第四十話 総大主教の宮殿にて
総大主教への謁見までの一週間、俺たちは聖都見物をして過ごした。
「大聖堂の彫刻は本当に見事ですね」
「ええ。教会の歴史に名高い聖人に本当に接しているようで、ここに来るといつも心が洗われる気がします」
クーメルの感想に答えたのは、俺たちを案内してくれているシスター・プレセラだった。
「お忙しいでしょうに、俺たちにお付き合いいただいて申し訳ないです」
聖女様に観光案内をしてもらうなんて、なんて罰当たりなんだと思う。
でも、そんなことを知っているのは俺だけだし、彼女にはそんな気持ちはまったくないようだった。
「お気になさらないでください。これも院長から命ぜられた務めのひとつですし、朝晩は巡礼たちの治療に当たらせていただいていますから」
彼女はいつ休んでいるんだろうと思うくらい忙しく立ち働いているように見える。
こうして彼女に接していると、期待に応えて聖騎士にならないと申し訳ないという気にもなってくる。
(でも、俺なんかがそんな大それた位をもらっていいんだろうか?)
その思いはどうしても拭えない。
この世界の人々は千年後の世界の人に比べてもずっと信仰心が篤い。
さらに現代日本で暮らしていた頃の俺は神社へ初詣に行って法事ではお経を聞き、クリスマスを平気で祝う典型的な信仰心に欠けた奴だったのだ。
「プレセラさんは、俺が聖騎士に値すると思いますか?」
俺は聖都に滞在する中、彼女に率直に尋ねてみた。
彼女は少し考えていたが、すぐにその神秘的な光を湛えた紫色の目で俺を真っ直ぐに見て答えた。
「私には分かりません。神がお決めになることですから。ですがハルト様がラエレースの町でなされたことをトースタン師は奇跡だと思われた。そして療養所で私にも奇跡の力を授けてくださいました。私にできることは神の御前でそれを明らかにすることだけです」
どうやら彼女には迷いはないようだった。
「あまり深刻に考えず、選ばれたらいいなくらいで良いのではありませんか?」
アンクレードは他人事だと思って気楽に言ってくれるが、悩んでも仕方がないことも事実だった。
そうして聖都観光にも飽きてきたところで、いよいよ総大主教への謁見の日がやってきた。
「ハルト様。大丈夫ですから」
そう言ってくれるシスター・プレセラが一番、緊張しているように見える。
てっきり大広間のような謁見の間にでも通されるのかと思っていた俺たちは、少し広めの会議室のような部屋で待つように言われていた。
「待たせますな」
アンクレードの言葉に、俺の前に座った修道院長が嫌そうな顔をした。
俺も同じ気持ちだったから口に出さなくて良かったのだろう。
そうしてテーブルの端に並んで座り、しばらく待っていると奥の扉が開いて神官らしき人たちが幾人も入って来た。
「お立ちになってください」
俺の斜め前に座っていたジルニャーノさんに言われて、俺たちは慌てて椅子から立ち上がった。
入ってきた人たちは見慣れない緋色の祭服を着ていて、かなり高位の聖職者らしい。
「お座りなさい」
最後に入ってきた一人だけクリーム色のゆったりとした服を身につけた高齢の男性が静かにそう口にすると、全員が一斉に椅子に座り、会議が始まった。
「その者が修道会が推薦する聖騎士候補か?」
緋色の祭服を着たうちの一人が「その者」って言ったのは俺のことだろう。
「さようです。イシリリーノ枢機卿」
修道院長が緊張の面持ちで答えると、皆の視線が俺に集まった。
「ビュトリス王国の町で奇跡を起こし、多くの人を救ったとのことだが、具体的にはどのようなことをしたのだ?」
先ほどとは別の神官が尋ねてくると、ジルニャーノ修道士が俺に向かって頷いた。
「暴徒が火を放ち、ラエレースの町の至るところで起きた火事を、氷の魔法を使って消しとめました」
俺が答えると修道院長がイシリリーノ枢機卿と呼んでいた人物が、テーブルの奥に着席したクリーム色の祭服を着た男性に向かって、
「修道士からの報告にも、その旨が記載されておりました。あの者は神を敬うことこの上なく、恩寵さえ降った者。よもや嘘は申しますまい」
そう恭しく話し掛けていたから、どうやら彼が総大主教らしかった。
「氷の魔法などと。俄には信じられませんな。何やら怪しげな幻術か、悪魔の力でも使ったのではありませんか?」
別の神官はそう言って、厳しい顔を俺に向けた。
悪魔の力を使ったなんて断じられたら、俺は火炙りにでもなるかもしれない。
「そのようなことはありえません。このお方、ハルト様は私にも神の祝福をお与えくださいました。療養所でも奇跡を起こされたのです!」
そう言って俺の危惧を払ってくれたのはシスター・プレセラだった。
「彼のおかげで私は日に何度も信徒たちを癒す力を得ました。そのような力を与えてくださったハルト様が悪魔の力を使うことなどあり得ません!」
「彼女も恩寵の降った者。それが二人して申しているのですから、少なくとも奇跡を起こせるか試してみるのもよろしいかと」
シスターの言葉に、イシリリーノ枢機卿が総大主教に向かってそう勧めていた。
(試してみるって、どうする気だ?)
