・プレセラもそんなことを言っていた。
彼女が総大主教に面会したのはもう何年も前で、しかも多くの修道女の一人としてわずかな時間、御前に伺っただけだったらしい。
「慈悲深く優しい方なんだろう? 別に緊張する必要はないんじゃないか?」
アンクレードは相変わらず気楽だが、緊張する方が普通だろう。
「ええ。もちろんそうなのですが、私は日々暮らしていく中で多くの過ちを犯しています。そんな私が猊下の前に立つなんて畏れ多い気がするのです」
彼女がそんなことを言うのなら、俺なんかはどうなってしまうのかと思う。
何しろ彼女は将来、聖女と呼ばれる女性なのだから。
「いや。今回は俺を聖騎士にするかどうかって話なんだろう? 緊張するなら俺の方だって思うけど」
緊張を和らげようとそう言ってみたのだが、彼女は却ってその紫色の目に決意をたたえて、
「そうでした。ハルト様の起こされた奇跡を正しく総大主教にお伝えします。そして必ずやハルト様を聖騎士に叙任していただきます」
そんなことを言い出したから、俺の言葉は完全にやぶ蛇になったようだった。
【魔法帝国地理誌 リュクサンダール】
大陸中央部の南端に位置するリュクサンダールは聖都という別名のとおり、総大主教座である聖ファニス大聖堂を中心に多くの教会施設がある町である。
そのため聖地としてこの町を多くの巡礼が訪れている。
町の北東はペルティア地方、北西はパラスフィル地方であり、北にあるムタニヤの町からそれぞれ街道が伸びている。
町の歴史は古く、古代魔法帝国滅亡時まで遡る。
帝国滅亡の混乱を避け、南を目指した信徒の一団がこの地に聖なるオベリスクを見つけ、安住の地としたとの伝説が伝わっている。
気候は温暖だが雨が少ないため、古来、ペルティア地方から水道を引き、水を確保してきた。