嫌な予感しかしないし、宗教裁判にかけられでもしたら大変だ。
不可能なことをするよう指示されて、できなかったら磔刑なんてあり得る気がする。
「本当に氷の魔法を使うのか試してみては。オベリスクの試練を乗り越えられるか見てみては如何でしょう?」
枢機卿は恭しい態度で総大主教に提案した。
(オベリスクって大聖堂の前の広間にあるあれかな? たしか『炎のオベリスク』だったよな)
クーメルが何やら説明してくれていたなと思ったが、そんな俺が目に入らないように、神官たちは議論を始めていた。
「オベリスクの試練とは……。さすがにそれは……。これまで推挙を受けたものとのつり合いがとれないのではありませんか?」
痩せた真っ白な髪の神官が絶句したといった様子で反対意見を述べ、俺の不安を煽る。
「私も反対です。聖騎士となるべき者が命を失うようなことになっては大きな損失です」
比較的若そうな神官も続けて不賛成を表明した。
命を失うって、そんな危険のある試練を受けさせようって尋常じゃないと思うのだが。
「我々が見極めようとしているのは聖騎士ですぞ。輝くその名を得るのに、そのくらいの危険が何だというのです」
イシリリーノ枢機卿は『聖騎士』の名誉を得るためには相応の犠牲を払うべきだと言いたいようだった。
「あの……」
せめてどういった試練なのか内容くらいは聞きたいと思った俺の声は小さく、白熱した議論を続ける神官たちには届かなかったようだった。
「そのオベリスクの試練をハルト様にお与えください。彼はきっと試練に打ち勝ちます!」
部屋に響いたその大きな声は、シスター・プレセラのものだった。
彼女の声に部屋にいた全員が言葉を失い。一斉に俺たちの方を振り向く。
「私もハルト様とともに試練に立ち向かいます。私はこの目で彼が神の栄光を示すところを見てみたいのです」
シスターはそう言って席から立ち上がらんばかりの勢いだった。
修道院長は「シスター・プレセラ。それは……」と呟くように口にして、不安そうな顔を見せていたが、その言葉は枢機卿の声に掻き消された。
「真の聖騎士であれば、彼女の言うとおり神のご加護によってその栄光を示すことができるはず。信じようではありませんか」
俺には到底、彼がそれを信じているようには思えなかったが、どうやら大勢は決したようだった。
「よろしいでしょう。ではオベリスクの試練を。皆、それで良いですね?」
総大主教が左右の神官たちを見回してそう告げると、全員が頭を垂れて賛同の意を示した。
実際に試練に挑むことになる俺の意見は誰にも求められていないようだった。
【聖ファニス大聖堂(リュクサンダール観光案内より)】
リュクサンダールの中心に聳える大聖堂は、数多ある教会の総本山にして総大主教座のある唯一の教会です。
この大聖堂は古代魔法帝国崩壊後の混乱により、荒れ果てた大陸中央部を避けて南下した時の総大主教ドリファナス一世が、この地に開いた礼拝堂がその始まりとされています。
彼の後、重要な公会議や儀式のほか、総大主教選挙もこの大聖堂で行われてきたことから、他の教会に対する優越が今では広く認められています。
また、多くの巡礼者を惹きつける聖地であり、中にはいつも多くの巡礼が訪れ、祈りを捧げています。
第一の教会、総大主教の礼拝堂、天国の鍵の在処など様々な別名で呼ばれる聖ファニス大聖堂ですが、リュクサンダールの多くの住民たちからは単に『聖堂』と呼ばれ、親しまれています。
町を歩けば、余程細い路地に入り込まないかぎり、聖ファニス大聖堂の姿を見ることができますが、もし道に迷ったのなら地元の方に「聖堂はどちらですか?」と聞いてみるのも良いかもしれません。




